インターネットのけもの

全て妄想です。

理想の大人像

僕が今なによりも驚いているのは、幼い頃、「いずれは自分も真っ当な大人になって仕事に励み、世のため人のために尽くし、社会発展の礎を気付いていくのだろう」と思っていたはずが、実際に社会に出てみると明日提出しなければならないはずの書類が全く仕上がっていないにもかかわらず、颯爽と定時で帰ってしまえる人間になってしまっていたことでした。

小学生の頃の僕は真面目と言えるほどではありませんでしたが、それでも成績優秀、責任感もたっぷりと持ち合わせており、将来の夢は科学者になって宇宙発展に携わる研究がしたいという、今の僕を見たら絶望して自殺とかを考えてしまうんではなかろうかというくらいに真っ直ぐな少年だったわけですが、今日の僕といったら仕事はサボるわ居眠りこくわ、果ては携帯いじるためにトイレに駆け込むわと全くいいところがありません。仕事が出来ないだけならまだしも、先日は酒の飲み過ぎで人様に迷惑をかけまくるという底辺層の必修科目を輝かしく優の成績で収めてきたばかりです。

一体いつからこんな人間になってしまったのかと考えてみたのですが、すでに中学生の頃には「忘れ物のしすぎ」とかいう理由で音楽の成績が学年中下から2番目だったという大変不名誉な経験がありましたので、もしかすると小学生の頃は優秀だったという記憶も「せめて小学生の時くらいは良かったはず…!」と思い込んだ僕が作り出した幻想なのかもしれません。ちなみに、後日成績表を片手に音楽室に乗り込んだところ、どうやら不登校児より成績が下だという衝撃的すぎる事実を伝えられました。ハッキリ言って授業に出ていないやつよりも成績が下だという事実は全く意味がわかりませんでしたが、それ以上に僕よりも更に下のやつがいることに妙な喜びを感じてしまったことをよく覚えています。

 

そんな僕でもなんとか高校、大学には行くことが出来ましたし、その都度、問題があってもなんとかなるだろう、時間が解決してくれるだろうと思い、様々な問題を先送りにしてきたのですが、まさか今日になってこのツケを払わされるハメになるとは思ってもみませんでした。よくよく考えるまでもなく、完全無欠に自業自得なわけですが、こうなってしまったのもなにかの縁、三つ子の魂百までといいますし、自分の性格をどうこうするよりは、この性格をどう上手く運用していくべきか考えるほうがいいのかもしれません。

とりあえず明日提出の書類が全くもって出来上がっていない件については、うまくやり過ごさなければならないわけですが、考えてみると、別に書類が一つ出来上がってないくらいで死ぬわけではないし、もっと現実的なところで言ってもクビになったりするはずがありません。怒られるくらいならあるかもしれませんが、昨今の情勢を鑑みるに、向こうもパワハラとかいうワードには敏感でしょうから、精々お小言を頂戴するくらいでしょう。それをなだめすかして、これから頑張る姿勢をみせれば却って評価が上がってしまうかもしれません。今までのサボりは伏線だったというわけです。もちろん、上司が残業に追われているのを尻目に定時で立ち去っていたのも伏線だったわけです。

 

多分、こういうことばかり考えているからいつまで経ってもこんなんなんだとおもいます。これまでがサボりまくりだったからと言って、これからもそうあらねばならない道理はありません。むしろ長い人生という視点で見るとこれからこそが本番、今こそが頑張りどころです。定時で帰ることは決して悪いことではありませんが、上司が苦しんでいるなら手を差し伸べる姿勢くらいはみせるべきだったのです。仕事をほっぽり出して帰宅するなどあってはならないことでしょう。

そうと決まれば、明日は書類が出来ていないことに詫びを入れ、その後は一心不乱に書類に向き合うべきです。居眠りなど言語道断ですので、万が一を考え、今日は早めに寝てしまうべきでしょう。いつものようにインターネットの海にダイブして気がつけば3時だった、なんてことは絶対に避けなければなりません。

 

ところで話は変わりますが、昨日アニメのBDを買いました。「イリヤの空、UFOの夏」という作品で、アニメ単体の出来はそこそこといったところなのですが、原作の出来が素晴らしく、僕は原作者である秋山瑞人の大ファンであることから購入に踏み切りました。特典として、過去に収録された短編の再録集もついており、大満足です。先程この短編集を読んだのですが、あまりの面白さにアニメ本編を見てしまおうという気持ちになったほどです。ちなみに、アニメ本編は30分×6話で約3時間あります。今日は早く寝たほうがいい日です。現在時刻は22:30。

