インターネットのけもの

全て妄想です。

【30歳になってしまった僕は】~競馬企画の消失、他~

この前の日記の続き。

アマガミSS」と「アマガミSS+ plus」見てたら書きかけのまま忘れそうになってしまった。先送り癖よくない。

 

 

・競馬企画の消失

昨年夏にJRAの全競馬場十場(札幌・函館・福島・新潟・東京・中山・中京・京都・阪神・小倉)を全部回って帯獲得(馬券で100万円以上の配当を得ること)を狙うという企画をふと思いついたので、以前に「日本人の恥さらし賞」なる大変名誉な賞を授与してくださった某WEBメディアに相談したところ、書いたら載せてもええよと快い返事が。

もともと載せてもらえないにしても、全競馬場を巡ってその顛末を書き記すことはしようと思っていましたが、書くからにはやはり大勢の人に見てもらえた方が嬉しいもの。しかも掲載料まで頂けるというのですから思わず笑みがこぼれます。

そんなわけで2022年、20代最後の夏は日本各地の競馬場を巡る夏となったのでした。

 

僕の頭の中では、各地の競馬場を巡り馬券勝負を繰り広げる中で、大勝ちはしないまでも交通費くらいは稼いでトントン、あわよくばマジで帯獲得しちゃおうというお花畑のようなロードマップが展開されていたのですが、まあこれが恐ろしいくらいに思い通りに行かない。

掲載料として提示されていた金額は最初の競馬場に訪れた時点ですべて吹き飛び、初っ端から大赤字のスタート。次で巻き返してやろうと思ったものの、その後競馬場を4つ回った時点での馬券的中がまさかの0。馬券収支がプラスだった競馬場が0じゃないですからね。馬券的中が0。つまり一度も馬券が当たることのないまま、4つも競馬場を訪れたことになります。僕ってこんなに競馬ヘタクソだったのか。

別に記事を書いて稼いでやろう!なんて気持ちで始めたわけではありませんが(あったらこんな金のかかる企画はしない)、このまま終わってしまうのはあんまりです。お金がなくなったぶん、せめて何か得るものを、せめて良い文章に仕上げられるようになろうと、しこしことキーボードを叩き続けました。

そこには「公開されたら「推し」に見てもらっちゃお~」という割りと邪な思いもありましたが、残念ながら「推し」は企画の終了を待つことなく卒業してしまったので、もとよりこの企画は呪われたものだったのでしょう。

 

そしてなんとか全競馬場を巡りきり、大赤字のままで旅を終えることに。北は北海道から南は福岡まで、日本各地を訪れたわけですから旅費だけでもかなりのものになります。それに加えて馬券のマイナスも伸し掛かってくるというのですから、その悲惨さは推して知るべしでしょう。

そんな逆境にもめげることなく、記事用の文章もなんとか書き上げ、某WEBメディアに入稿完了。担当してくれた方が内容チェックするとかで暫く待つことになりましたが、これでひとまず僕のひと夏の思い出を公開する準備は整いました。俺のひと夏かけた失敗を、せめて誰か笑ってくれよと願いながら、連絡を待ちます。

 

しかし、待てど暮せど連絡が来ない。

修正したい箇所が見つかったこともあり、こちらから連絡してみたところ、向こうでチェックした結果、修正が必要な箇所が見つかったので、それを連絡するまでは待ってほしいとのことでした。修正箇所は近日中にまとめて送ってくれるそうです。

それが昨年10月の話でした。それから今に至るまで続報はありません。

 

お察しのとおり、この項はほとんど愚痴みたいなもんなんですが、それにしても載せるって言ったからには責任持って対応してもらいたいもんです。

別に面白くなかったからボツってんならそれでもいいんですが、修正箇所送るって言っておいてそのまま宙ぶらりんにするのは違うと思うんですよね。しかもどうやら、僕のネットストーカースキルを駆使して調べたところ、修正箇所を送りますって言ってた方はどうやら既に某WEBメディアを辞めているっぽい。多分引き継ぎとかもしてないんだろうな。

いっそこのブログに載せようかとも思いましたが、一度向こうに送っている以上、勝手に載せるのもなあとか迷っているうちに今になってしまいました。でも不思議と悔しい思いはそんなにありません。

たぶん「推し」が卒業してしまい、読んでもらいたい相手がいなくなったのが一因なのでしょう。あと、読み返してみたら冗長な表現が目について、あんまり面白くないかも?と自分で気付いてしまったからと言うのもあります。

今日の日記もそうですが、普段は全然書かないくせに、いざ書き始めると書きたいことが多すぎて冗長になってしまうのは悪い癖です。おお、なんか自分を見つめ直している感じが出て上手くまとまりましたね。いや、まとまってないか。

 

今にして思えば、連絡が返ってこなくなった時点でもっとやりようはあった気がします。トップページからお問い合わせメールを送ってみるなり、twitterでDMを送ってみても良かったかもしれません。

なんにせよ必要だったのは、自分はここにいるとアピールすること、舐めた真似をしてはいけない相手だと思わせることだったのです。

 

話は少し変わりますが、僕は日常生活において怒ることがほぼありません。もう10年以上、怒鳴った記憶もありません。別にこれはクールな俺カッコいいやろ的なアピールでもなんでもなく、単に僕が小心者だという話です。

そんなこともあってか、僕は割りと舐めた態度を取られることが多いのですが(例:後輩に社内チャットで話しかけた途端相手のステータスが「退席中」になる、全然仲良くない人から結構遠い場所へのお使いを頼まれる、など)、そんな僕が明確に「こいつは僕のことを舐めているんだな」と思う瞬間があります。

