インターネットのけもの

全て妄想です。

時間よ止まれ

気がつけばブログを放置して一年以上が過ぎ去っていました。

もちろん、この一年間は早くブログを更新せねばと日々ネタ探しに奔走、ということは当然なく、割と普通に自分がブログをやっていたということすら忘れて穏やかな日々を過ごしていました。

 

盆休みの最終日、久しぶりに存在を思い出したこのブログにアクセスしてみると、そこに映し出されたのはイリーガルな何かを脳に注射されたとしか思えない稚拙で幼稚な恋愛論のような何か。こんなものが一年以上もトップページに表示されていたことに戦慄を覚えます。

この一年以上前の日記から察するに、当時の僕は何か恋愛的な意味での大事なことに気付いたようですが、なんとその後今に至るまで、その大事なことを披露する機会がなかったというのですから驚きしかありません。

周囲はすでに結婚、更には出産という人生の新たな局面を迎え、これからより成熟した人間となっていく一方で、僕は未だに芽吹くことすら出来ていない有様。しかも、このままでは芽伸び花開く日が来ないままに枯れてしまうかもしれないという絶望的な状況です。

「なんとかしなくては」

そうして悩み抜いた僕は今メイドカフェにいます。

いったいなんでこんな事になってしまったのか。

そこにはある一人のメイドさんとの出会いがありました。

 

 

2021年11月。

僕は友人に連れられて大阪・日本橋メイドカフェに来ていました。

自分で言うのも恥ずかしいものですが、僕はマジで偏りまくった古のオタクのような思想の持ち主ですので、当時はメイドカフェについてもかなり斜に構えた見方で訪れていました。

ちょっと可愛いくらいの普通の女どもがメイド服を着ただけでメイドを名乗るなんておこがましい。「おかえりなさいませ、ご主人さま」なんて言ってみたところで、所詮はオタク文化の気持ち悪い部分が具現化したものでしか無く、こんなところに大手を振って通っている連中がいるなんて信じられない。

実際、過去に何度かメイドカフェには訪れたことはあり、中には有名店とされるところもありましたが、僕は全く楽しむことが出来ず、自分にはそういう店は合っていないのだと思っていました。このときも、友人の知り合いが働いているから一度行ってみようと、どちらかといえば冷やかし目的での入店でした。

しかし、この日を境に僕の認識は大きく改められることになります。

 

残念ながら友人の知り合いは出勤日ではなかったらしく、普通にお客さんとして入店する形となりました。日本橋の片隅にあるこじんまりとしたお店で、外から見ても穏やかな雰囲気が漂っています。

入店し、テーブル席に着いた僕たちのもとに一人のメイドさんが現れました。

「はじめまして、〇〇っていいます」

メイドカフェのシステムについては未だに明るくないのですが、どうやらこのお店は席に着いたお客(ご主人さま)に対し、わりと積極的にメイドさんが話しかけてくれるタイプのお店らしく、僕と友人の雑談に混ざる形でメイドさんが会話に入ってきます。

この時に現れたメイドさんこそが、このあと僕にとって初めての「推し」となるメイドさんでした。

今になって思えば、その後めちゃくちゃ推すことになるのはこの時点でもう決まっていたのかもしれません。なぜなら、ひと目見た瞬間に「あ、なんかめちゃくちゃかわいい人がきた」と思ったからです。僕はアイドルや女優なんかを見ても、あまりかわいいと思うことはないのですが、この時は明確に「かわいいな」と思ったことを強く覚えています。

 

この日はお客さんが少ない日だったらしく、彼女は頻繁に僕たちのテーブルに来てくれて、趣味の話や友人が作っていたゲームの話で盛り上がりました。

メイドカフェは合わないと思っていたけど、話が合う人がいたら普通に楽しいんだな」

加えて、お店の雰囲気が自分にあっていたというのもあるのでしょう。

これまでに行ったことのあるお店はなんというか萌え要素を全面に押し出したようなところばかりで、おいしくなあれの魔法がかけられたり、メイドさんが歌いだしたりと、TVや雑誌で見るような典型的なメイドカフェというところでした。そのキャピキャピした感じが僕は苦手だったのです。

一方でこのお店はそういったサービスは全くなく、あるのはメイドさんとご主人さまの会話だけです。チェキやメイドさんが作るデザートといったメニューはありますが、それも過度に萌え要素が強いものではなく、どちらかといえば会話を楽しむための付加要素といった感じです。そこがおしゃべり好きな僕に合っていたのでしょう。

店を出る頃には「また来てみようかな」と思えるくらいには僕はこのお店が気に入っていました。

そして一ヶ月後、僕は二度目の来店を果たします。

 