ここにあるのはバラバラのピース。それらがどう組み合わさって、どういう結末を生むのか僕にはわかりませんが、一つだけわかることもあります。

面倒になったら携帯片手にトイレに駆け込もう。

投資のススメ

先日の日記でも触れたように、最近の僕といったら定時を迎えるやいなや速攻で帰宅、後は夜中までネットやラノベの世界にダイブという模範的オタク生活…、では無くそうやってネットや書籍から知慧を得てこの競争社会を勝ち上がっていく準備に追われているわけですが、こうして得た知識は頭の中で眠らせておくだけでは全く意味がありません。やはり僕たちは物質的な世界を生きる身ですから、なにも知識をつけただけでは命を輝かせることは出来ないのです。大事なのは得た知識を使うことで、より豊かに、満足感のある人生を歩んでいくことが出来るかということです。

陳腐な言い方にはなりますが人の価値観はそれぞれのものであり、これをすれば人生の成功者であると画一的に言えるようなものはありません。知識は眠らせていては意味がないといいましたが、中にはひたすら知識を貯め込むことを至上とし、それこそを人生の目的とする方もおられるでしょう。ですが、一般的にはそういった人は稀であり、大半の人は美味しいものが食べたいだとか、あそこへ行ってみたいだとか、そういった欲望を自由に満たすことが出来るようになりたいと考えていると思います。ですが、現実社会というものはどこまでも現実的で会社や学校、法律や常識など、多くのものに僕たちは縛られ、この欲望を簡単に満たすことが出来ないようになっているわけです。

ですが僕たちは何も好き好んでこんな訳のわからない鎖に縛られているわけではありません。こんな鎖の中に身を置かなければならない理由は細々と挙げていけばキリがないのですが、一番大きな部分としてはやはりお金、英語で言えばMoneyにあると言えるでしょう。即ち、自由に使えるお金がないから僕たちはいつまでたっても自由になれないわけですね。だらだらと書いてきた割にすげー普通の結論しか出て来なかったので自分でも少し驚いています。

こういうことを言うとたまに「お金がなくたって幸せはある!」と脳に重大な欠陥を抱えているとしか思えない人が現れますが、今はそういう話はしてないので無視します。信仰の世界なんかで力強く生きていって欲しいと思います。そもそもそういうことを言い出すやつに限って生きていくには困らない程度の金は持ってたりするので全く信頼できませんね…。

 

いまの社会はどうあがいたところで資本主義が闊歩していますので、極論にはなりますが、「人生の成功者=お金持ち」であることは否定しきれません。僕は1年くらい前にこの恐るべき真実に気がついてしまいました。皆さんは気がついていましたか?もし気がついていたならどうか黙っていて下さい。なぜならば、僕だけこんな歳まで気がついていなかったというのはとても恥ずかしいことだとも気がついてしまったからです…。

ですが、いつまでも恥ずかしがっていては仕方ありません。気がついたなら、それを活かすことで人生を豊かに、成功に向かって進んで行けばいいのです。こういう切り替えの早さが僕のいいところだとよく褒められます。

とりあえずお金持ちになることが成功者への近道だということには気がつけました。こうやって文章にしてみると途轍もない小学生っぽさがにじみ出てきますが、僕はもう25歳です。小学生に比べ、取れる手段は多く、やろうと思ったことは大抵試せる立場ですから、年齢のアドバンテージを活かしてガンガン稼いでいってやろうと思います。

 

そして今年に入った頃に僕は一つの答えにたどり着くことが出来ました。

僕がたどり着いた答え、それは「投資信託」でした。投資信託というのは株取引の親戚みたいなもので、色々な株式をまとめて取り扱うことで、長期的な立場では儲けやすくなる魔法のようなものです。なかでもインデックス投資というものがいいそうです。金の匂いに敏感すぎる僕は、「今こそ知識を蓄える時!こんなにも金儲けに直結する知識があろうか!(あるはずがない!)」と、思わず反語的表現が飛び出てしまうほどに意気込んで勉強を初めたのですが、内容が難しすぎて5割くらいしか理解することが出来ませんでした。すいません…、5割というのも見えを張ってしまいました…、実際は3割がいいところだったような気がします…。

でもいくつかわかったことはあったので、勉強の甲斐があったというものです。わかったことを以下にまとめてみます。

・長期投資に向いている(早く始めるほどよい)

・少額から始められる(月100円からでもOK)

・投資のテクニックは不要(むしろ何もしないほうがいいレベル)

以上の3点です。これを知ったときの僕の気持ちとしては、「あれ?これって小学生くらいから始めてたほうが良かったんじゃないの?」でした。先程、小学生に比べて年齢のアドバンテージがあるとかどうとか述べていましたが、完全にそんなものはありませんでした。何ということでしょう。僕は発想が小学生っぽいばかりか、年齢のアドバンテージでは完全に小学生に負けていたのです。