それは自分の時間をないがしろにされた時です。

 

人が持つものの中で一番貴重なものは時間です。お金や人間関係という考えもあるかもしれませんが、これらは時間があってこそのものであり、逆に言えば時間があるからこそ、それを費やすことであらゆるものが手に入るのです。

この時間という貴重な資源をぞんざいに扱われたとき、僕は明確に舐められていると感じるのです。

 

べつに僕は自分は時間をうまく使えているとは思っていません。ついスマホを見てしまって無為に時間を過ごしてしまうこともあれば、特に予定のない休日を迎えたら何もしないまま夜になっていた、なんてこともしょっちゅうあります。

ただしこれはあくまで自分の選択であり、自ら好んで時間を無駄遣いしているだけです。そこに責める相手はいませんし(強いて言えば自分を責めるくらい)、だれの迷惑にもなっていません。気に入らなければ自分で改善すればよいだけです。

例えば、今回書いた競馬記事を最初からブログに書くつもりで書いていたとしましょうか。このとき、書いたものを載せるか載せないかは完全に自分の判断です。面白くないと思えば載せなくてもいいですし、あるいは気になるところを直して載せても良いでしょう。載せない場合は書くのにかかった時間が無駄になってしまいますが、自分の判断なら納得できます。

 

しかし、ここに他者という要素が加わってくると話は変わります。

当然ですが、なんのために書く文章かで文章の書き方は変わってきます。極端な話、仕事でメールを送るときと、日記を書くときの文章とが同じはずはありません。

それこそ、こんなインターネットの孤島みたいな場所で書いているだけなら好き勝手オナニー文章を書き散らしておけばよいですが、より多くの人に読んでもらう文章となると、思うままに書きなぐるだけでは成立しないでしょう。

展開がわかりやすいように、時には平易な表現を使ったほうがいいでしょうし、過度な下ネタも控える必要があります。あと僕は自分の文章にしょうもないツッコミを入れられるのが死ぬほど嫌いという厄介な病を抱えていますので、より頑強な文章となるよう資料を漁って補強をする必要もあります(過去に電車と汽車の違いを突っ込まれて発狂しそうになった)。

そうなると、普段文章を書くのにかける時間よりもさらに多くの時間を費やす必要が出てきます。これはより良い文章に仕上げるために必要な時間がどうというわけではなく、単にどこに合わせて最適化するかという話です。

どこに合わせて最適化するか、それにどれだけ時間を費やすのか、それがつまり相手のために使う時間となります。いうなればこれは相手のためにかける時間というコストです。これは相手がいなければ発生し得なかったものであり、コストに対して対価が得られないというのであれば、自分だけコストを払うのは馬鹿らしいものです。

ここで掲載料という要因がちょっと邪魔になりますが、今回の場合はそれ以前の問題なので一旦脇に置いておくことにします。今更ながら例えが悪かったかもしれません。まあでも肝の部分は伝わっていると信じておきます。

あと勝手に対価とか期待してんじゃねーよという意見もあるかもしれませんが、与える一方だとしんどくなるのが人間関係なので、どんな形であれやはり対価があるがある方が健全だと思います。

要するに、相手に合わせて掛けた時間をフイにされるような態度を取られると、どうしても大事にされていないと感じる=舐めてんじゃねーぞ…的な感情を抱いてしまうよねという当たり前すぎる単純な話なのですが、冗長になってしまいましたね。悪い癖です。

 

正直、載せてもらえるという話になったときはかなり嬉しかったのですが、こんな対応されるくらいなら最初から拒否されるか、原稿送った段階で面白くないからボツってバッサリいってほしかったですね。こんな舐めた終わりになるとは…。

舐められることをなくすためにも、もっと自分の時間を大切にして、大切にしてくれる人たちと生きていくべきなのでしょう。

これは有意義な30代云々だけに留まらず、より良い人生を生きていくために言えることのような気がします。

 

 

 

・ゲーム新時代

昨年11月、これまで10年以上使っていたPCが急に立ち上がらなくなりました。電源ボタンを押してもファンがふぉーんと間抜けな音を立てて少し回るだけで、OS起動はおろかBIOSの画面すら立ち上がりません。

ですが僕は全く焦っていませんでした。

なんてったって僕は高校・大学とバリバリの理系として過ごし、果ては大学院にまで進んだ男ですからね。そもそも、PCだって自作で組み立てたものです。ここはいっちょ、サクッと修理して男としての格の高さを見せつけてやるとしましょうか。

 

1時間後。

そこにはPCのケースを開けるだけ開けて、途方に暮れている男の姿がありました。

ば、ばかな…!僕は理系の院卒様だぞ!?PCの不調ごときが直せないなんて、そんなことがあっていいのだろうか。(いや、ない)(反語)

しかし、よく考えるまでもなくPCの修理と学歴には特に因果関係はないですし、そもそも自作と言っても高校時代の友人に丸投げして組んでもらったものなので僕は中身をよく理解していません。修理できないのも当然の話でした。

インターネットとかいうチンピラツールを使って色々調べてみたところ、どうやら電源が怪しいらしいことをなんとか突き止めることが出来ました。普段は嘘にまみれているインターネットですが、たまには役に立つようです。

 

電源を交換すればまた動くようになる可能性があるようでしたが、聡明なる僕は新たな選択肢を探し当てていました。

それは新しいPCを購入するということです。

聡明と言っておきながら、導かれた結論の平凡さに戦慄するばかりですが、要するに「もう10年以上も使ってるんだし、他のパーツもヤバそうだからここらで一気にあたらしくしようぜ!」というだけです。

