インターネットのけもの

全て妄想です。

【30歳になってしまった僕は】~「推し」の卒業~

いずれこの日が来るとは思っていましたが、いざ迎えてみるとあっけないものですね。30歳になるというのは。

 

そう、気がつけば僕はいつの間にか30歳になってしまっていたのでした。

30歳ともなると、世間一般ではもういい大人として扱われることでしょう。職場では「若手」の称号が外れ、「中堅」どころに足を踏み入れる頃です。家庭を持ち、良いお父さんになっていてもおかしくありません。

僕自身についていえば、難しい仕事も任されるようになり、いつの間にか後輩が慕ってくれるように。家に帰れば新妻(21歳。きれいな黒髪でメガネがチャーミング。背は低め。)と生まれたばかりの子供(4ヶ月。母親似の可愛い女の子。)が出迎えてくれ、当然ブログを更新する時間なんて到底確保できない…、というのは真っ赤な嘘で、相変わらず代わり映えのない生活を送っています。

仕事をある種のベーシックインカムと捉えている僕がやっていることといえば、ブルシット・ジョブの教科書に載りそうなことばかりですし、取れと言われた資格なんてもう2年くらいのらりくらりと躱している始末。同僚たちが順調にステップアップしていく中で、下手すれば後輩にも抜かれてしまいそうなほどです。当然、結婚の気配なんてビタイチありませんし、そもそもテレワークなので帰る家もなければ出迎えてくれる誰かすらいません。なんか書いていて悲しくなってきましたね。

冷静に考えれば、30歳になったからと言って生活が急変するようなことになるはずもありません。突然魔法が使えるようになっただとか、異世界から妖精がやってきてハーレムを築いたとかがあれば少しは楽しめるのでしょうが、そんな気配は1ミリもなく、目の前にはただ平凡な日常が横たわるばかり。

 

とはいえ、全く刺激がないわけではありませんでした。

去年の1月頃、「そろそろ30歳になるし、資産形成とかしっかり考えないとなあ」とふと思い立ち、いくらか株を買っていたのですが、これがまさかの大暴落。

全く不必要な刺激の到来に僕の心は千々に乱れることしか出来ませんでした。なんで?なんで買ったら下がるの…?

しかも株を買った当時の僕は非常に強欲なことに3倍レバレッジETFという、通常の3倍の値動きをする株を買っていました。3倍の威力は凄まじく、値上がるするときは爆発的な威力を発揮しますが、当然値下がりするときも3倍です。恐ろしい勢いでゴリゴリと削られていく評価額を、僕は指を咥えて見ていることしか出来ませんでした。損切りするのも、それはそれで怖かったのです。

あまりの下がりっぷりに恐れ慄いた僕が取った選択は、「証券口座を見ないようにする」という現実逃避極まったものでした。ですが、そこには少しの勝算がありました。というのも、以前インターネットで「株で儲けている人に多いのは、買ったことを忘れた人か、死んだ人である」という情報を見たことがあったからです。

この日記を書くに当たり、さきほど現在の株価を確認してみたのですが、一番ひどいやつには「-80%」という輝かしい成績がつけられていました。買ったときの1/5です。まあ人生なんてこんなもんですね。

 

このままではロクな30代を送れない未来が確定してしまいそうなので、今日の日記では最近の生活を振り返り、有意義な30代を過ごせるようになる方策を考えていこうと思います。

ぶっちゃけて言えば、何度かブログに書こうと思ったまま、ずっと書くのを先送りにしてきた内容をここらで一気に書ききっておこうという、そういう日記です。

いやー、ホント自分の先送り癖が恐ろしい。この日記も2月末に書こうと思い立ってから、実際に書き始めるまでに2週間かかりましたからね。完成させるのには更に2週間かかった。しかもこの一ヶ月間忙しくて書く暇がなかったとかではなく、ゲームとネットにどっぷりという実に無為な時間を過ごしていただけなので目も当てられません。

有意義な30代を過ごすためには、一番最初にこの先送り癖をなんとかするべきなのかもしれませんね。

あと、いざ書き上げてみると一日分にしては文章量が多すぎたので分割しています。よく考えると、日記を分割するって意味がわからなくなってきますが、僕がそうしようと思ったらそうなるのです。ここは僕のブログです。

 

 