ですが、いつまでも小学生には負けていられないので、僕はその後もたゆまぬ努力を重ね、他にも、

・購入の時期を分散させたほうがリスクが小さい(株価は上がったり下がったりするからバラバラの時期に買って平均を取れば、大きくは儲からないけど損もしにくい)

という重要と思われることなんかも学ぶことに成功しました。こうやってたゆまぬ努力を重ねていけるところは評価してほしいものですね(ちょっとネットで調べれば誰でもすぐに分かります)。

 

さて、いよいよ実践です。1月下旬には投資信託や株式を購入するために必要な証券口座も作り終え、口座への入金も済ませました。これからは愚直に積み立てていくだけで20年後くらいにはバラ色の未来が待っているのです。若干未来すぎる話のような気もしましたが、そこには目を瞑って早速投資の世界に飛び込みます。

ええっと、いま貯金がこれくらいあるから毎月の給料と合わせて積み立てるとして…、毎月の積立額はこれくらいでいいかな…。

無理のない返済計画を、とはよく聞くフレーズですが、僕はその数歩先を行く男。貯金でコツコツお金を貯めるどころか、それを投資に回すことによってさらなるお金の獲得を狙っていきます。投資の世界に飛び込んだことで、なんだか僕は自分が立派な大人になったような気がしました。

次の日、自分の証券口座を眺めに行くと、僅かではありましたが、早速プラスが出ていました。これに気を良くした僕は、あろうことか当初の目的であった毎月積み立てるという目標が端から無かったかのように、残りの貯金も突っ込むべきなんじゃなかろうかという思いに駆られてしまいます。このときの僕の頭は恐ろしく単純化されてしまっており、しっかりと勉強したはずの「購入の時期を分散させたほうがリスクが小さい」なんてものは完全に吹き飛んでいてしまったのです。だってさあ、どうせ上がっていくなら、最初にドカンと買っといたほうがいいじゃん?と僕の頭に巣食う何かは囁きました。

結局僕は、「買わずに後悔するよりも買って後悔したほうがいい」だとか、「習うより慣れろって言葉もあるしやってみないと分からない」という頭の悪すぎる言い訳の基、なんとまあ愚かなことにも、貯金の大部分を速攻つぎ込んでしまいました。

 

そして迎えた一週間後。僕は絶望的すぎる後悔に苛まれていました。

なんだかよく分からないうちに株価がドンドコ下がっているのです。ハッキリ言って意味がわかりませんでした。いや、意味はわかっています。散々勉強しましたからね。株価は下がることだってあるのです。ただ、なにも僕が買ってから1週間経たないうちにガンガン下がり始めなくてもいいんじゃないですか…。

2ちゃんねるなんかに毎日スレが立てられていたのをよく覚えています(僕は未だに2ちゃんねるから得られる知識こそが本物だと思っています!)。一部では値段の下がり方が過去の経済危機の始まりに似ているとかで、ここから世界恐慌につながっていくんだと煽られていてマジでビビらされました。

幸いにも、そこから更に株価が暴落するようなことはなかったのですが、一度下がったものはなかなか戻らず、投資の世界に飛び込んでから1ヶ月も経たないうちに貯金を10%近く減らしてしまうという醜態を晒してしまったのでした。比較的リスクの小さいと言われている投資信託ですらこんな有様ですから、他に手を出していれば今頃、のんきにこんな日記を書いていることもなかったかもしれません。これに懲りた僕は、最初に決めたルールは守ろう、もっとしっかり勉強しようと心に誓ったのでした。

 

今日になって突然こんな半年前の出来事を綴ったのには理由があります。

今日の昼頃だったでしょうか、父親からの一本の着信がありました。勤務中であることが明らかであるにもかかわらず、電話をかけてくるなんてのはただごとでない予感がします。我が家は家族の連絡事項は母親経由で行われることが多いため、父親からの電話ということも、僕をいっそう緊張させました。まさか、母親の身に何か…?

しかし、いざ電話に出てみると、その内容は「株の買い方を教えてくれ」という、それは仕事が終わるまで待てなかったのか?としか思えないどうしようもないものだったため、思わず電話を叩き切りそうになるのを抑えるのに精一杯でした。

なんとか話をきいてみると、どうやら上がりそうな株があるが買い方がわからない。そういえば、息子が証券口座を開いた話をしていたから一度聞いてみようと思ったとのことでした。

その肝心の息子は、半年以上経ってようやく減った資金をトントンにまで持ち直した実績はあるものの(別に勉強したとかじゃなく、分からないから放っといたらいつの間にか戻ってた)、別に詳しいわけではないので、証券口座の作り方くらいしか教えることが出来ないのですが、アドバイスを求められているわけではなかったらしく、一方的に話は進んでいきます。