ちょうど良い感じのスペックのPCがセールになっていたこともあり、僕は音もかくやというスピードでおニューのPCを注文したのでした。

 

それから約2週間後、待ちに待ったnewPCが我が家にやってきました。

新しいPCを導入した僕が最初に行ったこと、それはKomifloワニマガジンの提供するエロマンガ読み放題サービス)の閲覧でした。

これにはもちろん理由があります。理由がないことをすることもよくありますが、これに関しては明確な理由がありました。

先のPCが急逝してから新しいPCが来るまでの2週間、僕はもう二十年ぶりにもなる自宅にPCがない環境を味わっていました。こうなると困るのはなにか。それは満足にインターネットが見れなくなることです。

もちろん僕はスマホを持っています。ちょっとtwitterを見るだけのはずが、気がつけば二時間経っていた、なんてこともザラにあるくらい普段からガッツリ触っています。しかし、しかしそれでも、僕はスマホでエロコンテンツを見ることはありませんでした。なぜなら、こんな小さな画面でエロコンテンツを見たところで、十分な満足は得られないし、どう考えてもPCがあるならPCモニターの大きな画面で見たほうが楽しいに決まっているからです。

 

そんな僕が2週間もPCがない環境に置かれたらどうなるでしょう。

当初は2週間くらい我慢できるだろう、我慢できなくなっても最悪スマホで紛らせたら大丈夫だろうと軽く考えていました。

しかしPCを失って数日経った頃、快楽天の最新号が更新されたとあって我慢できずにKomifloにアクセスした僕は愕然とします。

「び、びっくりするほど心が動かない…!?」

そう、普段はあれだけ楽しんで読んでいた快楽天が、どれだけ読んでも驚くほどつまらないのです。作品が悪いのかとも思いましたが、作者は僕がもう何度もお世話になっている大先生です。普段であれば抜けないはずがありません。それもPCが使えなくなってから一回も抜いていない状態です。抜けないほうがおかしい。

なぜこんなにも楽しめないのか。普段との違いはなにか。それは考えるまでもなく明白でした。

スマホです。スマホの小さい画面だから駄目なのです。あの感動を、素晴らしいエロスを感じるためにはこんな小さな画面では狭すぎるのです。

こんな状態で読み進めては作品に対しても失礼です。そうして僕は、新しいPCが来るまでKomifloを、ひいてはエロコンテンツの全てを封印することに決めたのでした。

 

そして今、新たなPCは誇らしげにKomifloのページを開いています。

やはり大きな画面で読むエロマンガはとても心躍り、とても艶やかです。僕は大満足の中で2週間分溜めていた作品たちを、2週間分溜めていた己を、心ゆくまで楽しんだのでした。

とまあ気がつけばエロマンガの話になってしまっていましたが、こういうのを書きたいんじゃなかった。本当はゲームの話を書こうと思っていたんだった。というか、せっかく新しいPCを買ったのに真っ先に開いたのがエロマンガて。我ながら情けなくなってきます。こんな大人になりたかったはずじゃないのにな。げに恐ろしきはエロマンガの妖しき魔力よ。

 

 

そんなわけでめちゃくちゃ強引ですがゲームの話をします。

新しいPCが割りと良いグラボを積んでいることもあり、なんかゲームをやろうと思っていたのですが、迷っているときに見た「Cyberpunk: Edgerunners」というアニメがブッ刺さり、原作である「Cyberpunk2077」の購入を決定。見事ゲームの方もガッツリハマってしまうという状態に陥ったのでした。

 

いやー、それにしても最近のゲームって凄いんですね。つい爺みたいなこと言ってしまいましたが、思わず感嘆詞から始めてしまうくらいには心動かされる凄さです。

なにが凄いって、まず目につくのはグラフィック、そして魅力的なゲームシナリオに自由度の高さですよ。

「Cyberpunk2077」のグラフィックはまるで現実にそんな場所があるのではないかと思わせてくれるくらいリアリティ溢れるもので、僕なんかはプレイ開始後しばらくはナイトシティ(ゲームの舞台となる街)を歩き回るだけで1時間、2時間は余裕で過ごせてしまった程です。

そしてそんな街で繰り広げられる人間模様。

もちろん、本作はストーリーのあるゲームである以上、明確なエンディングが存在します。基本的にはこのストーリーをなぞる形でゲームシナリオを進行していくことになるでしょう。

しかし、このゲームの魅力はメインシナリオ以外のところにあります。主人公のV(ヴィーと読む)はナイトシティで過ごす中で、様々な人達と関わりを持つことになります。困っていそうな人にこちらから声をかけることもあれば、向こうから助けを求める連絡が来ることもあります。もちろん、Vの選択いかんによって、その後の展開が大きく変わります。サイドジョブと称されるこれらのストーリーはメインシナリオにも影響を与えることもあるほどです。

 

そんなサイドジョブが、実にワクワクする形で生半可なプレイでは遊び尽くせないほど展開されているのです。

「Cyberpunk2077」はタイトルにもあるように2077年という未来の世界が舞台です。

ゲーム内の2077年はサイバーウェアと呼ばれる機械を人体に取り込んだ人体改造が一般的になっています。人の記憶を追体験できる技術や、ネットワークに人格ごと接続する能力を持った人がいたりします。