年末のコミケを控えた12月下旬。

日本橋に行く用事のあった僕は、一人で二回目のメイドカフェに行くことを決めていました。どうせ行くならと、初回に話が盛り上がったメイドさんの出勤日を調べ、タイミングを合わせての出陣です。

初めて一人で入るメイドカフェには緊張しましたが、前回の楽しかった雰囲気を思い出し、なんとか扉を開きます。お店に足を踏み入れると、そこにはメイドさんではなく、サンタコスに身を包んだ女の子たちが待ち受けていました。

折しもこの日は「クリスマスイベント」が開催されており、普段はメイド服姿の女の子たちが今日はサンタコスでご主人さまを迎え入れるという日でした。この後にわかるのですが、このお店は頻繁になんらかのイベントを開催しており、その都度衣装が変わるという何度来ても楽しめるタイプのお店でした。

 

席についた僕に対し、前回話したメイドさんが話しかけてくれました。

「前も来てくれましたよね?」

一ヶ月前に一回来ただけの僕を覚えてくれていたようで、すぐに気付いてくれました。普通に嬉しかったです。

今日はイベント日ということもあってお客さんも多く、前回ほどゆったり話せませんでしたが、僕がコミケに行くと伝えるとメイドさんのテンションが少し変わります。どうやら大好きな先生がコミケにサークル参加するとかで、コミケに行く僕のことが羨ましいとのことでした。前回から薄々思っていましたが、彼女はなかなかのオタクのようです。

「へえ、誰が出るんですか?」

「〇〇先生です!」

返ってきた名前は当時僕がドハマりしていた作品のイラストレーターさんの名前でした。そう、彼女と僕は好きな作品が一緒でした。

それからはひたすら好きな作品について語り合う時間が続きました。お互いに周囲にその作品が好きな人がおらず語りたい欲が溜まっていたからか、主人公とヒロインの関係性が素晴らしいだの、作者の性癖が透けて見えるだの、堰を切ったかのように話が続きます。

自分と同じ熱量でオタク話ができることは非常に嬉しく、それがめちゃくちゃ可愛い子相手だというのですから、これ以上に楽しいことはそうないと断言出来るでしょう。この時点で僕はこの店にこれからも通うことを決心しました。

そして年末のコミケでは、目当ての本を2冊確保する僕の姿がありました。

 

年明け。またもや彼女の出勤に合わせ、メイドカフェへと赴きます。

カバンの中に1冊の同人誌を忍ばせて入店すると、巫女服姿のメイドさんたちが待ち受けていました。今日は「巫女イベント」です。

この頃にもなると慣れたもので、すっとカウンター席に陣取ってドリンクを注文します。ドリンクが来る頃にちょうど彼女が話しかけてきてくれたので、これどうぞと同人誌を差し出しました。もちろん、彼女が欲しがっていたイラストレーターの同人誌です。

彼女の喜び具合と言ったらかなりのもので、我慢できずにその場で本を読み出すほどでした。

その様子をみて、他のメイドさんも集まってきます。当然ですが、目当てのメイドさん以外にもメイドさんはいるわけで、入店回数が増えるたび、その人達とも交流が深まっていきます。

集まってきたメイドさんに対し、この本が如何に素晴らしいものか力説する姿を見て、こんなに喜んでもらえるなら買ってきてよかったな、と心の底からそう思いました。

 

こういったプレゼントを送った場合、その場では喜んでいても裏ではどう思っているか分からないということが大半です。が、どうやらこれは本当に気に入ってくれたようで、同人誌を額装して部屋に飾っているというのですから驚きです。

ちょくちょく上げてくれる部屋での自撮りに今でも写り込んでいることがあり、それを見るたびになんだか嬉しくなる自分がいます。

 

好きな作品が同じでそれについて語り合っていると、次は他にどんな作品が好きなのか気になってくるものです。

特にオタクなんて生き物は語りたがりの習性を持つ因果な存在ですので、好きな作品やオススメの作品なんてものを聞かれたときには、自分でも驚くくらいにペラペラと舌がまわります。

この日は、まさにそういう日でした。

同人誌の話から、他にどういった作品を見ているのか、何かオススメの作品はないものかと彼女から話を振られました。

こういったとき、僕は鉄板で勧める作品があります。それが過去の日記でも何度か登場している「猫の地球儀」です。「猫の地球儀」の素晴らしさについて今更触れることはしませんが、この作品は紛れもない名作です。

そして、この「猫の地球儀」を勧めたばかりに僕の中に「推し」という存在が出来るのでした。

 