上がりそうな株というマジックワードには大変心惹かれる物があったので、詳しく聞いてみようと思ったのですが、どうやら父親が勝手にそんな気がしているだけで別に根拠はないとのことだったので、思わず「それってただのギャンブルと変わらないのでは…?」という至極まっとうな意見を述べたのですが、「でも儂が上がると思ってるねん!」という、有無を言わさない一言にすべてを封殺されてしまいました。

あと、電話の最中に「やっぱな、株とかも一回買ってみんと分からんこともあると思うわ。それにほんまに上がったらなんで買わんかったんやって後悔するしな」とどこかで聞いた覚えがありすぎることばかり言ってたので、やはり血は争えないんだなあと思うことしか出来ませんでした。

 

僕の予想が確かならば、父親が目をつけた株式は買った瞬間からズルズルと下がっていくだろうと思われますので、しばらくの間見守っておこうと思います。こうやって日記を書いている間にも、最初に聞かされたよりも多くの株式を買おうと思うという旨の会話を投げかけられたため、これはもう確実だろうと思います。(「買ってみんと分からんしなー」としか返せませんでした)

人生の勝利者になるために

僕もそろそろいい歳の大人になってきたわけですから、当然この熾烈な現代社会をこれからも生き抜いていくために社会の仕組みを知っておかなければなりません。少し前までの僕だったら「社会の歯車になんか!!なりたくねえ!!」と全力で家に引き篭もり続ける方法を模索していたところですが、それでは両親亡き後悲惨すぎる未来が襲いかかってくることが容易に想像できたため、日々勝ち組になるべく努力中というわけです。ソシャゲなんてやってる場合ではないのです。

ですので、最近はもちろん定時で速攻帰宅、書籍を読み耽り、自分を高めることにマジ余念がありません。(主な参考文献:「羽月莉音の帝国現代社会を成り上がっていく高校生を描いたライトノベルです!、「リアル人生ゲーム完全攻略本」現実世界をゲームと見立て、目標を「幸福値の増大」と捉えた斬新な実用書!)見方を変えれば、みんなが残業で苦しんでいる中、一人颯爽と帰ってしまうのは会社内での評価が芳しくないものになってしまいそうな気もしてきますが、これも会社という小さい組織ではなく社会という大きいフィールドで成り上がっていくためですから仕方ありません。こういう一方を追求するために他方が犠牲になってしまう状況をトレードオフといいます。おっと、勉強の成果か、このような知的な言葉もサラサラと出てくるようになってしまいましたね。成長を実感します。

 

先程挙げた参考文献を振り返ると少し、というかかなり…?ジャンルが偏っているような気もしますが、これも仕方のないことです。なにせ僕は小学生の頃、週刊少年ジャンプで漢字を覚えていたくらいですから、わからないことを調べるために漫画やライトノベルに頼ってしまったのも当然というものでしょう。そもそも昨今は何が真実で何が虚構かわからないような時代なのですから、ぶっちゃけ何から学ぼうと大した違いなんてないのです。そう、これは学び。決して娯楽のために読んでいるわけではないのです。

MASTERキートンで主人公である平賀=キートン・太一は以下のように語っています。

「人間は一生学び続けるべきです。人間には好奇心……知る喜びがある。肩書きや、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです……では、なぜ学び続けるのでしょう? ………それが人間の使命だからです。」

僕はこのセリフがもう本当に大好きで、初めて読んだときから心に刻んでいたのですが、最近になってようやく人間の使命を果たすことが出来始めたような気がします。まあ僕の場合は「勝ち組になりたい」という世俗にまみれ過ぎた理由が根底にあるのですが、学ぶ姿勢に大きな違いはないはずなのでセーフということにしておきましょう。

 

そんなわけで僕は今日も自分を高めていくのです。最近は人の上に立つことにも興味が出てきており、教室の隅っこで漫画を読んでいた自分がどこかに行ってしまったような気さえしてきます。文化祭の日にも漫画を読んで時間を潰し、クラスメイトから何故か僕だけ君づけで呼ばれていたあの頃の自分はもういないのです。

そんな僕が今日読んだ本は「完全教祖マニュアル」です。宗教の本質と教祖の役割について述べられた本書を読んで、またひとつ、自分の中の可能性が広がったような気がしました。

やめようソーシャルゲーム

聡明なる僕は去年の暮れに「ソシャゲなんてものは時間とお金を際限なく奪っていく悪魔の遊戯でしかない」と気付いたので、今後の人生のことを思うとどう考えてもこんなものはとっとと止めてしまった方がいいという結論を導き出し、即座にすべてのゲームをアンインストール、以って日常生活からソシャゲという悪魔を駆逐したはずなのですが、今現在ふと手元のスマートフォンを覗いてみると、そのホーム画面には威風堂々とソシャゲのアイコンが佇んでいたため、僕はこの悪魔の生命力の高さに驚くことしか出来ませんでした。