そんな世界を描くにあたり、サイドジョブは実に様々な未来の可能性を提示してくれました。

ある事件では外部から記憶を改変され、自覚のないうちに洗脳されている人物が登場します。また、別の事件では自我に目覚めたAIから依頼を受けることもあります。かと思えば、サイバーウェアで強化された身体で純粋な喧嘩をしようという誘いを受けることもあります。

これらのサイドジョブたちはどれもが、あるかもしれない未来の姿を描いてくれており、素晴らしいグラフィックも相まって、実に説得力のある形でゲームを彩ってくれています。

あまりの楽しさに、僕自身メインシナリオそっちのけでサイドジョブばかり進めてしまったほどです。

 

一応メインシナリオはクリアしましたが、まだまだ「Cyberpunk2077」の世界を、ナイトシティを遊び尽くせたとは思っていません。一回クリアした程度では色褪せないほどの魅力がこのゲームには詰まっていました。

ハッキリ言って街中をドライブしているだけでも楽しいゲームですからね。本当にすごい。いいグラボにしといて良かった。

僕のおすすめはボディヒート・ラジオを流しながら夜の街を気ままにドライブです。タイミングが良ければ「Cyberpunk: Edgerunners」でも象徴的な「I Really Want to Stay at Your House」が流れてきて実に落ち着く時間となるでしょう。

 

 

あとは年明けから透き通るような世界観で送る学園RPG「ブルーアーカイブ」を始めたりしています。

こちらはおもくそキモオタ向けのソシャゲなのですが、これにもあっさりハマってしまいました。

僕は未だにパズドラをやっているような硬派な男ですので(ランクは1024)、こんなかわいい女の子たちがキャッキャやってるような軟派なゲームにはハマるはずがないと自分では信じていたのですが、昨年末に行ったコミケにて掲示されていたブルアカの広告に一目で心奪われしまい、即座に陥落。気がつけば手元のスマホにはブルアカのアイコンが表示されてしまっていたのでした。

 

最初は「コミケに広告出してるくらいだし、可愛い女の子で釣るだけの凡俗なソシャゲやろ?」とか思っていたのですが、プレイを進めるうちにこの考えはあっさりと砕け散ることになります。

これ…、シナリオ結構面白くね…?

そうです。ブルアカは僕が思っていたよりも遥かに真っ当に面白いゲームだったのです。

 

面白いゲームと言ってしまうと少し語弊がありますが、少なくともシナリオ面に関してはそんじょそこらのギャルゲーと並べても遜色のない、むしろトップクラスとも比肩しうるくらいの出来栄えと言って良いと思います。比較対象がギャルゲーなのが自分でもよくわかりませんが、どうやら僕の中ではギャルゲー>ソシャゲという図式が成立しているようです。

基本的に地の文が一切なく、台詞の掛け合いのみでストーリーが展開されていく一昔前の2ちゃんねる(僕は5ちゃんねると呼ばずに2ちゃんねると呼ぶことでアイデンティティが保たれると本気で信じています)でよく見られたSS形式なのが少しネックですが、それを補って余りあるほどの王道で熱いストーリー、考察のしがいがある一癖も二癖もありそうな設定たち、そしてそんな世界をこれでもかと動き回るキャラクターたちと、三拍子揃ったゲーム体験には思わず舌を巻いてしまいます。

あと忘れてはいけないのが、そんなシナリオを盛り上げてくれる数々のスチル。四拍子になってしまった。

 

特に最近公開された最終編「あまねく奇跡の始発点」はシナリオが素晴らしいのはもちろん、ソシャゲという媒体を見事に活かしきったゲームデザインとなっており、買い切りのコンシューマゲームとはまた違った極上のゲーム体験を味わうことが出来ました。

これまでの総決算と言わんばかりに、キヴォトス(ゲームの舞台となる学園都市)の各勢力が手を取り合って世界の危機に対抗するというシナリオにリンクするように、全プレイヤー参加型のレイドバトルが開催。そのレイドバトルが終了するとそのまま新シナリオが公開され、息もつかせぬままに物語のラストまで導かれる…。と、ソシャゲならではのリアルタイム性をひしひしと感じさせてくれる展開には目をみはるものがありました。

シナリオだけならvol.3「エデン条約編」もかなりのものなのですが、やはり今だけ味わえる楽しさという要素が加わると、どうしても最終編の方に軍配があがるでしょう。これには、ソシャゲとSNSでの共有文化の親和性の高さも関係してきます。

 

ブルアカは先月で2周年を迎えたとあって、ここ最近は特に異様な盛り上がりを見せています。twitterのトレンドに入ることも多いですし、2ちゃんねるのブルアカスレの勢いは平日昼間でも1万を超えていることがあるという驚異の数字を叩き出しています。

僕は常々、馴れ合いは心の弱い愚者のやることであり、僕のように立派な心を持つ賢者は孤独に己を高めていくものなのだと固く信じていました。しかし、我が身を顧みてみれば、普通にtwitterでつぶやいたりしてるし、2ちゃんねるにも未だに書き込んでいます。いいねが貰えたときは普通に嬉しいし、レスが付いたときにはニヤニヤしてしまいます。僕は自分が思っているのとは正反対の人間でした。承認欲求の魔の手からは逃れられなかったのです。

そんな人並な僕ですから、盛り上がっている輪に入って楽しくないはずがありません。最終編を読み終えた僕は、自分の考えをまとめると即座にスレオン(2ちゃんねるのスレッドに参加すること。覚えておくと人生で2回くらいは役立つかもしれない)、熱気冷めやらぬプレイヤーたちの中へと飛び込んでいったのでした。自分の意見と他人の意見ぶつけるのおもしれー!

