インターネットのけもの

全て妄想です。

9月14日

必死になって思い出そうとしてみたのですが、どうやっても9月上旬の記憶が出てきませんでした。一度どこか大きな病院に行ったほうがいいのかもしれません。そういえば、上司からも一度病院にかかったほうが良いんじゃないかとアドバイスを受けていたことを思い出しました(業務時間中でもかまわずに寝まくるから)。

 

 

9/14(土)

 

 一ヶ月ほど前から、「誰が一番麻雀強いのか、それをハッキリさせたい」と強者を求めて放浪している格闘家のようなことを友人が言い出してしまったため、この日は朝から晩まで麻雀を打っていました。

一月前からお互いの友人に声を掛けていたにも関わらず、当日集まったのは7人という中途半端な人数で、しかもそのうち4人が一時間以上遅刻してくるという、どうしようもないまでの人望の無さを露呈してしまう催しになってしまったことについては、ただただ悲しむばかりです。

麻雀自体はつつがなく進行し、約12時間にわたる激闘を無事に終えることができました。なぜか遅刻してきた人が先に帰ってしまうというハプニングもあり、結局僕はずっと打ちっぱなしという状況にさせていただけたため、お陰様で1諭吉程度負けさせていただくことができました。ありがとうございました。

どうやら僕は距離の概念が随分とズレてしまっているらしく、会場となった雀荘には自転車で赴いていたのですが、どうやら他の人たちは皆当然のように電車で来ており、一人で帰るハメになってしまったのですが、そこで事件が起きました。 

 

「えぐっちゃん!?えぐっちゃんやろ!?」

交差点を横断していると、突如後ろから大きな声が聞こえてきました。何事かと振り向いてみると、そこにはすれ違ったばかりの男性が一人、驚いた顔でこちらを見つめていました。

「えぐっちゃん!」

どうやら彼は僕をえぐっちゃんと勘違いしているようです。そろそろ日付も変わろうかという時刻、街灯も少ない交差点だったため、見間違えてしまったのでしょう。

嬉しそうにこちらに近づいてくる彼には悪いのですが、もちろん僕は江口ではありませんし、彼のことだってビタイチ知りません。。まあ近くに来たら流石に勘違いしていることに気がつくでしょう。せめて彼が恥ずかしくならないように、陽気に対応しよう。そんなことを考えているうちに、彼が目の前までやってきました。

「えぐっちゃんやん!!」

いやいや。

いくら暗がりだからって1メートルくらいしか離れてないのに間違えるか?しかも、この喜びよう。恐らく彼と江口くんは相当に仲が良かったものと思われます。それでも間違えるのか?

ちなみにここまで僕は一言も発していません。彼が勝手に「えぐっちゃん」で盛り上がっているだけです。ですが、このまま放っておけば、彼の中で僕が「えぐっちゃん」として確定してしまうのは明らかでしょう。そこで僕は冷静に言い放ちました。

「えぐっちゃんじゃ、ないです」

今思えばもっと言いようがあったのではないかと思いますが、当時は近づいてきてなお、僕を「えぐっちゃん」と言い張る彼に驚くあまり、そう返すのがやっとでした。

「えぐっちゃんじゃ、ないん?」

 本人が否定しているにも関わらず、何故かあくまでもお前は江口だろう?と疑ってくるスタイル。学問の出発点として疑問を持つということは大切ですので、もし彼が江口の研究者ではあったならば、さぞかし良い研究者になったことでしょう。しかし、恐らく彼は江口の研究者ではないし、僕もそうではありません。ここはただ僕が江口ではないことを信じてもらいたいところです。

「ちゃうよ」

まだ納得がいかないのか、マジマジと僕の顔を見つめてきます。とりあえず、僕のドッペルゲンガーの名前が江口であることはもはや確定したと考えていいと思います。それにしても、ここまで疑われるとなんだか自分の存在に自信がなくなってきます。もしかして僕はどこかでこの男にあったことがあるんじゃないだろうか、その時に江口と名乗っていたのではなかろうか。いや、もしかして自分は本当は江口そのものだったのではないか、今までの記憶だと思っていたものは偽りで、実際には江口として活動していた時期があったのではないか。

世界五分前仮説というものがあります。詳しい説明は省きますが、これは世界は五分前に始まったもので、今ある五分以上前の記憶は五分前に植え付けられたものなのではないかというものです。

同様の理屈で、僕が僕として始まったのが五分前なのかもしれない。今まで家族と思っていた、友人と思っていた人たちは皆記憶の中でのみ過去から存在しているだけで、実際には今まで何の関わりもない生活を送っていたのかもしれない。そこでは僕は江口で、目の前にいる男となんらかの深い関わりがあったのでしょう。

 