ですがそれ以上に驚いたのは、僕よりも先にソシャゲ地獄から脱出し、その後はソシャゲをやってる僕を散々馬鹿にしてきた友人にソシャゲに復帰してしまった旨を伝えると、さも当然のようにマルチプレイのお誘いを受けたことでした。どうやら友人の方もこの呪縛からは逃れきれなかったようで、僕を馬鹿にしながらも普通にソシャゲを再開していたそうです。自身も続けているのに相手だけは否定するという友人の精神構造はもう完全にどうかしてしまっていると思いますが、まあでも僕も再開してしまっているので特に何も言えませんでした。そこには、あまり強く言ってしまうと一緒にゲームをする仲間が減ってしまうのではないかという何とも消極的な、情けない懸念もあったからです。

 

そんなわけで昨晩は勤務時間終了後、日中の勤務態度からは想像もつかないような俊敏さでデスクを離れ退社し、帰路の途中で友人と合流しゲームに興じるという、あまり花金と呼ぶには相応しいと思えないようなことをするハメになってしまったのでした。こういうことの積み重ねがきっと会社内での立ち位置などを決定していくことになるのでしょう。そう考えた場合、このような行動が上司からどう思われるのか、その細かなところまでは末端である僕にはちょっとわかりませんが、でもどうやら世間一般的に考えてみると、これはちょっと…あまり、よろしくない…のかな?まあでも会社に残っていたところで、楽しいことなんてビタイチあるはずがないのでどうでもいいことですね。むしろこういうところから「あいつは時間を守れる男だな…」的な出来るオトコ評価を受けることもあるかもしれませんし。

周囲の残業をものともせずゲームをするために友人と合流した僕は近くのファミレスへと向かいます。ファミレスでは台風の影響でものが入ってこないとかで、サバの味噌煮とデザートが数点しか注文できないというハプニングにも襲われてしまい、あわやゲームどころではないかとも思われたのですが、普通に考えて何食ってもゲームには関係がないと気がついたので適当に注文を決め、早速ゲーム開始です。ですが開始5秒後には攻略する予定だったダンジョンに必要なモンスターを友人が持っていないということが判明したため、即座にゲームは中断、手際の悪さにブチ切れた僕は友人のスマートフォンの画面をバキバキに粉砕してしまったのでした。

ですがスマートフォンには保護シートが綺麗に貼られていたので、とてもバキバキには出来ないと気づいた僕たちは、何食わぬ顔でまずは必要なモンスターを育てることに決めたのでした。育成が面倒なタイプのモンスターであったため、準備には時間がかかってしまいましたが、それでも二人で協力して準備をするってのはなかなか楽しいものです。こうやって協力して一つの目標に向かって進む感覚が味わえるところはソシャゲも悪くないのかもしれませんね。

なんとかお互い必要なモンスターも用意でき、もともとの目標であったダンジョンに挑みます。僕たちは二人とも一時的にゲームを止める前までは、当時最難関と呼ばれていたダンジョンをクリアしていたくらいにはゲームをやりこんでいたのですが、今日挑むダンジョンは止めていた期間中に実装された更に難易度の高いダンジョンだということで、かなりの困難が予想されます。予め攻略情報を見ることはしたくないという見解の一致もあり、無知のまま挑むのですからなおさらです(何があるかわからないので高い汎用性をもつ便利なモンスターを用意していた)。

 

いざダンジョンに挑みます。思えば友人と一緒にダンジョンを攻略しようとするのも約1年ぶりです。考えうる最高のパーティも組んだ。どの敵が出てきたらどう動くか対処も決めた。たとえ未知の敵が現れてもこの二人ならきっと攻略できるはず。ソシャゲは無駄だと思った時期もあったけど、こうやって友人と一緒にワクワクを感じさせてくれるものを一方的に悪と決めつけるのもよくなかったかもな…。

最初の敵が現れます。どんなゲームもそうだとは思いますが、大抵最初の敵なんかは弱いものです。ここは僕があっさりとクリア。このゲームは交互に敵と戦う形式になっていますので、次は友人の番です。さっきと大差ない雑魚です。すこし操作ミスがありましたが無難にクリア。いい調子です。

疑問を感じたのはダンジョンも中盤に差し掛かってきたあたりでした。僕が一撃で敵を粉砕していくのに対し、友人は操作ミスが多く、少しずつ取りこぼしが出てきました。このときは久々でカンの戻ってないところもあるのだろうかと思っていましたが、終盤に差し掛かる辺りで敵がこちらの操作時間を減らす攻撃をしてきたあたりで、疑問は確信に変わりました。