 

ブルアカの魅力を牽引する重大な要素が、キャラクターたちの可愛さにあることは誰も反論できないでしょう。そもそもキモオタがゲームにハマる理由なんて「かわいいキャラクターがいるから」だけで十分っちゃ十分なのですが、ブルアカはこのかわいいキャラクターが特に多い。

園都市が舞台となっているだけあって、様々な学校が登場するのですが、そこからさらに、各校の生徒会や部活、果ては学外で活動する集団まで実に様々なグループが展開されています。

そんなキャラクターたちが時には大きな物語の中で、時にはグループ間の関わりの中で、時には先生(プレイヤー)とのやり取りの中で、魅力的な表情を見せてくれるのですから、これはもうハマらない道理がありません。

そしてそうなると当然、好きなキャラクター、好きなグループが出てきます。

誰にも聞かれていないのに勝手に答えますが、僕の場合は便利屋68のアルとゲーム開発部のモモイが特に好きです。空回りするアルちゃんを温かい眼差しで見守りたいし、モモイとミドリの姉妹と一緒に夜通しクソゲーをしたい。だれか俺をキヴォトスに連れていってくれ。

 

ソシャゲで好きなキャラクターとなると、切っても切り離せないのがガチャの話題です。

人類の所有欲は尽きることなく、それはソシャゲの世界においても同じことが言えます。自分が欲しい物のために何を出せるのか。欲と欲の等価交換。ソシャゲを続ける以上、この命題からは逃れられません。

もちろん、ブルアカにもガチャはあります。天井があるというのが救いですが、通常時は最レア率が3%と、なかなかに厳しい数字のガチャです。

そんなガチャに先日、僕が好きな便利屋68のキャラクターたちの正月衣装ver.が実装されてしまいました。それも4人いる便利屋68の全員が、です。

僕はこのガチャを目当ての4人が揃うまで引きました。

天井に助けられたこともあり、想定よりも少ない回数で揃えることが出来ましたが、引いている最中は気が気でありませんでした。次の10回で出てくれ!次の10回で出てくれ!なんどこう思いながら画面をタップしたことでしょう。

今回はありがたくも、想定より少ない回数で揃いましたが、毎回こううまくいくわけではありません。想定より遥かに多くの回数ガチャを引くこともあるでしょう。そして、それだけ回したにも関わらず、目当てのキャラが出ないこともあるでしょう。その時僕はどうするべきなのか。ソシャゲにハマるとはそういうことなのです。

まあでもこういうことに悩み続けるのがキモオタのあるべき姿なのかもしれませんね。僕はキモオタじゃないですが。

 

 

最後に自慢なんですがPSVR2を買いました。もう一度言います。PSVR2を買いました。

定価が74980円(税込)ということで、PS5本体よりも高い周辺機器ってなんなんだよ…とも思いましたが、予約抽選受付開始と同時に申し込み。

VRゲームは未体験だったので純粋にやってみたい気持ちがありましたし、なによりも同時発売される「Horizon Call of the Mountain」をやりたすぎたからです。

 

先述した「Cyberpunk2077」の前にハマっていたのが未来の世界で機械獣と戦い、世界の秘密を解き明かしていく「Horizon」シリーズでした。。シリーズ一作目である「Horizon Zero Dawn」、その続きを描いた「Horizon Forbidden West」ともに大好きで、PS5だって「Forbidden West」を遊ぶために買ったものです。というか他のゲームで遊んだことがないので僕のPS5は「Horizon」専用機と言っても過言ではありません。

 

「Horizon」の魅力は語り尽くせぬほどありますが、特に僕が好きなのがシリーズを通して登場する大型の機械獣サンダージョーです。

ティラノサウルスを思わせる巨体に数々の兵器を纏ったその姿は純粋にカッコよく、僕はひと目で心奪われました。しかも、サンダージョーはカッコいいだけではありません。その戦闘も心躍るほど楽しいのです。身体に付けた多彩な兵器から繰り出される攻撃は、生半可な反撃を許さぬほどに暴力的で、緊張感のある戦いを提供してくれます。

あまりの楽しさに、一時期の僕は毎晩寝る前にサンダージョーと戦ってから布団に入ることを日課にしていたほどです。

 

そんな「Horizon」がVRゲームになった、しかもサンダージョーとも戦えるというのですから、これはもう遊ばないという選択肢は考えられません。高速のマウスさばきでPSVR2の予約抽選を行ったのでした。

 

ありがたいことに抽選には的中し、発売当日の2/22に遊べることになりました。

2/22は完膚なきまでに平日でしたし、普通に仕事もありましたが、そんなことは「Horizon」の前では些細な事です。宅配便が到着するとすぐに、僕は業務用PCを窓から放り投げ、ヘッドマウントディスプレイを被ってゲームの世界へと飛び込んだのでした。

おお!これがVRか!

 

30分後…。

そこには満足にチュートリアルを終えることすら出来ないまま、酔い過ぎて息も絶え絶えになりながら布団に横たわる僕の姿がありました。

VRスゲー!めっちゃ酔う!!