そしてある時、元江口はまた別の人間として生まれ変わるために、突如として彼の前から姿を消したのです。街中を疾走し、今はまた別の存在になった江口を探す彼。詳しい説明は省きますが、時空超越者として生きる元江口は、定期的に自らを別の存在に書き換えねば、この時代に存在できないことを彼は知っていたのです。もう逢えないかもしれない、この時空に存在するのかも分からない。それでも探さずにはいられない、えぐっちゃん…、君は一体どこにいるんだ。

いつしか時は過ぎ、彼は長い学生生活を終え、立派な社会人になっていました。今ではえぐっちゃんのことを思い出す頻度は減ってしまっていましたが、完全に忘れてしまうということはありませんでした。街中で似たような人を見つければ目で追ってしまうし、毎年出会った日には、未だに取り壊しになっていない、鮮烈な出会いの場であった廃墟にも行っています。そこが取り壊されない限りは、またえぐっちゃんに会えるような気がして…。

えぐっちゃん、俺はなんとかやっていけてるよ。結局、あの頃話していたような旅打ちにはなれなかったけど、世間では良いって言われている会社に入ってひいひい言いながらも頑張ってついていけている。君は俺の未来を知っていたりするのかな?今思うと変な意地はって「俺は実力で当てるんだ!既に確定した出来事を知ってギャンブルで稼ごうだなんてヌルい考えは持ち合わせていないぞ!」だなんて言わずに、もっと君から未来の情報を集めておけばよかったかもな(笑)。そうすれば、こんな毎日仕事に追われることもなかっただろうから。でも、どこかでこれで良かったんだと思う俺もいるんだ。出会ったばかりの頃の俺はもうどこかに行っちまったよ。今じゃ君と馬鹿やってた頃と同じくらいか、それ以上に毎日を楽しめているような気がする。別に君のことを忘れるだとかそういうことじゃないんだ。ただ、君が君の時空に生きるように、俺は俺の時代に生きなきゃならない。

君が今どこにいるのかは知らない。でもそれでも良いんじゃないかって思えるんだ。だってそうだろ?もともとは会うはずのない二人だったんだ。いつまでもお互いのことを知ってなきゃいけないなんてそんなことはないはずさ。確かに寂しく思うときもあるよ。でも、君と楽しくやってきた記憶があるから、辛いときだって楽しく生きていける。君が今どんな状態なのかは知らないけど、俺との思い出は残ってないかもしれないけど、どこかで力になれているのなら嬉しく思う。それに最近、予感がするんだ。どこかでまた君に会えるんじゃないかって。えぐっちゃんじゃなくなっているかもしれない、それでも君に会えるんじゃないかって。

 

そして二人はまた出会うのです。

夜の交差点で。

すれ違いは一瞬、それでも彼には十分だった。

「えぐっちゃん!?えぐっちゃんやろ!?」

 

物語が動き出す。

嫌われる勇気

いつの間にか恐ろしいまでのスピードで9月が過ぎ去ってしまっていたため、唖然とした僕は「まさに、光陰矢の如し、だぜ」と、覚えたての言葉を披露したがる小学生のようなセリフを発することでなんとか心の安寧を図ろうとしたのでした。しかし、そんなセリフを発したところで、過ぎ去った時間が戻ってくることはなく、それどころか、既に9月をどのように過ごしていたのか思い出せない始末。

小学校の卒業スピーチでは「将来は科学者になってロケットの研究がしたいです!」と汚れなき眼で語ってしまうほど明晰な頭脳を持っていた僕でしたが、歳を重ねるたびに突発的に発生する酩酊あるいは泥酔により、もはや脳が漂白されたと言ったほうが正しいのではないかと思えるほど、記憶が定着しにくくなってしまっていたのでした。

 

「日記を書き溜め、数十年経ってから読み返すことで悦に浸る」という目的のもと、このサイトを始めたはずなのですが、これでは目的を果たせそうにありません。とっとと9月中に書きまくっておけばよかったのですが、9月は、というか10月に入った現在もそうなのですが、仕事というあまり好ましくない事項が急に生活の中で存在感を増してくれやがったため、今までの定時の鐘と共に、忍の末裔かと見まごうような速さで職場から姿を消していた生活から、定時の鐘を聞いてから、軽く5時間は職場で過ごしてから帰らなくてはならないという、とても日記を書く暇が見つけられないような生活にシフトせざるを得なかったという事情があったのでした。

こう書くと、まるで僕が精力的に仕事に打ち込むエリートサラリーマンになってしまった印象を受けるかと思いますが、実際のところは、過去の日記にも書いたように職場で寝まくっていたら、最近になってとうとう堪忍袋の緒が切れた上司からガチ説教を受け、今までとは質・量ともに比べ物にならない仕事を割り振られてしまった、という「自業自得」という言葉しか頭をよぎらない状況に陥っていただけです。

 

しかも、どうやら僕は上司から相当に嫌われてしまったらしく、業務上理解できなかったところを質問しても、「調べてそうならそうなんちゃう」「それを調べるのが君の仕事やろ」とわかり易すぎるまでの拒絶の意思を表明されてしまいます。