猫の地球儀」を勧めた二週間後、メイドカフェに来た僕を待ち構えていたのは、すでに「猫の地球儀」を読み終え、感想を伝えてくれる彼女でした。

「推し」が生まれた瞬間でした。

まさか、こんな二週間で上下巻両方読み終えてくるなんて。まさか、誰かと感想を言い合える日が来るなんて。

勧めたとはいえ、こんなに早く読んでもらえるとは思っていませんでした。というか、今まで「猫の地球儀」を勧めた人の中でちゃんと最後まで読み切ってくれたのは彼女が、いや「推し」が初めてです。これがどれほど嬉しかったことか。

この人がここにいる限り、全力でついていこう。僕がそう心に決めたのは当然のことだったのでしょう。

これ以降、僕のメイドカフェ来店ペースは加速し、今では推しの出勤に合わせて週一以上のペースでメイドカフェへと行っています。

 

推しが出来てから僕の生活は少し変わったような気がします。

メイドカフェに行くのにみすぼらしい格好では駄目だと、身だしなみに気を使うようになりました。家に引きこもっていては話題が尽きてしまうと、以前にも増して外に出るようになりました。新しいことをやってみようと、オムライスの練習をしました。

特に大きいのが、漫画やアニメに対する情熱が復活してきたことです。最近は楽しめる作品が見つからず、新作のチェックを全くと言っていいほどしていませんでした。しかし、推しからオススメの作品を聞き、色んな作品を見るようになり、この情熱がかなり復活してきたように思います。Netflixに入り、海外ドラマも見るようになったりと趣味が広がっているとも感じます。

さらには、コミケにサークル参加したのも推しが理由の一端を担っています。もともと出ようとは思っていましたが、二次創作小説を書き、紀行文を修正し、一冊の本にまとめるまで至ったのは確実に推しの影響です。同人活動経験があるという推しに倣い、僕もやってやるぞと本気で向き合うことが出来ました。

最近ではまた文章を書く気力も湧いてきて、今日のように日記を認める他に、どこぞで載せてもらえないかと企画案を考えるようにもなっています。有り体に言えば、推しに凄いと思ってもらえるような何かをやりたい。

 

この一年足らずの間に、楽しめることが増えたのは推しのおかげです。

もともと僕はポジティブな人間だったという自負はありますが、それが今やポジティブの極北とも言えるレベルに達しており、あらゆることに意欲的に取り組めているような気がします。

 

しかし、そうやって楽しめることが増えていく一方で、心の奥底で澱のように溜まっていく不安もあります。

それは推しはいつかはいなくなってしまうということです。

なんとこれまでは前振り、ココからが本題です。

 

僕はこれまでに女優やアイドル、声優など実在する人物のファンになるという経験がないままに生きてきました。漫画やアニメの登場人物のファンになることはあったので、俗に言う「二次元に生きてきた」状態です。ハッキリ言ってしまえば、三次元のファンになるという感覚があまり理解できませんでした。

これはなにも人を好きになることがないというわけではなく、自分の遠くにいる人を応援しようと思えるのがよく分からないということです。応援する気持ちだけならまだしも、自分のお金や時間というリソースを割く意味がよく分かりませんでした。

しかし、今ではその気持ちが痛いくらいに理解できます。誰かを「推す」というのは理屈ではないのです。ある種本能的な、どうしてもそうしたい、そうしなければと思う、それが「推す」ということなのでしょう。

実際、最初は月に一回か二回程度で通っていた僕でしたが、今では推しの出勤日の8割くらいは店に通ってしまっています。やり過ぎるとやべーやつになりそうで怖いのですが、楽しいのですからどうしようもありません。

 

そして、その楽しさが今だけの刹那的なものであると理解しているからこそ、できる限り通っておこうと思ってしまうという側面もあります。

推しはいつかは店を辞めてしまいます。これは避けようのない、確定した未来です。

これが漫画やアニメであれば、完結することはあっても作品自体はずっと残りますが、実在する人物となるとそうもいきません。一度消えてしまうとそのままで、読み返すようなことは出来ません。これからの人生で再度交わるということもないでしょう。

頭ではそういうものだと理解していますし、だからこそ「推しは推せるうちに推せ」なんてことも世の中では言われているのでしょうが、それでもやはりその時を迎えるのが今から怖いと感じます。

こんなことは考えてもどうしようもないことなのでしょう。

ですがどうしても、楽しい時間が続けば続くほど、いつか来る終わりの時を考えてしまうのです。推しが消えてしまうという未だに味わったのことのない経験は僕にどのような形で降りかかるのだろうか。その時、僕は何を考えるのだろうか。

どうかこのまま、楽しい時間が続いてくれないものだろうか。

 