 

そうです。懸念しつつもまあ大丈夫だろうと、根拠のない自信のままに目をそらしていたVR酔いに、僕は直面していたのでした。それにしてもこれほど酔うとは…。

ゲーム開始時点では全くそんな気配は無いんですよ。どころか、「Horizon」の世界が、あの美しくも滅びの気配を感じさせる雄大な景色が、目の前だけでなく自分を取り囲むように存在していることに対して感動を覚えるほどです。

でもプレイ開始10分、20分ほど経つとだんだん感動よりも違和感が勝るようになってきます。当然、そんな短時間では遊んだ気分にもなれないので違和感を無視してプレイを続行するわけですが、そうなると30分ほど経った頃に強制リセットが掛かったかのように身体が言うことをきかなくなります。

これが前述の通りめちゃくそに酔った状態なわけで、こうなるともうゲーム内で視線を動かすだけで吐きそうになるため、即座にヘッドマウントディスプレイを外すハメになります。というわけで、僕の初めてのVR体験はわずか30分で幕を下ろしたのでした。

 

その後も2回ほどプレイを試みたのですが、これがまあ改善できない。変な薬でも盛られてるんじゃないかってくらい酔いまくります。

なんとなく原因はわかっているのですが、その原因というのが「プレイしているうちに機器がズレてきてピントが合わなくなり酔ってしまう」という、ゲームをプレイするにあたって絶望的に改善が難しい部分なので頭を抱えています。

なぜこの原因に思い当たったかというと、実際に途中でズレてしまうと感じていたのと、試しにVRエロ動画を鑑賞してみたら全く酔わずに最後まで気持ち良いままだったからです。

いやー、それにしてもVRエロ動画は凄い!思わずこのままVRエロ動画の素晴らしさについて綴ってしまいそうになりましたが、エロ漫画の話に加えてVRエロ動画の話まで始めると、もはや何を書こうとしていたのか分からなくなりそうなので止めておきます。

ただ一言だけ残しておくならば、VRエロ動画はマジでドキドキするし、VRゲーム並みに新機軸の体験を提供してくれる代物だってことです。抜けるとか抜けないとかそんなレベルの話に留まらない。オススメです。全然一言じゃなかった。

 

去年あたり「そんなに恐いか?新時代が!!!」みたいなことを言ってたキャラクターが流行っていたような気がしますが、僕は恐い。新時代についていけなさそうでめっちゃ恐い。

あとは8万も出して買ったPSVR2が既に半ば置物、あるいはVRエロ動画専用機になりつつある現在も恐い。せめて元を取るためにもう一回自慢しとこ。PSVR2を買いました。

 

 

30歳になってからこんなにもゲームにハマるなんてことがあるのかと自分でもびっくりしているのですが、実際楽しいのですからどうしようもありません。別に誰かに迷惑かけてるわけでもないですしね。

最近読んだ本にも幸福かどうかは自分が何者であるかが大事(=他人から評価に依存するな)みたいなことが書いてあったので、こういった自分が素直に良いと思えるものを大事にしていきたいもんですね。それがなにであれ。

自分が良いと思ったものは、即ち自分を構成する一要素なわけですから。後年、この考え方を後悔したときには、本の著者をめたくそにディスってやろうと思います。こうして僕は自己を保つのです。

 

 

・AIおえかきをはじめよう

みなさんも御存知の通り、最近のAI技術の発展には目を見張るものがありますね。

twitterなんかを適当に眺めていてもchatGPTを活用した面白いネタの一つや二つは流れてきますし、2ちゃんねるの雑談系の板を覗いてみればAI画像について語られているスレッドがいくつか見つかることでしょう。

 

先述の通り、おニューのPCを購入した僕はそのスペックを発揮する場所に飢えていました。そこには、せっかく良いPCを買ったのに、そのスペックを十全に使いこなせていないもどかしさと、ひょっとすると僕は身の丈に合わないマシンを購入してしまったのではないか、ひいてはあれだけ悩んで買ったPCがスペックの無駄遣いだった…?という目を背けたいタイプの疑問が湧きつつあったという、なんとも切実な理由がありました。

そこでマシンパワーの矛先として選ばれたのが「AI画像生成」です。

これにはマシンパワーがかなり求められますし、時代の最先端に触れているような感じがしてなんだかカッコいいです。VRでは時代に取り残されそうになっていることも後押しし、僕はこの「AI画像生成」の道を歩みだすことに決めたのでした。

「AI画像生成」というとなんだか大層な印象を与えますが、まあ早い話が理想の2次元画像、もとい理想のエロ画像を生み出してやろうってことですね。一気に卑近になりましたが、実態はこんなものです。

 

ありがたいことに、昨今はインターネットの賢人たちがツールの導入手順を親切丁寧に解説してくれておりますので、それにタダ乗りする形で速攻インストール。無限に画像を生み出すことができる環境があっさり手に入りました。

しかし、肝心なのはここからです。

というのも、環境が手に入ったからとはいえ、ここから理想の画像がポコポコ勝手に湧き出てくるわけではないからです。画像生成に必要なものは大きく分けて二つ。モデルとプロンプトです。

詳しい話は専門のサイトに任せますが、モデルは様々な画像を学習させたデータの集合であり生成される画像の核となるもの、プロンプトはそのモデルから理想の画像を呼び出すための呪文とでもいいましょうか。イメージとしてはそんな感じです。

 

厄介なのはこのモデルというやつで、こいつはその特性上、学習に大量の画像を必要とします。そのために利用される画像たちについては、やれ著作権がどうのこうの、無断利用がどうのこうのと、喧々諤々の議論が繰り広げられている段階です。

ですが実態は悲しいもので、各々が作成したモデルを配布する類のサイトに目を通せば、そこに現れるのは明らかにダーティなデータの数々。全部が全部真っ黒というわけではありませんが、酷いやつになると著作権を無視せずにどうやって作れというのかってレベルの反社会的なモデルまであります。どっからどうも見て版権キャラ、というかブルアカのキャラが!ヘイローまで再現されて!!なんか脱がされてる!!!なんてこともザラにあります。

 

当然、これには普段は温厚な僕も怒髪衝天。

これはいかんでしょ。理想の画像を生み出すためとはいえ、版権キャラをそのまま使うのは冒涜でしょ。あんな透き通った世界で活き活きと動いているキャラクターたちを脱がすのは違うでしょ。というか、そもそもそういうモデルを作っちゃダメでしょ!!!