友人が使っていたキャラクターは限られた時間内にコンボ攻撃を重ねることで威力を高めるという性質だったのですが、操作時間を減らされてからというものの、全くと言っていいほどコンボを成立させることができなくなり、まともにダメージを与えることが出来なくなってしまったのです。1年前はこうじゃありませんでした。多少操作時間を減らされたところでガンガン敵を滅ぼしていった友人の姿が、今はもう見る影もありません。

我慢できなくなった僕は問いかけます。

「お前、めっちゃ下手くそになってないか?」

その問いに友人は答えず、ただ下卑た笑みを浮かべるばかりでした。僕はなんだかそれをとても悲しいものだと思いました。

それでもだましだまし最後の敵まではたどり着いたのですが、最後はあっけなく全滅してしまいました。その後、他のダンジョンにも挑み、いくつかはクリアできたのですが、そこも僕がほとんどの敵を倒すばかりで、友人は何とかついてきたという感じです。たった一年で僕たちの対等な関係がこんな介護みたいなものになってしまうなんて、一体誰が予想できたというのでしょう。

 

そのうちお互いゲームする気力も尽きたのでファミレスを後にすると、時計の針は4時を指していました。4時…?僕の仕事は定時が5時半ですので、職場を後にしてから10時間以上経っていることになります。丸々ゲームに費やしたわけではないにせよ、最低でも8時間は費やしたことでしょう。8時間以上かけても目当てのダンジョンがクリア出来なかった…?今日集まった意味って一体…?唐突に自分たちが時間をドブに捨てまくっていることに気がついたため、さっきまで考えてた「友人がゲーム下手くそになっていて悲しい」というどうでもいい感情は一瞬で吹き飛び、25歳にもなってこんなソシャゲごときで一喜一憂、あまつさえゲームが下手くそになった友人を見下そうとした自分がとても恥ずかしく思いました。というか、普通に考えてゲームが下手くそになってたところで日常生活に何の問題も生じさせないですしね。むしろこの歳でどんどん上手くなっている方が問題あるんじゃないでしょうか。

もうソシャゲはやめよう。こんな事してても何もならない…。そう思ったとき友人がポツリとつぶやきました。

「ソシャゲってさあ、無駄だけど無駄じゃないんだよな」

それを聞いた僕は、「ああもう完全に友人は壊れてしまった」と当然のように思ったわけですが、どうやら友人は「クリアとか出来なくてもこうやって遊ぶだけで楽しいじゃないか」というようなことが言いたかったみたいです。散々足を引っ張ってたお前が言うなよって感じですが、ぶっちゃけ眠すぎてもうどうでも良くなっていた僕は「そうだな」とだけ返しておきました。

 

その後、腹が減りすぎていた僕たちは松屋に寄って帰りました。ファミレスから出たばかりなのに腹が減っているというのもおかしな話ですが、ファミレスにはサバの味噌煮くらいしかまともな定食が無かったので仕方ありません。松屋では「茄子とネギの香味醤油ハンバーグ定食」を食したのですが、これは滅茶苦茶美味しいのでおすすめです。どうでもいい情報でしたね。

松屋から出るとびっくりするくらいの大雨が降っていたので僕は唖然とするしかありませんでした。なんだかもう色々と疲れてしまった僕は濡れながらも家にたどり着き、とっとと寝てしまうことにしました。このとき、時計は6時を指していました。おかげさまで今日は15時という駄目人間のお手本のような時間に目を覚ますハメになり、僕は今日という日を無駄に過ごすことを予感してしまったのでした。

 

案の定、もう日付も変わったというのに起きてからダラダラしてた記憶しかありません。これはもうソシャゲの悪弊といって間違いないことでしょう。やっぱりソシャゲなんてするもんじゃないですね。(嬉々としてゲームを起動しながら)

合法ロリの時代

いつものごとく昼休みに爆睡を決め込もうとしていたところに、唐突に「合法ロリ」なんて言葉が耳に突き刺さってきたものですから、僕の睡魔がいくら強靭なものとはいえ、このマジックワードの前には為す術もなく吹き飛んでいってしまったのでした。

一体誰が会社というビジネスの場にまったくもって相応しくない言葉を吐いたのかと見回したところ、なんてことはない、隣りにいた先輩が下卑たニヤケ面で「これからの時代は合法ロリの時代なんですよ!」と上司に熱弁を奮っていたので、「ああ、この人は連日の勤務に耐えかねてとうとう頭がおかしくなってしまったのだろうか」と彼のこれからについて同情せずにはいられませんでした。

 