最初こそは「まあ自業自得か…」と我ながら健気に頑張っていたのですが、最近では僕の方も慣れてきてしまい、熱心に仕事をしているふりをしながらも、実際には全く業務に関係ないサイトを閲覧しまくるという元のサボり状態に戻ってしまいました。ぶっちゃけ調べても分からないことは、いくら調べようが分かんないですからね。別にサボってるのがバレようがこれ以上心象悪くなりようもないなと、ある種開き直りのようなところもありました。

そんな感じで残業しまくりながらも、うまくサボっていたわけですが、そんな生活を続けていると不思議なことに、段々と上司が優しくなってきました。どうやら上司の中では残業=正義だったらしく、遅くまで残っている姿を見せれば頑張っていると評価してくれたようです。実際には途中からは定時で帰っていたときと大して変わらない仕事量しかこなしていなかったわけですが、いつの間にか質問にも答えてくれるようになりました。おかげで効率も上がり、より長時間サボれるように。うまくサボるとこうなるという好例と言えるでしょう。

 

既に怪しげながらも、9月の記憶をなんとか掘り起こして今のうちに書いておこうと日記を書き始めたはずなのですが、気がつけばそんなことはお構いなしに、脱線しまくった日記を書いてしまいました。それもこれも、全て新しいキーボードのせいです。今まで使っていたキーボードがかなり病的な挙動をするようになってしまい、たとえば「k」キーを一度おしただけで「っっっっっっっk」のようなもう少しで高橋名人を超えられるんじゃないかというくらいのオート連打機能を搭載し始めてしまったため、とてもまともに文章が打てる状態ではなくなってしまっていたのです。

そこで、新しいキーボードを「増税前だしね」と、仕事終わりにコンビニスイーツを買うOLのようなテンションで注文していたのですが、それが今日になって届いたのでした。やはり新品というのは良いもので、文字盤は綺麗ですし、打鍵感も滑らかです。当然、狂ったような挙動をすることもありません。なんだか文字を打つのが楽しくなって、思いついたままに日記を綴ってしまったのでした。

とはいえ、9月にあった11回の休日のうち、頑張ってみても5日分くらいしか何をしていたのか思い出せなかったので、そんな健忘症寸前の僕にはこれで良かったのかもしれません。思い出せない日については、まあ多分、ろくでもない過ごし方をしていたことでしょう。

貴重な休日だというのに競馬の予想くらいしかやることがないので、思い出せた分の日記については明日改めて書いてみようと思います。新しいキーボードで文字打つの楽しい。

 

3年目の24時間麻雀

たまには普通の日記を書いておこうと思ったので先週末の出来事を綴っておこうと思います。ちなみに普通の日記というものが何なのかは分かりません。

 

もはや例年の催しとなった24時間麻雀、3年目となる今年もきっちりと24時間テレビの放映にあわせて行われました。

24時間麻雀と銘打ちながら、時間の目安となっている24時間テレビが実は土曜日の18:30から日曜日の21:00まであるために、実際には27時間近くに渡りひたすら麻雀を打ち続けるという修験道のような本企画ですが、今年は総勢15名もの猛者(キチガイともいう)が集いました。うち12名は遅刻早退なしの本物(のキチガイ)です。

僕はてっきり皆次の日は休みを取っているものだと思っていたのですが、話を聞いていると、どうやら休みを取っていない人が半数近くいたようで驚かされました。

ですが考えてみればそれは割と普通のことで、僕の場合は麻雀終了後にはもう終電がなく、強引に帰るとすれば夜行バスに乗って翌朝そのまま出社という鉄人じみたハードスケジュールをこなさなければなりませんが、他の皆は、麻雀終了後に悠々と自宅へ帰り、たっぷりと睡眠を取ってから翌朝を迎えることが出来ます。27時間近くの激闘を戦い抜いた翌日に仕事をするという選択肢が十分に選べるのです。

僕はそもそも仕事をすることからしてあまり好きではない、というか積極的に嫌いですので、今回も当然のように休みを取っておきました。ですが、中途半端にケチって翌日は余っていた18きっぷを使って大阪まで帰ってしまったので、あまり疲れは抜けませんでした。僕は一体何がしたかったのでしょうか。

書いていて思ったのですが、そろそろ関西からの麻雀参加者を増やしたいところですね。以前知り合った京都在住だと言う方が、「麻雀参加したいです!東京だろうと行きますよ!」というのでLINEグループに招待したのですが、その後一度も麻雀に参加することがないまま、グループから追放されてしまうという悲しい事件がありました。これに対する皆の反応は、「まあそうなるわな」という感じでした。これではほぼ毎回大阪から参加している僕だけなんだかおかしな人みたいじゃないですか。愚痴っぽくなりましたね。先に進みましょう。

 