義憤に駆られた僕が即座に行動に移したのは言うまでもありません。

 

そんな訳で、いま僕のPCの中には大量のブルアカキャラの画像が保存されています。

いや、違う。違うんですって。ほら最近はブルアカ人気がすごいから!ブルアカ絵描いてる人も増えたから!そりゃ僕のHDDの容量も圧迫されるってもんですよ。まあ確かにちょっと画像内に占める肌色の割合は多いかもしれませんが、そういう画像だっていっぱい描かれているから!だから普通!そう僕のPCの容量が爆速で増えていったのも普通のことなのです。ちょっと手とか指がおかしい画像が多い気がするのは、まあ気のせいということにしておきましょう。

 

そういった事情もあり、最初はimg2img(元画像の要素を引き継ぎつつ、新たな要素を足し合わせる技術)で友人の顔写真を改造して本人に送りつけるという、牧歌的な遊びに興じていただけの僕でしたが、気付けばいつの間にかガンガン画像生成を楽しむまでにハマってしまっていました。あまりの楽しさに「これは勉強だから!新技術を知ることは仕事にも活かせるから!」と無茶すぎる言い訳を盾に夜通しどっぷりのめり込み、翌日の仕事は全て眠ってやり過ごすという力技を押し通したほどです。

せっかくのツールなのに、まだ強烈なおもちゃとしてしか役立てられていませんが、せっかくならこのまま強烈なおもちゃ路線で楽しみ尽くすのもありなのかもしれません。

ひとまず考えていることとしては、LoRAという追加学習モデルを自作すれば、特定の要素を強く持った画像が生み出せるようになるので、友達の顔写真でLoRAを作成し、コラ画像でも作りまくってやろうかなと。最強に不健全でフケツな玩具の完成です。

 

良い悪いは別にしても、VRだとかAIのように、自分たちの生活を、楽しみ方を変えてしまうかもしれない技術には触れておくべきなんでしょうね。

実際に触ってみて感じましたが、昨今のAI技術はこれからのコンテンツの楽しみ方を根底から変えうるポテンシャルを持っていると思います。別に中身を知っていなくても楽しむだけなら問題ないのかもしれませんが、より広範により深く楽しむためには、やはり多少なりとも中身を知っておいたほうが良いのかなと。

それに新しいものを知ることを止めると、世界がそこで止まってしまいますからね。「世界を変えたければ、自ら境界を越えろ」とは、僕が一番好きなゲームの標語なのですが、まさかこの年齢になって刺さるとは思わなかった。いくつになっても境界を超えていきたいものです。

 

 

・オナニーにローションを使うようになった

はい!出ました!下ネタを言っておけばなんか面白いしオチた感じが出ると思っているやつ!このマインドをどうにかしなければ、いつまで経っても有意義な30代はやってきませんよ!

 

まあですが実際下ネタは面白いのですから仕方ありません。

幼き日の僕は、大人になれば下ネタで笑うことはなくなり、もっと高尚なもの(ハリウッド映画とかに出てくるようなやつ)で笑うようになる、あるいはお笑いなんかには目もくれなくなり、真面目な本を読んだりする用になるものかと思っていました。

ですがどうでしょう。今の自分を振り返ってみれば、未だに下ネタでゲラゲラ笑っていますし、読むのはラノベか漫画ばかり。ハリウッド映画は別に高尚なものを扱っていたわけではなく、当時の僕が理解できていなかっただけで、むしろ下品なネタばかりだと今では知っていますし、むしろそういうネタのほうが好きという有様。

なんだか思い描いていた大人像からは随分遠いところに来てしまった気がします。

 

流石にある程度成長し、中学生、高校生になった頃には歳を取るだけでは人はそう変わるものではないと理解しましたが、それでもどこかで自分は立派な人間になるだろうと根拠のない思い込みをしていた節があります。

そんな将来予想は虚しくも外れ、当時から大きく変化することのないまま今に至るわけですが、そんな僕にも大きく変化した点が一つだけあります。

それがタイトルにもあるオナニーにローションを使うようになったということなのですが、我ながらよくもまあこんな汚い報告をするためにゴチャゴチャと御託を並べたものだと思います。

恐ろしいことにタイトルでの出オチではなく、この項目もしっかり拾っていきます。

 

前回の日記の最初に、30歳になったからといってなにかが変わるわけでもないということを書きました。

これは概ねその通りなのですが、一点だけ、嘘をついてしまっていたところがあります。

それが本項にも関係する「ちんぽが勃ちにくくなってしまった問題」です。30歳になった僕に訪れた変化、それはふにゃチン化と、それに伴う性欲の減退でした。以下、汚い話が続きます。

 

中学生、高校生の頃の僕は貪欲な男でした。

インターネットでいくらでもエロ画像・エロ動画が入手できることに気がついた僕は、2ちゃんねるの女神板を巡り、CPZオンライン、YourFileHostといったエロ動画の大海を渡り、果ては違法アップロード間違い無しのエロ同人サイトという魔窟を訪れる中で、至高のエロコンテツを探し求めていました。