よくよく話を聞いてみると、というかまあぶっちゃけあまり親しくない先輩だったのでほとんど盗み聞きと言えなくはないのですが、とにかく話を聞いてみたところ、どうやらこの先輩は年の離れた奥さんを娶ったらしく、その方の容姿がもはや10代と言ってしまっても過言ではないほど実年齢よりも幼く見えるものであることを自慢していたようです。家庭の話をするにしてもなぜこんな訳のわからない自慢をしているのか、こんな話を聞かされる上司は笑顔の裏側で何を思っているのか、など疑問は尽きないのですが、なんだか面白そうな気配がしたため、貴重な睡眠時間を削って二人の話に聞き耳を立てることにしました。会話に混ざればいいじゃんと思われるかもしれませんが、同じ会社といえどあんまり親しくない人と話すのは相当な気力を要する、そもそもこんな会話に混ざったところで火傷する未来しか見えない、などの理由から参加を見送りました。我ながらこういう判断ができるところは立派だと思います!

 

聞き耳を立て始めたのは良かったのですが、先輩は相変わらず壊れたラジカセのように「合法ロリの時代が来る!」と繰り返すばかりですし、上司は上司で「でも年齢差のある夫婦だといろいろ価値観があわないところもあるんじゃないか?」とこのタイミングでする必要のない心配をする始末。そんなところを心配するなら突然「合法ロリ」なんていい出した部下の心配をしてあげるべきではないでしょうか。というか、こんなにも噛み合ってないのになぜ彼らは会話が成り立っているのか不思議でなりませんでした。

 

その後も話を聞いていたのですが、最初の「合法ロリの時代が来る!」発言以降、特に面白いこともなかったので僕は先輩がロリータコンプレックスという性癖と現代社会通念との板挟みにあった結果、このような主張を会社でぶち上げてしまったのだと結論づけて遊ぶことにしました。

 

 

 

ロリータコンプレックス

ーーー幼さにしか興奮できなくなってしまった俺はーーー

 

援助交際とかしてそうだよね~笑」

「めっちゃしてそう!笑」

合コンなんかで言われる俺の印象がこれだ。こんなことを言ってくる女にろくなやつなんていやしない。年を食った女はみんなこうだ。本人たちにすればおふざけのつもりかもしれないが、相手の気持ちなんか全く考えてもいない。自分たちがその場を楽しめたらそれでいい。そんな短絡的な女なんてこっちから願い下げだ。

 

その日の俺は学生時代の友人がセッティングしてくれた合コンに参加していた。

向こうは友人の職場の女性たちらしいが、ハッキリ言ってレベルが低いと言わざるをえなかった。世間一般にはいい人もいるのかもしれない。だが俺はどうしても彼女たちが自分を馬鹿にしているようにしか思えなかった。こっちを見てクスクス笑うだけならまだしも、目が合うと露骨に嫌そうな顔をする、俺が箸をつけた皿には手を付けない、そのくせ、友人がポツリと言ったくだらないギャグには馬鹿みたいに笑う。今日も俺に合う女はいないようだ。

 

きっと俺がおかしいのだとは分かっている。初対面で「援助交際してそう」なんて言われるのは異常以外のなにものでもない。でも俺ももう30を超えてしまった。今更この生き方を変えるなんてきっと無理なんだろう。こんな俺でも結婚したいという、人並みの欲はあるというのだから我ながら笑ってしまう。好きでこうなったわけじゃない。気がついたらもうこうなってしまってたんだ。

 

「今日はいい子いるかな…」

こんな日にはSNSを覗きに行ってしまう。そこには「サポ希望」「援助」「オフパコ」なんて言葉が溢れていた。なんてことはない。合コンで彼女たちが俺に抱いた印象はそのまま当たっていたわけだ。こんなことを初めてもう5年になる。最初はビクビクしながら罪悪感に苛まれたものだが、今ではもう何も感じなくなってしまった。それどころか今ではもう、幼い顔つきでしか興奮できなくなってしまった。慣れというのは恐ろしいものだ。

「これから会える人いませんか?JK1です」

ふとそんな書き込みが目に留まった。なんてことはない書き込みだが、なぜか心ひかれてしまうところもあり、この子に連絡を取ってみることにした。

「はじめまして。もしよろしければこのお会いしませんか?」

 

1時間後。

話はトントン拍子に進み、その子とは難波にある喫茶店で会うことになった。顔写真なんかは見てないから容姿はわからないが、その後のやり取りから生真面目な印象を受けた。すくなくとも合コンに来ていたような女どもよりは遥かにいいだろう。コーヒーを飲みながら待っていると、カランコロンと扉の鈴が鳴った。小柄な女の子が入ってくるのが見えた。あの子だろうか。

 