・「推し」の卒業

前回の日記で「推し」に対するにちゃにちゃした好意を綴りまくっていたのですが、その「推し」は日記を書いた2ヶ月後にあっさりと卒業してしまいました。

日記を書いた時点で"その日"が来ることは覚悟していましたが、まさか日記を書いてから最初に卒業を迎えるメイドさんが「推し」だなんて…。あまりのことに絶望した僕は即座にメイドカフェの買収を画策、以てメイドさんたちを手中に収めようと考えたわけですが、そんなことをしたところで普通に「推し」は辞めていくだけだし、別にメイドさんが手に入るわけでもないので諦めました。というか普通に無理だしな、買収とか。

卒業告知ツイートを見たときは結構悲しかったものですが、悲しんでばかりではいられません。どうやら急な卒業決定だったようで、出勤日はもうラスト1日のみ。しかも、そのラスト1日も時短での出勤で、開かれるはずだった卒業イベントもないとのことでした。あまりの急な辞めっぷりに、なにか暗いものを感じたような気もしましたが、そこにはギュッと目を瞑り、"その日"を最高のものとするべく、僕はない頭を必死に捻ったのでした。

 

先に白状しておくと、僕は「推し」とどうにかなりたいと思っていました。このどうにかなりたいにはあらゆる意味が込められていますが、最低でも今後連絡を取れるようにはなりたいと思っていました。最高は付きあってオタク話をし、もっと懇ろになることです。懇ろというか、有り体に言えばセックスです。セックスな。こういうことを臆面もなく言える僕は結構男らしいと思います。人によってはこれをただただ気持ち悪いと評するのかもしれませんが。

どうにかなりたいとは思っても、所詮は客と店員です。この関係をどうにかしたいと思うだなんてきっと烏滸がましいことなのでしょう。黙って卒業を見送るのが良いお客さんだってことはよく分かっています。でも僕はこのまま終わらせたくはない…。

前回の日記で自問した問いに答えを出すときが来たのです。

いざ別れというその時、僕はいったいどう振る舞うべきなのか。

 

 

いざ迎えた卒業の日、僕は仕事を休んでメイドカフェにいました。

「推し」の卒業日は思いっきり平日で、それも普段より早い時間帯の勤務になっていたからです。ですが、その程度のことでは僕は動じません。

当然のように有給を取得し、しこたま買い込んだプレゼントを用意して店へと赴いたのでした。自分で言うのもなんですが、僕が用意したプレゼントの量は中々のものです。以下に列挙します。

・中山式快癒器

・野菜スープセット

・ペンケース

・ケーキ

・花束

今にして思えば中山式快癒器は若い女性へのプレゼントとして適切かどうか疑問、というか女性にマッサージ器具をプレゼントすることにセクシュアルハラスメント的な何かを感じてしまいそうなところですが、あのときの僕は真剣にこれがいいと思っていました。テンションとしては沙村広明先生の名作短編「おひっこし」で、主人公サチが愛する赤木さんへのプレゼントとして中華ナベを買ったシーンと同じです。分からない人はおひっこしを読んで下さい。

あと、それぞれバラバラに準備していたときは意識できていなかったのですが、これらが一箇所に集まるとまあ重いしデカい。「僕はほんとうにこれを渡すのか?否、これはもはや押し付けなのでは?」そんなことを考えながら店の扉を開けたのを覚えています。

 

「推し」の出勤時間前に入店したのですが、既に店内には二人のメイドさんがいました。二人とも僕とよく話してくれるメイドさんです。僕の「推し」が今日で最後だと理解してくれているので、「一番乗りですね」なんて雑談をしながらその時が来るのを待ちました。

そして、「推し」と会える最後の時間がやってきました。

その日も「推し」は圧倒的に輝いていて、今日で最後だなんてとても信じられません。ですが、「推し」目当てに訪れる他の客たちが平日だというのにどんどん席を埋めていく光景を見て、やはり今日で最後なのだと実感しました。

プレゼントを渡すと、その量の多さやラインナップに少し笑われました。そんな何気ないやり取りも今日が最後です。そう思うと少し悲しくはなりましたが、この悲しさすらもいつかは良い思い出となるのでしょう。せめて今を噛み締めよう、でも叶うならどうか時間よ止まっておくれと願いながら、最後の楽しいひと時を過ごしたのでした。

 

嬉しかったことが一つあります。卒業日のためかお客さんが多すぎて、「推し」と話せる時間は殆どなかったのですが、最後の最後に、僕と話すための時間を確保してくれていたのです。しかも本来の勤務時間を延長してまで、です。これを幸せと呼ばずして何と呼ぶのでしょうか。