細かいルールは過去に記してあるので省きますが、今回は新たな試みとして時間制が導入されました。これは以前よりの懸念であった、各卓における一半荘ごとの終了時間のバラツキから発生する待ち時間を解決するもので、一回の区切りを半荘単位ではなく、90分の時間単位にすることにより、打っている人にとっては無駄な待ち時間が発生せず、抜け番の人にとっては復帰の時間が明確であるというメリットがありました。

時間制の導入に伴い、ハコシタ続行という恐ろしいルールも自動的に採用されたため、理屈の上では90分の戦いで馬鹿みたいに勝ち続けることも、鬼のように負け続けることも出来るようになり、順位が上下しやすくなった点は個人的には好み。これにより、10万点以上もの点棒をかき集めるもの、-3万点以上となり点棒を同卓者から借りるものなど、明暗分かれる景色が繰り広げられていました。

ヤキトリは廃止となりましたが、ハコシタ状態をこれまでのヤキトリと同等に扱うことで、一定のペナルティは保持されています。見方によっては、マイナスとなっている点数から更に点数が引かれるわけで、ペナルティが強化されていると言ってもいいかもしれません。80分経過時にハコシタ状態になった時の絶望感と言ったら…。一度だけ90分経過時にハコシタ状態で迎えたオーラスで、ハコシタ回避の上がりをツモることが出来たのですが、この時は役満上がった時並に興奮しました。実際、点数的にもそれくらいの価値があるわけですしね。

 

過去2年は見るに堪えないという言葉がこれ以上似合うこともないだろうというくらいにボロ負けの無残な姿を晒していましたが、なんと今年は滑り出しから順調で、最初に危なげなくトップを獲って1軍卓へ向かうと、その後もトップは獲れないものの、3着以下になることがなく、1軍卓をキープ。2軍卓に落ちたとしてもすぐに1軍卓へ返り咲く驚異の復帰力をみせていました。

一度だけ、入れ替わりの都合で3軍卓へ落ちたことがあったのですが、そのときは圧倒的ともいえる点差でトップをもぎとり、再び1・2軍卓の待つ個室へと舞い戻ったのでした。

 予見されていた事ではありましたが、飛び終了がない今回のルールでは、2着3着の人でも容赦なく4着から上がってしまう上、勝負が終盤に差し掛かると点数を持っている人は点差を詰められないように無難な打ち方しかしなくなるため、防御型の戦法が有利なように感じました。僕自身も勝負が出来る配牌に恵まれた時は前に出ていきますが、そうでない時は早々に手仕舞いすることが多かったです。

 

そうした普段以上に控えめな打ち方が功を奏したのか、日曜日19:30に迎えた最終戦開始時点で、僕は総合2位の座につけていました。普段からすれば考えられないことです。総合1位との差がかなり開いた2位ではありましたが、総合3位に比べ優勝が絶望的というほど離されてもいません。最終戦では同じ卓に総合1位から4位の人が揃っていたので、ここで大きく勝てば優勝は間違いないでしょう。これはまさかの初優勝があるんじゃないか、僕の心が浮足立ったのは言うまでもありません。

そして始まった最終戦

僕としてはもちろん、1位との一騎打ちとしか捉えておらず、正直脇の二人はどうでも良かったのですが、何故かのっけから総合3位が絶好調。僕たち3人に何もさせないままツモりまくって点数を奪っていきます。気がつけば6万点にも及ぶ点数を掻き集め、僕たちの生命線(点数)は風前の灯火となっていたのでした。

このままでは負ける…!せっかく見えていた優勝の座に手を伸ばすことも出来ないままにやられてしまう…!

僕が優勝するためには、現在の総合1位を大きく突き放した点数を稼ぎ出し、最終戦を勝利する必要があります。しかし、現状は総合3位が場を支配しており、他3人はされるがままといった塩梅です。ここから優勝するためには一体どうしたら…。

 

その時あることに気が付きました。最終戦開始時に総合1位はほとんど優勝に近い位置におり、僕以外の誰かがちょっとやそっとの点数を稼いだくらいではその地位が揺るぎないものとなっていました。彼は僕から点数を奪われることに注意しておけば、そのまま優勝への道が約束されていたのです。そのため、僕はどのようにして彼から点数を奪うか考えていたのですが、いい手が浮かばずにいました。

ここで、場に目を向けてみるとどうでしょう。総合3位の活躍により、他の皆は極端に点数が減ってきています。ということは、ここから僕が勝利することができれば、優勝への条件である、「総合1位に大きく差をつけて勝つ」という最終戦の目的が達成されるのです。なにも僕が直接点数を奪いに行く必要はなかったのです。

目指すところは決まりました。とはいえ、総合3位とはすでに6万点近くの差が開いています。残り時間の関係もあり、この点数を詰めるためにとれる手段はそう多くはありません。僕はある一つに狙いを定め、それが成るときを息を潜めて待つことにしました。

 