そんなことを考えていたことが伝わったのでしょうか。

先日、推しから以下のような話題を振られました。

「実在の人を推すのってめちゃくちゃ怖くないですか?二次元は裏切らないのに」

正直、「お前がそれを俺にいうんかい!それはちと酷だぜ」と思いましたが、やはりオタク同士、似たようなことを考えるもんだなと少し嬉しくもありました。

推しは更に畳み掛けます。

「なんで推そうって思ってくれたんですか?」

こんなの答えるのが恥ずかしすぎてとてもシラフでは話せないのですが、それでもなんとか前振り部分で書いたようなことがあったからだよと鋼の意思で答えました。

 

でも、考えてみるといい機会ではあります。推しと推すことについて話せる機会なんてそうないですからね。このタイミングでずっと気になっていたことを聞いてみました。

「こっちも聞きたいねんけどさ。推される側って何されたら嬉しいん?」

「えー、なんやろ。かたやまさんは遊び方分かってる人と思うけど」

なんだかちょっとピントの外れた答えが返ってきましたが、どうやら今のままで合っているようです。深く考えることは止めておきます。

「別にこの店かたやまさんのこと嫌いな子もおらんとおもうけどなあ」

それはそれはとても嬉しいことなのですが、今聞きたいことの核はそこではありません。

あなたが!わたしに!なにを!されたら嬉しいのか!を教えてほしいのです。まあパッと出て来ない程度には、僕の普段の振る舞いで満足してもらえているということなのでしょうか。そう無理やり自分を納得させます。

 

自分で言うのもなんですが、多分僕は良いお客さんなのでしょう。

どこかへ出掛けたときには皆で食べてくださいとお土産を買ってくるし、同人誌以降も推しが欲しがっていたものはプレゼントとして時々持ってくる。チェキは推し以外の子もお願いするし(これはみんな可愛いから)、恐らく誰が相手でもしゃべりも悪くない。

今では店の子全員に顔と名前を覚えてもらえたし、最初はお互い敬語だったところも大分くだけてタメ口が増えました。コツコツ通った甲斐があったというものです。

そして、メイドカフェに通うのが楽しくなったその分だけ、やはりどうしても別れの時を想像してしまうのです。

 

僕が通いだしてから、覚えている範囲で4人のメイドさんがお店を卒業していきました。幸か不幸か、最初の二人はあまり交流がないままに卒業していったので特になにも思うところはなかったのですが、あとの二人は結構話すようになってからの卒業だったので、推していたわけでもないのに少しの物悲しさが残りました。

これが推しの卒業ともなればどうなってしまうのでしょうか。

一応、卒業時には卒業イベントが開かれるはずなので気持ちに区切りをつけることは出来るのでしょうが、それでもやはり深い悲しみは残るのでしょう。

 

 

まあ分かってはいるんですよ。所詮は客と店員だって。向こうも仕事でやってくれているんだろうって。

でも僕は過去にできたどんな友達とだってここまでオタク的な会話が噛み合ったことがないんです。勧めてくれた作品がドンピシャで刺さったこともそうないんです。

そんな人と将来的にさよならしないといけないなんて、それが分かっている状態で、それでも今を楽しむしかないなんて、もうどうすれば良いんだって感じなんですよ。

それにね、全部が全部仕事でやってるわけでもないと思うんですね。だって「猫の地球儀」以外に勧めた作品は全部見てくれたわけでもないから。興味持てなかったやつは見てないみたいだから。そんな中で僕が特に好きな作品はすぐに全部見てくれたなんて、やっぱり嬉しいじゃないですか。ああ、これは刺さったから見てくれたんだなって。

最初は見た目が可愛いからってところが始まりではありました。でもそれだけだったらこんなにも通いつめることにはなってなかったと思います。やはり趣味の話が合うというのが僕の中では非常に重要で、推しがいなくなるというのは趣味仲間が、好きな作品の新刊について語り合う仲間がいなくなるのと同義です。この点については可愛さは全く関係なく、例えば推しが男だったとしても同じように悲しんでいるだろうと思います。

 

いざ別れというその時、僕はいったいどう振る舞うべきなのか。

理想のお客としての振る舞いは簡単です。なにもせず、そのまま見送れば良い。

でも、僕は強欲で貪欲なのでせっかく手に入れた趣味仲間を手放したくはありません。これからも何らかの形で関わる機会が欲しいのです。

可能なら今の店にずっといてもらうか、あるいは別の店に移ったりするなら僕もそちらに通うようにしたいくらいです。

というか僕はそもそも何がしたいのか。何がどうなれば満足するのか。

こんな訳のわからないことに悩むたび、なぜ今の楽しい時間が続いてくれないのかと思ってしまいます。今のままでいいのに、なにも変わる必要なんてないのに。

どうか時間よ止まっておくれ。