他のお客さんへの対応をすべて終え、邪魔するもののいない環境で用意された僕のためだけの時間。それはとても甘美なもので、そんな時間を用意してくれたという事実だけで僕はもう大満足でした。何か改めて話そうかとも思いましたが、いざ最後だと意識してしまうと、うまく言葉が出てきません。代わりに僕は、こう話しかけました。

「手紙書いてきたからさ。よかったら読んどいてや」

 

そう、僕は「推し」との別れに際し、手紙を認めてきたのです。

これが僕の答えでした。

 

傍から見たら気持ち悪いのかもしれません。一歩間違えたら、いや一歩間違えなくても頭のおかしい客と思われることでしょう。そんなことは誰に言われなくてもよくよく分かっています。でも僕は、僕はやはり、このまま終わらせたくはないのです。

久々に手書きで書いた手紙はところどころ字が崩れており、なんとも不格好です。印刷することも頭をよぎりましたが、この文章だけは手書きで書くべきな気がする。そんな思いから、何度か書き直しつつ、便箋4枚分の手紙を書き上げました。

内容は要約すれば陳腐なものです。

今までお給仕ありがとう、趣味の話がたくさんできて楽しかった、あなたのおかげで趣味の幅が広がった、新しい世界へと踏み出すきっかけをもらえた、あなたは最高のメイドさんだった、楽しい時間をありがとう。

ですがそれは、何度も推敲を重ね、僕の思いをギッチギチに詰め込んだ、今の僕が書きうる最高の文章になっていたと自負しています。

そして最後に連絡先を記載し、良かったら連絡してほしい旨を記して手紙を締めました。

 

そしてその手紙を手に、退勤時間を迎えた「推し」は帰っていきました。

残された僕は、最初からいた二人のメイドさんと卒業の余韻に浸ってから、なんやかんやと閉店時刻まで居座り、手紙の行く末に思いを馳せながら店を後にしたのでした。

 

「今日お店入ってきた時、かたやまさん泣いてませんでした?」

「推し」の退勤後、二人のメイドさんはそんなふうにして僕を弄ってくれました。そのいつも通りのやり取りと笑顔に、あのときの僕はぐっと楽になったのを覚えています。手紙の行く末がどうなるのか、気が気でなかったのです。

「推しの卒業ってつらいですけど、また絶対来てくださいよ!」

「推し」が卒業しても、今までお店に通ってきた全てが無に帰すわけではありません。これまで他のメイドさんと話してきた思い出やチェキはたしかにそこにあります。意外な趣味が判明し、まだまだ話してみたいメイドさんだっています。それにこのお店は結構居心地がいい。

「推し」からの返事がどうなろうと、またこの店に来よう。

そう夜空に浮かぶ月に向かって決意した僕は帰路についたのでした。

 

 

とまあこんな感じで終われば結構キレイだったのですが、物語はまだ続きます。

しかも、どちらかというとあまり知りたくない、クソみてえな続きだったので、巻き込まれた僕自身、今ではあれが本当にあったことなのか疑ってしまいたくなるほどです。ですが、今でもしっかりと思い出せるあのときの感情は、あの出来事が嘘ではなかったと確かに言っています。それは退店した僕を呼び止める声から始まりました。

 

「かたやまさん、かたやまさん!」

どこかで聞いた覚えのある男性の声。何事かと振り返ると、そこにはメイドカフェの店長の姿がありました。

これまで店長の姿は何度も見かけたことはありましたが、直接話すのは一年近く通う中で今回が初めてです。一体何の用事だろうか、もしかしてああいった手紙はご法度だったろうか、と身構えた僕に襲いかかったのは知りたくなかった悲しい真実でした。

あまりの出来事に、当日の夜に僕が怒りに任せて書き殴った文章があります。

 