息を潜めながら、上がれる時は上がっていましたが、焼け石に水といったレベルの上がりしか出来ず、差は一向に縮まりません。やはり、これしかない…。そうして時がくるのを今かと待ちわびていた時、その手は現れました。

四暗刻聴牌

そうです。僕は一撃必殺、麻雀の花形、役満を狙っていたのです。狙っていてもそうそう出せるものではありませんが、狙わなければ出ないのもまた事実。一発逆転の思いを秘めた僕の手でしたが、残念なことにツモることも出来ないまま、呆気なく流れてしまいました。

もうだめだったか…。これじゃあ優勝どころか、総合2位の座だって怪しいかもしれないな…。

次に来た配牌は可もなく不可もなくといった程度のもので、僕は半ば諦めかけていました。しかし、どうしたことでしょう。手が進むにつれて、必要とされる牌が集まり、ある一つの形を成していきます。そして、

再度、四暗刻聴牌

なんということでしょう。ここに来て連続して四暗刻聴牌です。ここまで来るともう、牌の声が聞こえるようです。「上がれ」と。そして、「勝て」と。残りのツモは3回しか残されていませんでしたが、そんなことは関係ありません。これはツモれる。そうでなけりゃ嘘だ。

他の人が上がってしまわないようにと祈りながらゲームの進行に身を任せます。途中、オープンリーチで晒された牌の中に上がり牌が含まれていましたが、もはやそんなことは気になりませんでした。そして時は満ちました。

 

ツモ!四暗刻

ここに僕の今年の24時間麻雀の全てが詰まっていました。

 

その後は、点差を大きく縮めた勢いそのままに、トップまであと千点というところまで迫るも、一歩及ばないままに90分が経過。惜しくも優勝は逃してしまいました。

役満上がったのに勝ちきれないとは何だか妙な感じもしますが、これもまた勝負というものでしょう。晴れ晴れとした思いで終わることは出来ましたが、やはり優勝を逃したという悔しさは残ります。来年こそは何とか。

 

今年も良い催しでした。

 

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最近読んだ本たち

ただでさえ思いつきでしか更新しないブログなのに、最近は金玉がどうだ、陰毛がどうだ、と知能指数が地面スレスレどころか地中に潜ってしまったような日記しか書いていなかったため、ちょっとここらで知性をアピールする日記を書いてやろうと思います。

とは思ったものの、知性をアピールする方法が特に思い浮かばなかったので、最近読んだ本のリストでも挙げていきます。

 

知性をアピールするために出てきたアイデアが読書、という逆に発想の貧困さを晒すものであったことについては目を瞑ることにしました。

 

 

・「星を継ぐもの」

・「海底二万里

・「バック・トゥ・ザ・フューチャー

・「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」

・「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」

・「宇宙の孤児」

・「テイルチェイサーの歌」

・「地球の長い午後」

 

 

知性をアピールといいつつ、8冊しか出てこなかったことに僕自身驚きを隠せないのですが、これが僕の限界なのでしょう。悔しいので、これから本を読むたびにここに付け加えていってやります。目指すは100冊です。

以下追加分

 

・「エンダーのゲーム」(2019/08/26)

・「ガニメデの優しい巨人」(2019/08/30)

・「変身」(2019/08/31)

・「サターン・デッドヒート」(2019/09/03)

・「大いなる天上の河」(2019/10/12)

・「クローム襲撃」(2019/10/20)

・「異邦人」(2019/10/31)

 ・「アルジャーノンに花束を」(2019/11/07)

・「光の潮流」(2019/11/23)

・「ハッカーを追え!」(2020/03/07)

 ・「スキャナーに生きがいはない 人類補完機構全短篇1」(2020/03/23)

 ・「サターン・デッドヒート2」(2020/04/01)

 ・「アルファ・ラルファ大通り 人類補完機構全短篇2」(2020/06/07)

 ・「三惑星の探求 人類補完機構全短篇3」(2020/06/14)

 ・「死者の代弁者」(2020/06/24)

 ・「ノーストリリア」(2020/07/11)

 ・「ニューロマンサー」(2020/07/19)

 ・「堕落論」(2020/10/28)

 ・「夏への扉」(2020/10/29)

 ・「銀河ヒッチハイク・ガイド」(2020/11/20)

・「月は無慈悲な夜の女王」(2021/01/17)

・「自由論」(2021/02/18)

・「車輪の下で」(2021/04/10)

・「老人と海」(2021/04/15)

・「三体」(2021/06/12)

・「三体II 黒暗森林」(2021/06/26)

・「おっぱいとトラクター」(2021/10/14)

・「一人だけの軍隊」(2021/11/06)

・「墓標都市」(2022/05/26)

・「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(2022/08/23)

・「華氏451度」(2022/09/24)

・「幼年期の終わり」(2022/11/05)

・「人生の短さについて」(2023/03/19)

・「西の魔女が死んだ」(2023/11/11)

・「第六ポンプ」(2023/12/15)