険しいこともたくさんありました。一回クリックしただけなのに3つも4つもポップアップしてくる広告。なぜか5つも並んでいるのに正解は一つしか無いリンク。少しドキリとさせられた「会員登録完了」の文字と明らかな詐欺ページ。

今にして思えば、そんな困難に揉まれながらも毎晩インターネットに明け暮れたあの経験は、僕にネットリテラシーというものを授けてくれたような気がします。そして、それ以上に、自分の好きなものは何なのかを明らかに、あけすけに言えば、性癖を確固たるものにしてくれたのだと思います。

 

当時の僕は精神的には未熟でしたが、リビドーだけは一人前以上にありふれていました。とはいえ、そのリビドーをぶつける相手はいません。自他ともに認めるほどの暗黒の学生生活を送っていた僕が取れる手段は一つだけでした。当然、オナニーです。

あの頃は毎日シコっていたのは当然として、日によっては2回、3回と平気でシコっていました。あまりにシコりすぎた日なんかには、ゴミ箱のティッシュの多さを母親に感づかれるのを嫌うあまり、シコティッシュを隣家の屋根の上に放り捨てていたほどです。血気盛んな時分の話ですので、どうか時効ということにしてください。すまん、隣の宮井さん。

 

そんな僕が今ではどうでしょう。

シコるペースは日に二回どころか、週に二回といったところ。毎日シコっていたあの日は遠く、本当に自分は毎日シコっていたのだろうかと自らの記憶を怪しんでしまうほどです。

オカズ選びの時間も激減しました。

あの頃はそれこそ、文字通り夜通しオカズ探しに奔走、理想のオカズが見つかった頃には日が昇っていたなんてこともよくありました。それが最近ではオカズ選びにかける時間は長くて30分程度、酷いときには5分でサクッと決めてしまいます。技術やサービスの発展により、オカズが見つけやすくなったというのもあるでしょうが、それ以上に自分の中の情熱の火が弱くなっているのだと感じます。

これらの事象は、ある一つの問題によって引き起こされたものでした。

 

それが、一番大きな問題である「ちんぽが勃ちにくくなってしまった問題」です。

これは本当に恐ろしい。

去年辺りから、うっすらと「なんか最近勃ちがわるいかも…?」と思い始めていたのですが、今年に入ってからは特にそれが顕在化しました。10年前はモース硬度11を誇っていたはずの息子でしたが、そんな栄光は過去のもの、今となってはせいぜい7か8といったところでしょう。もう明らかに違いますからね。握ったときのグリップ感がぜんぜん違う。芯が入っていない。

こんな状態でするオナニーが楽しいはずがない、というかシコろうにも勃つもんが勃たなければどうしようもないわけですから、これはもうオナニー以前の問題です。幸か不幸か、全く勃たないというわけではなく、良いオカズを得た際には一応勃ってくれるのですが、どうしたって満足度は低いものとなってしまいます。そんな状態が続くとオナニーの魅力はどんどん色褪せてしまい、オカズ探しへの情熱やオナニー自体への探究心は失われてしまいます。これはもう人生が失われつつあるのと同義です。

 

そんな失意の底ある僕を救ってくれたのがローションでした。

もともとそのポテンシャルは知っているつもりでしたが(なぜならオナホを使うときにはローション必須だから)、そんなものは僕の思い上がりでしかなく、実際にはローションは僕が思っていた遥か上を行く、人類の叡智の結晶とでも言うべきアイテムだったのです。

あまりしっかり描写しても生々しくなって悍ましい文章が生み出されてしまいそうなのでザックリと書きますが、ローションを使ってオナニーをするだけで明らかにQOL(Quality of life)が向上しました。僕はどこかで、ローションとはオナホと一緒に使うものだという固定観念に囚われていたのですが、それは大きな誤りだったようです。

ローションは手だけでも気持ちがいい!齢30にして、僕は人生で大切なことに気がつけたのです。

 

たしかに、片付けが面倒(ちんぽがベタベタになるから)という大きめのデメリットこそ存在しますが、それを補ってあまりあるほどの充実感をローションはもたらしてくれました。

気持ちが良いと気分も良くなるもので、なんとなく毎日が少し楽しくなったような気がしてきます。柔らかくなりつつあった息子のモース硬度も10くらいにまで回復、世界は急速に色を取り戻しました。

ローションはオナホとセットで使うもの。

そんな思い込みを捨てるだけでこんなにも変わるのですから、人生とは分からないものです。

 

 

これまで培ってきた経験を活かすことはもちろん大切でしょう。どんなことでも一朝一夕に身につくものではありません。30歳にもなれば、長い時間をかけて自分の中に定着させたものだって当然あります。

ですが、ここいらで一歩立ち止まり、フラットな目線で改めて物事を見つめ直すことも必要なのではないかと思います。かつてアインシュタインはこう言ったそうです。

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

であれば、30歳になるまで積み重ねた、いや積み重ねてしまったコレは一体何になるのでしょう。

有意義な30代を過ごすために、さらにその先も人生を有意義なものとするために、色々と自分の在りかたを考え直す時期が来ているようです。

 

 

 

こうやって書き出してみると、何気ない日常にも自分を振り返る要素はたくさん潜んでいるものですね。まあほとんどこじつけみたいなもんでしたが、文章にしてみると自分への理解が深まったような気がします。

こんな調子じゃ、有意義な30代なんてほど遠いや。