────────────────────

俺はもう二度とあの店に行くことはないだろう。
推しが卒業した日にそれまで一度も話したことのない店長が急にしゃしゃり出てきて「実はあの子とうちの店はわだかまりがあって…。こんな形の卒業になって申し訳ないけどこれからも来てくださいね」って舐めてんのか?
なんで俺を気持ちよく帰らせねえんだ?俺はその話を聞いてどう反応すれば良いんだ?俺がその後どんな気持ちで推しの卒業ツイートを見たのか、お前に分かるか?
キャストの子たちは良くしてくれたよほんと。「推しの卒業って悲しいですよね」だの「また絶対来てくださいね」だの気を遣ってくれてるのがよく分かる、本当に嬉しい対応だった。また来ようと思った。
それを店長のお前が最後にぶち壊してどうすんだよ。俺が帰り道でなにを考えていたか分かるか?
「お前がいなけりゃ俺はもっと推しとの時間を楽しめてたんじゃねえの?」だよ。
そもそもわだかまりの原因がクソすぎる。推しが出たくないって言ってるイベントに無理やり出そうとするとかなに考えてんだ?奴隷じゃねえんだぞキャストは。お前の仕事はキャストに気持ちよく働いてもらって、お客に気持ちよく金を落としてもらうことなんじゃないのか?嫌がってんのに強制するなんて何考えてんだよ。
そんな内情を客に聞かせるのも最悪だ。「ああ、この子は無理やりシフト入れられたのかもしれないな…」って思いながら通う店が楽しいと思うか?ちょっと頭を働かせたら分かるんじゃないのか?それくらいは。
それにお前の店、ちょっと前にもキャストが飛んで別の店に転生してるだろ。何も知らずに呑気に通ってると思ったか?それくらい調べて通ってんだよ、こっちは。こうも立て続けにキャスト絡みで問題抱えた店なんて怖くてもう通えねーよ。キャストはみんな良い子ばかりなのにな。お前の店にはもったいねーわ。
大体よ、推しが出たくないイベントに出させようとして揉めたって聞いて、俺が店側に同調すると思ってんのか?推し側につくに決まってんだろ。むしろ店なんて憎むべき対象になるだろ。なんでそんな内情を話したんだ?同情を引きたかったのか?逆効果に決まってんだろクソが。そういう考えが浅いところも駄目なんだよ。客舐めんのも大概にしろよ。
なによりもムカつくのはこの内情をおそらく、俺にだけ話したことだ。他の客には話しかけてなかったもんな。俺の退店に合わせてぬるっと付いてきやがて。おかげさまで卒業を見送ったおセンチな気分は台無しになったよ、ありがとうございます。
分かるよ、なんで俺にだけ話したのか。俺は店じゃ金払いの良い方だったもんな。推しの卒業日も会計額ダントツだったもんな。そりゃ今後も通ってほしいわな。どうも、金蔓です。
でもさ、俺が金を落としていたのは推しや、他のキャストさんとの会話が楽しいからであって、お前の懐を潤わせるためじゃないんだわ。そこんとこ勘違いしないでくれよな。俺はお前の事情なんざどうでも良い。それをお前、「かたやまさんも競馬やるらしいですね?よかったらまた話しましょうよ」って、急になに?今まで俺の存在を認知しておいて一切話しかけてこなかったのに、こういう事態になっていきなり声をかけてくるなんて薄っぺらいんだよ。しょうもねえ。
あれか?俺がなし崩し的に昔からの常連たちに混ざって通うようになるとでも思ったのか?なるわけねーよ。俺ほかの常連一人を除いて全員嫌いだったし。「〇〇さんとユニバ行ったり―や」とかそういうこと堂々と言ってんじゃねーよ。キャストさんが困ってるの、俺でも分かるぞ。めちゃくちゃ言葉濁してるじゃねえか。お前も止めろよ、店長だろ。そういうとこ、常連だからってなあなあでやってんなよ。
こんな店長でよく今まで店続いてきたな。道楽でやってるタイプの店なのか?ほんと人の気持ちが分からねえやつがトップで良く続いたもんだ。
そいや店の中で風俗営業の許可証見たこと無いけどちゃんと許可とってんの?メニューの名前伏せて分かりにくくしてるけど、お客にあ~んするなんてモロに接待だろ。許可いるんじゃないの?お出かけも大丈夫か?あれ店が提供する店外デートだろ?当日店に行かないと特典分からないようにしているのは後ろめたいから?なんかあった時に困るのはキャストなんだから、そのへんくらいは最低限ちゃんとしとけよ。店長の努めだぞ。出来ね―なら辞めちまえ。
ほんとにキャストはみんないい子ばかりなのにな。こんな俺にもみんな良く話しかけてくれて、笑顔を向けてくれて、さんざん楽しませてくれた。本当にありがとう。そしてごめんなさい。
俺はもうあの店に通えない。クソみたいな内情を聞かされたから、もう純粋に楽しむことはできなくなったから、俺の楽しかった思い出を潰してくれやがった店長が憎くて憎くてしょうがないから、一円でも利する行為は絶対にしたくないから。
約一年間、良い思い出だったはずなんだがなあ。今ではもうチェキに写った笑顔の裏側を思うと涙が出そうになる。クソッタレ。

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もともとは店のtwitterにこれをぶん投げてやろうと思っていたのですが、流石にそれはあんまりだと最後の理性の一片が語りかけてきたため、この文章はお蔵入りとなりました。