・「ねじまき少女」(2024/01/28)

・「新世界より」(2024/02/23)

 

 

あと、どうでもいいのですが、僕がこうも金玉とか陰毛だとか下品な話が好きな理由として、もちろんインターネットが大部分を占めていることは間違いないのですが、それとは別にもう一つ、バイト先での出来事があるような気がしてなりません。

僕が高校生の時、中華料理店でアルバイトをしていた時の話です。

かなり本格的な中華料理店で、料理は本場中国からやってきた料理人が担い、僕たちバイトはホールのみというお店でした。普段は交流が殆どない両者でしたが、いがみ合ったりということはなく、店の裏で休んでいるときなんかは普通に話をしている、そんな間柄でした。まあ向こうはいい歳のおっさんばかりで、こちらは高校生ばかりでしたから、ただ単に息子に接しているような気分だったのかもしれません。

お店ではまかないが出ていたのですが、これがまた美味しく、僕は素直に「料理人ってやっぱすげえなあ」と感心していました。たまに謎のカレーがまかないとして出されるときもあったのですが、それも普通に美味しかったのには驚きました。バイトの勤続期間も徐々に増え、料理人さん達と冗談を言い合うようなことも出てきた、そんなある日のことです。

 

僕が店の裏手でビールケースを整理していると、劉(りゅう)さんが話しかけてきました。いつもどおりの他愛のない会話をしていたはずだったのですが、何が狂ったのか、突然劉さんがそれまでに発したことのなかったワードを投げかけてきました。

「最近、ちんこの勃ちが悪くなってきてなあ」

「…!?」

それまでに冗談を言い合ったことはありましたが、劉さんの口からシモネタを聞いたのは初めてのことでした。あのいつも笑顔で出来上がった料理を渡してくれる劉さんの口から、ちんこ…?僕が上手く反応出来ないでいると、それに構わず劉さんが続けます。

「あの湯と水に交互に浸けるってやつあるやろ?あれ試してみてんけどすごいもんやな。硬さが復活するどころか、前よりも硬くなった気がするわ!」

「お湯はお風呂の温度くらいなんですかね??」

僕もテンパってしまって訳のわからない事を聞いてしまっています。しっかりして!もっと聞くべきところがあるでしょう!

しかし、それにも劉さんはサラリと答えます。

「お湯はまあそんなとこやなー。あんまり温度高すぎると金玉がやられるかもしれんからな。その代わりに水はキンキンに冷やしたん使ってるで!」

そう言うと劉さんは厨房へ帰っていきました。あとに残されたのは途中からビールケースの整理を忘れていた僕だけ。

そして僕は思いました。

ああ、世の中って真面目なように見えても皆自由に好き勝手やってるんだなあ、と。

当時の僕はいい歳こいて「うんこ・ちんこ・まんこ」と言ってるような連中はインターネットの中にしかいないものと思っていましたが、実際にはそのへんに普通にいるし、なんならその話題を平気で投げかけてくるものだと知りました。

 

思い返しながら書き出してみると、じゃあ何故僕は下品な話題が好きなのか、という部分にはうまく繋がっていないような気がしてきたのですが、まあ人の好き嫌いなんかは得てしてそういうものでしょう。全部が全部、理屈で示せるものでもないのです。

という、無理やりいい話風にまとめたところで終わります。結局今日もシモの話になってしまった。

燃えろよ燃えろ

先程、生まれてはじめて自らの陰毛に火をつけるという行為をしてきました。

これが中々に楽しかったので、記録の意味も兼ねて書き残しておこうと思います。

 

 

 

 

今回とある事情から陰毛を処理する必要に駆られた僕が、どう処理したものかな…?と闇を体現したスチールウールのような陰毛を眺めていると、一つの考えが頭をよぎりました。

「燃やしたほうが早いのでは…?」

もちろんこの考えは即座に却下されかかったのですが、そんな僕を引き止めたのがインターネットの思い出たちでした。

 

僕が憧れていたインターネットには弩級の変人たちが集っており、その一角に「自らの陰毛を燃やす」ことを趣味としている人たちがいました。彼らは主に宴席において、場がほどよく暖まったころに性器を露出、余勢を駆って陰毛に火を放つ、そしてその一連の流れをインターネット上に公開する(時には写真付きで)、という余人には到底理解できないことを楽しんでいました。

彼らの行動において、僕が理解できる部分は少なかったのですが、それはそれとしても、やはり陰毛に火をつけるというインパクトはすごく、当時まだ中学生、高校生だった僕もゲラゲラと笑ったものでした。しかし、時代の流れかなんなのか、最近ではそういった行為をする人も少なくなったようで、陰毛に火をつける人を見かけることもなくなり、一抹のさびしさを覚えていました。

 

そう、僕は寂しかったのです。

陰毛を燃やす人が表に出てこなくなり、品行方正が求められるあまり、下品さがどんどん失われていくインターネットに飽き飽きしていました。僕は下品なものが大好きなのです。