「はじめまして。〇〇さんですか?」

呼ばれた名前は間違いなく自分のものだったが、とっさに返事を返すことが出来なかった。

「あれ?〇〇さんじゃないですか?失礼しました…!」

その言葉で我に返る。

「ああ…!ごめんごめん!俺であってるよ」

「ああ…よかった。別人に話しかけちゃったかと思いましたよ」

「ほんとゴメンね。ちょっとぼーっとしてて…」

なんとかそう返したものの、未だに俺の心は一向に落ち着く気配を見せなかった。こうなってしまった理由は単純だ。情けないほど単純なものだ。

可愛かったのだ。まさかこんなに可愛い子が来るとは思っても見なかった。大抵こういうのに来る子というのはクラスでも中の上くらいまでの子で、本当に可愛い子が来ることは滅多にない。だというのに、今目の前にいる子はこのまま芸能界に連れて行っても即通用しそうなくらい可愛い子だった。

 

すぐにホテルに行くつもりだったが、このまま行ってもこちらが緊張してしまって楽しめないかもしれない。落ち着くためにも少し喫茶店で過ごしてから行くことにした。

「君もなにか飲む?」

「いえ、いいです。お金もないですし」

「それくらい奢るからいいよ。好きなの飲みなよ」

「それもなんだか悪いですし…。飲み終わるまで待ってますよ!」

そう言って対面に座る。ゆっくりと飲み物でも飲みながら距離を詰めようと考えていたのだが、一人だけ飲んでいるのはなんだか気まずい。結局、あまり会話が弾まないまま、さっさと飲み終えてホテルに向かうことになってしまった。

 

当初はどうなることかと思ったものだが、いざことを始めると普段どおり振る舞うことが出来た。それどころか、やはりかわいいは正義ということだろうか、いつもよりも遥かに興奮している自分に気付かされた。

終わってから少し話をした。こんな可愛い子がなぜこんなことをするようになったのか、どうしても気になってしまう。また会いたい気持ちもあり、嫌われないよう、説教臭くならないように気をつけて聞いてみたが、向こうもそういう質問にも慣れているらしく、なんでもないかのように答えてくれた。

 

3年前に両親が離婚し妹とともに母親に引き取られたこと、高校に入ったくらいから父親と連絡がつかなくなったこと、授業料を賄うために母親が仕事を増やしたこと、負担が大きくなりすぎて母親が体調を崩してしまったこと、母親の代わりに自分が稼がなくてはならなくなったこと、放課後のアルバイトだけではそれを賄うことが出来なかったこと。彼女はすべてを話してくれた。

それは陳腐といえば陳腐なものだったが、お話で聞くのと実際に目の当たりにするのとでは捉え方がやはり異なる。もちろん、この話は彼女が同情を引くためについた嘘かもしれない。だが、妹との2ショット写真を見せてくれながら浮かべていた悲しげな彼女の笑顔を見ていると、どうしてもすべてが嘘だとは思えなかった。気がつけば一筋の涙が頬を伝っていた。

 

「ごめんなさい…。こんな話聞かせちゃって」

「いやいや、俺が聞いたんだし。むしろ話させちゃってごめんね」

「そんな…。聞いてもらえて楽になりました。泣いてくれたのはあなたが初めてです」

この涙はただ彼女のことを思って流したものではない。今まで援助交際という罪を重ねてきた自分や、妹がいると聞いてあわよくば3Pとか出来るんじゃないかという卑しさを浮かべてしまった自分があまりにも情けなくなってしまったことも含んだ涙だった。

だが、彼女のことを思ったのもまた事実だった。彼女だけではない、うら若き乙女が援助交際という道へ落ちなければならなくなってしまう社会構造そのものをなんとかしなければならないと思った。

 

そうして俺は即座に行動を開始した。もちろん一介の会社員にすぎない自分にできることは限られている。でも、実体験で苦しんでいる人がいると知ってしまった以上、じっとしていることなんて出来やしなかった。

 

翌週には家出少年・少女を救う活動をしているボランティア団体に所属し経験を積みつつ、自らも半年後には未成年者の相談所となるべくNPOを設立。この活動を通して現在の妻と出会う。童顔の彼女は彼にとってベストと言えるパートナーであり、彼女との出会いをきっかけに彼の活動はますます熱心なものとなっていく。

2年後には市会議員に立候補し、見事当選。その後は、青少年の健全な育成に主眼を置いたマニフェストを武器に府知事にまで昇りつめ、50歳時に国会議員に転身、文部科学大臣などを経て65歳にして内閣総理大臣に任命される。教育に力を入れる傍ら、ロリータコンプレックスに苦しむ多くの男性を救おうと、未成年者に対する劣情を抱いてしまったものに対する社会保障を充実させる法案(通称:合法ロリ法)は後世においても評価され、今の日本の教育の礎となった。後に彼の任期は「合法ロリ時代」と呼ばれることになる。