 

これだけブチギレていたにも関わらず、僕は「推し」の卒業後に一度だけ店に行っています。なぜなら宿題チェキの受け取りが残っていたからです。

「推し」の卒業日、僕は30枚のチェキを頼んでいました。今までお店に通ってきた中で、一番の枚数です。撮ったチェキには落書きをしてもらえるサービスがあるのですが、これほどの枚数になるとその場だけで書くのは難しいもの。加えて、最終日ならではの混雑ぶり。こうした場合などでは、メイドさんが一旦チェキを持ち帰って落書きをし、後日それを客が受け取りに来る宿題チェキといった形式が取られます。

その30枚の宿題チェキの受け取りのために、二度と行かないと固く誓った店に行く必要があったのです。

 

残念ながらチェキの受け取りまでに、手紙に記載した連絡先への連絡はありませんでした。ひょっとしたら宿題チェキに何か書かれている可能性もありますが、おそらくそれも無いでしょう。

それが悲しくないと言えば嘘になりますが、それでも僕の心は晴れやかでした。

なぜならメイドカフェに通っていた一年間、自分にできることは全てやりきったという実感があったからです。

気の向くまま店に行った、好きな作品について語り合った、プレゼントを渡した、オススメしてくれた作品を見た、最後に手紙を渡せた。どれもこれも、自分の選択の結果であり、そこに悔いは全くありませんでした。

 

受け取った宿題チェキのほとんどは、いつも書いてくれていた落書きとそう変わらないチェキばかりでした。

しかし4枚だけ、普通の落書きとは違い、裏面に文字がびっしりと書かれたチェキがありました。そこには僕の手紙へのアンサーが綴られていました。

連絡先への言及はなく、ただただ一年間を振り返る内容が記載された4枚のチェキでしたが、そこに書かれた文章は、この一年間を締めくくるにふさわしい、素晴らしいものでした。

この子を「推し」ていて本当によかった。

そうして、僕のメイドカフェ生活は終わりを告げたのでした。

 

 

最後に、僕が推しの卒業ツイートに送りつけたリプライで本項を終わらせることとします。

いつもは決してリプなどしない僕でしたが(店のルールとかでリプ返禁止だから。というのにも関わらず律儀にリプライを送りまくっていた常連たちを僕は本気で恐れていました!)、流石に最後とあっては送らざるを得ませんでした。

 

二年間お疲れ様でした!
あなたに出会え、数々のオタク話が出来たことは、とても幸運なことだったと、今改めてそう思います。
おかげで僕の世界は広がりました。今まで本当にありがとうございました!
忙しい中のチェキ対応も本当にありがとう!
あなたの行く先がいつも幸せに満ち溢れていますように。

 

 

勘違いした客の気持ち悪い思い込みだと言われたら、返す言葉は一つもないのですが、まあここは僕のブログですし、気持ち悪くて怖いテキストこそを至上とする僕の墓標の一つとして書き残しておきました。いずれ爺になった自分がこの日記を読み返して何を思うのか、今から楽しみです。そういう楽しみ方もきっとある。

 

思い返せば楽しい一年ではありましたが、もう二度とメイドカフェに通うことはないでしょう。そんな場所に通うくらいなら、もっと知見を広めて自分を見つめ直す時間に充てたほうが良いという、当たり前すぎる事実に気付いてしまったからです。

そのことに気付くための一年だったと思えばなかなか有意義だったのかもしれません。普通の人はメイドカフェに通わなくてもそんなこと気付いているのでしょうが、そのあたりを考え出すと絶望的な気持ちになってくるので、強い気持ちでそこからは目をそらしておくことにします。

 

新たな気付きがあった僕が30歳になった今どうしているのかというと、これまでメイドカフェに使っていた時間がそっくりゲームあるいはアニメ等に注ぎ込まれるようになりました。

あまりの俗っぽさに自分でも驚きを禁じえませんが、ゲームが楽しいのですからどうしようもありません。むしろゲームより楽しくない現実サイドに問題がある気すらしてきます。

あと見なくなりつつあったアニメもめっちゃ見るようになったし、Netflixで海外ドラマやドキュメンタリーも見るようになりました。中にはメイドカフェに通ったことがきっかけで見始めたものもあるので、この一年間の思い出はしっかりと僕の中で根を張っているようです。

 

こんな調子では有意義な30代を過ごせるようになるのは、いつになるのやらといった感じですが、まあ気楽にやっていきたいところです。あるいはこれが有意義な30代の姿なのでしょうか。もはや何もわかりません。