燃やす人がいないのなら、自分が燃やす人になろう。

自らの陰毛に火を放つことを決意した瞬間でした。

 

決意とかそういう言葉を使うと格好良く見えるかと思ったけど、全然格好良くないですね。自分の陰毛燃やそうとしてるだけですしね。

あと、どっちかって言うと「チン毛ってほんまに燃えるんかなあ、燃やしたらどんな感じになるんやろ?」という、知能指数が低すぎるとしか言いようがない疑問を満たすためだったという方が大きかったです。この疑問が満たされたとき、過去に陰毛を燃やしてきた人たちに少しだけ近づけるような気がしていました。よく考えてみると、そんな人たちに近づいたところで、碌な人間になれないことはほぼ確実なのですが、このときの僕はそれが良いことだと信じてしまっていたのです。

 

 

ともかく、燃やすことは決定したので、準備を始めます。

火を使うことを考えると、万が一があってはいけないのでお風呂場がベストでしょう。そのままカットまで行えるのも良い点です。ただ一つだけ問題がありました。

僕は実家暮らしの身分なのですが、お風呂で陰毛を燃やしているところを両親に発見されてしまうと、どう好意的に解釈してもあまりよろしくない結果が導かれるであろうことは容易に推測できます。最悪の場合、入院措置なんかがとられるかもしれません(頭の)。

これを避けるために僕が選んだ選択肢は、「おばあちゃん家のお風呂場でやる」でした。おばあちゃんは早々に寝てしまうので、夜に実行すれば見られることはまずありませんし、何よりも、まさか孫がわざわざ陰毛を燃やすためにおばあちゃん家に来たとは思わない。盲点を突いた奇手と言えるでしょう。

 

さっそくライターとハサミ、ついでに記録用のデジカメを持っておばあちゃん家のお風呂場へ。僕はタバコを吸わないので、ライター買ってこないとなあと思っていたのですが、ちょうど先月参加した「おっさんは二度死ぬ」トークライブ&サイン会でもらったライターが手元にあったのでそれを使いました。ありがとう、patoさん。

デジカメをセットし、ライターからちゃんと火が出ることを確認します。念の為にシャワーは出しっぱなしです。他に必要なものは覚悟くらいです。嗚呼、やっと彼らに近づける時が来たんだ…。

覚悟も決まり、ライターを陰毛に近づけます。

さあ、燃えろよ!燃えろ!

 

轟!っと燃えだすかと思ったのですが、何だか陰毛がチリチリになるだけで一向に燃えてくれません。それでもめげずに角度を変えながら火をつけていると、しっかり燃えてくれる箇所も出てきたのですが、精々が小火といった具合で、思ったよりも大きくなってくれません。あれ?おかしいな。もっと燃え広がって、「うおー!めっちゃチン毛燃えてるー!」ってなるはずだったのにな。

そんな僕の思いをよそにみるみるうちに消えていく火。火傷しないようにと予め出しておいたシャワーとかは全くの無意味だったようです。

もっと毛を寄せて火をつけたほうがいいのか?と思い、陰毛に手を伸ばしたのですが、その途端にパラパラとこぼれ落ちる燃えカス。どうやら燃えた後も陰毛同士で絡まり合って残されていたようです。払い除けてみると、ちょっとびっくりするくらいの量の燃えカスが登場してくれました。

加えて、毛を燃やした時に発生するあの独特な嫌な臭い。これがとんでもないレベルで充満しています。おばあちゃん家でやって本当に良かった…。これが実家なら、臭いで異変を感じ取った両親がお風呂場に急行。そこで見つけたのはカメラの前で謎の燃えカスの上に仁王立ちしながら自らの股間にライターを当てている息子だった、というその場で首を掻っ切ってもおかしくない状況になっていたでしょうからね。

 

結局、最後まで思ったほど燃えないという結果には変わりがなかったのですが、火を当てるだけでもかなり処理ができるらしく、ある程度ライターを使った後には、毛量もかなり少なくなっていました。あとはハサミで整えて終了です。

整えるとは言っても、具体的なビジョンがなかったので、ザックリ短く揃えるようにしただけなのですが、それだけでも案外難しいものですね。チン毛を切るだけなのに、なぜか美容師ってやっぱ技術職なんだなあとか妙にトンチンカンなことを考えていました。

燃やして量を減らしてからカットしただけあって、かなり良い感じに仕上がったように思います。季節はまさに夏!といったよそおいです。ちょっとこれ以上に爽やかな股間ってのもそうそう無いんじゃないかな?めちゃくちゃキレイになった。

場所が場所なだけに、自分でしか判断できないのがネックだな、とか思っていたのですが、そもそも今回なぜ陰毛を処理する必要が出てきたのか、というところを思い返してみると、仕上がり具合の確認は他の人達に任せるべきではないのか、という気がしてきました。

 

 

それは8月11日、コミックマーケット96の3日目が終わった後のことでした。

この日、あるサークルのお手伝いとしてコミケに参加していた僕は、当然のようにそのサークルの打ち上げにも参加していました。サークルの主が誕生日を迎えたばかりだということで、誕生日会も兼ねたその集まりには当初10名ちょっとが参加していました。

その後、もっと人を呼ぼうとの試みから、自由に参加者を募るようになり、最終的な人数は50名を超えていたように思います。ここまでくると、サークルの打ち上げだとか、誕生日会だとか、そういった目的は薄れてしまい、ただただ飲み会といった様相を呈していました。

寡黙にして品行方正な僕は、そうやって増えていく人を見つめながらも、生来の人見知りを遺憾なく発揮し、隅っこのテーブルで知り合いと飲んでいたのですが、酒癖の悪さも手伝ってか、いつの間にか初対面の女性を含む6名ほどの前で陰毛を露出するという痴態を晒していました。

唐突すぎて意味がわかりませんが、僕にも意味はわかりません。ただ後に写真を確認すると僕のズボンを嬉しそうにずらしている男性の姿が確認できたため、僕だけの責任ではないのだと思います。というか、そういうことにさせておいてください。きっと話の流れとか、そういう、どうにも抗えないもののせいでそうなってしまっていたのでしょう。どういう話なんだよと聞かれては答えに窮するのですが、まあそういうこともあるのだ、ということで一つ。

 

本当に経緯は全くわからないのですが、兎にも角にも僕は陰毛を露出してしまっていたのです。それも、内訳としては男性2名、女性4名(うち2名は初対面)であったため、もはやどうしようもありません。

しかし、驚いたことに僕の陰毛を見た人たちは嫌な顔をするどころか、笑みを浮かべています。中には(というかほぼ全員)、カメラを向けている人までいました。僕の陰毛を撮って何が楽しんでしょうか。僕は日本の行く末を悲観せずにはいられませんでした。

そして一通り楽しんだ女性陣から発せられた衝撃の一言に、僕は戸惑いを隠しきれませんでした。

「陰毛が、濃い」

そのあまりにもストレートすぎる指摘に、僕は陰毛を処理することを決意したのでした。

はじめは濃くない!と抗弁していた僕でしたが、指摘してきたのが4人中4人という驚異の数字(まさかの100%!)だったため、渋々納得するしかありませんでした。まあ、ちょうど夏だしね、スッキリするのも悪くないよ…。

 

というかですね!陰毛の濃さを指摘する女性っていうのは一体全体どういった了見なんですか!大和撫子の精神は失われてしまったのですか!貞淑さとかたおやかさとか、そういったものはどこへいったんですか!

濃いか薄いかってのは相対的な尺度ですから、つまり陰毛の濃さを指摘出来るということは、それだけ多くの陰毛を見てきたことの証左に他なりません。僕はね、やっぱりそういうのって秘するべきだと思う。自分が今までにどんな陰毛を見てきたとか、そういうのって言わなくてもいいと思う。

でもあれか。別にその陰毛を見たってのは直接じゃないことも有りえるのか。例えばAVなんかをいっぱい見てると陰毛が濃いか薄いかは判断できるだろうしな。AVばかり見てる女性というのもなかなか…。あるいは自分の陰毛と比べて、ってパターンも有りえるのか。自分とあまりにも違っていたらそりゃ濃いとか思うもんな。

これは結構妄想が膨らんでいくのでは…?とか思いましたけど、この方向に考えをのばしていくと、どうやっても気持ち悪くしかならなかったのでそろそろ止めておきます。そもそも、飲み会でチン毛ほっぽり出している人に貞淑さがどうこうとか言われたくないだろうし。

 

なんか話がぶれてしまいましたが、僕が言いたいのはつまり、「人様に陰毛が濃いって言うくらいだから、おたくのはよっぽど薄いんだろうなあ!ちょっくら見せてみろや!」ということです。

嘘。間違えた。

ほんとうは、「ちゃんとキレイに整えたからもう一回見て判断してくれ、それが責任というものでは?」ということです。

どっちにせよ酷いですね!

本当に露出狂のケはまったくないのですが、こういう日記を書いていると、そのように振る舞ってしまうので良くないですね。僕は品行方正な男だったはずなのに。

 

 

今回陰毛を燃やしてみて分かったことは、まじで陰毛って燃えないんだなってことでした。僕が昔見たインターネットでは皆バンバン燃えてたし、画像でも煌々と燃え盛っていたように思うのですが、実際は上手くいかないものでした。

思うに、陰毛を燃やすのにもコツがあり、彼らはそれを実践していたということなのでしょう。良くも悪くもプロだったということです。ただ燃やしただけの僕とでは大違いです。

 

いい加減、陰毛って書きすぎて頭がおかしくなりそうなのでもう終わります。数えたら36回も書いてたよ。全部燃やそう。