インターネットのけもの

全て妄想です。

「おっさんは二度死ぬ」刊行記念 トークライブ&サイン会 感想

週一で更新するぞ!と心に決めていたはずなのに、気がつくと月一ペースの更新になっていたものですから我ながら自分の怠け者っぷりには唖然とするばかりです。

更新内容も自分の生活を綴るというよりは、ただただ読んだ本の感想を綴るだけになっており、改めて見返してみても自分がどのように過ごしていたのか全く分かりません。

引きこもって無為に過ごすだけの毎日を変えるべく、自分の足跡を残すことで意識的に生活を変えるためにサイトを始めたはずだったような気がするのですが、サイトの中でまで本を読むことしかしていないのではどうしようもありません。

そろそろ何とかしなければと考えていたところ、タイトルであげたイベントが開かれるとあり、これ幸いと参加してきました。嘘です。本当は10年以上応援しているテキストサイトの管理人が先日書籍を出版することになり、それに合わせてイベントが開かれることを知った僕は、あらゆる予定を放棄してイベントに参加することを決めていたのでした。今日はその感想文です。結局感想しか書けないあたり、僕は自発的に何かをするということに向いていないのかもしれません。

 

 

なぜかド平日、それも7月4日の木曜日という日程でこのイベントは行われました。会場は渋谷にある東京カルチャーカルチャー。18:30開場の19:30開演という、明らかに仕事帰りに参加することを想定された時間設定でしたが、僕は大阪に住んでいますので、仕事帰りにどれだけ急いでも間に合うわけがありません。ということで、この日は有給を取得して東京へと向かいました。

イベントの内容を書いていなかったことに気がついたのでここで書いておきますと、最近では様々な媒体で記事やらコラムやらを執筆している、Numeriというテキストサイトの管理人であるpatoさんが、この度ネット掲載されていた「おっさんは二度死ぬ」というコラムをまとめた書籍を刊行されました。その記念として開かれた6人のゲストを招いてのトークライブというイベントで、Numeriからはじまり10年以上にわたってpatoさんの文章を読んできた僕からすれば参加しない道理はありません。

開場時刻前に会場に到着すると、すでに20~30人の待機列が出来ていました。間もなく開場を迎え、パラパラと入場が始まります。僕も適当な席に腰を掛け、開演時刻を待ちます。

 

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開演時刻になり、会場内もそろそろ始まるぞといった雰囲気に。そして最初に登場したのが我らがpatoさんでした。今日の主役であるから当然真ん中の席に座るだろうと思っていたのですが、まさかの端の席に座るpatoさん。どうやら自分で司会もやる関係で端に座ったようですが、自分がメインだということを忘れてやいないでしょうか。

続いてヨッピーさん、DJ急行さん、仙頭さん、ゴトウさんが紹介スライドを交えながら登場し(マミヤ狂四郎さんは遅刻)、最後に特別ゲストの成瀬心美さんが登場しました。よくもまあこんな濃いおっさんばかりのイベントに来たもんだ…と思っていたのですが、イベントが進むにつれていい意味で遠慮がなくなっていったので流石だなあと思わされました。

イベントは二部構成となっており、一部では成瀬さんを交えながら「おっさんとはなにか?」をおっさんたちがグダグダと語らい、二部では成瀬さんが抜け、おっさんたちだけで「おっさん 7つの大罪」と称して何でもありのトークを繰り広げるという、だいたい想像がついていましたが、本の話はほとんどないものになっていました。

 

一部では、使うのに2千円かかったというおっさん素材に触れつつ、肉が食えない、人の名前が出てこない、といったおっさんあるあるの話へ。どれもこれもそのうち自分がなりそうな、こうなったらおっさんの始まりなんだなあというエピソードのオンパレードでした。そこから話は「女性が嫌がるおっさんの行動」へ。なぜかランキング一位から発表を始めたpatoさんに対しツッコミが入りつつも、予想の流れへ。

行動だから加齢臭とかそういうのではないと話している直後に「僕は臭いかなあ」と予想を始め、「臭いじゃないって!」と言われているにも関わらず、自分が臭かったエピソオードを語りだした仙頭さんは相当なものだなと思いました。このイベントでは全体的に仙頭さんの狂いっぷりが引き立っていました。実は参加しているおっさんたちの中で割と若い方というのもなんだか卑怯な気がしました。

イベント序盤はおっさんたちだけでも盛り上がっている感があり、成瀬さん置いてけぼりだなあと思っていたのですが、その後、ランキング二位、三位が発表されつつ、おっさんエピソードが語られていく中で成瀬さんも隠されていた刃を見せてくるようになります。

成瀬さんを囲むおっさんたちがトップオタを集めた最後の晩餐みたいな絵面になっていると言われたことに対し「私のトップオタはもうちょっとちゃんとしてます!」と返し、成瀬さんが引退したら2年は引きずるといったファンに対し「2年か~、短えよ!」とやさぐれる、と大活躍でした。

一部の最後では成瀬さんがどのおっさんが一番マシかを選ぶというどう考えても誰かが血を吐くことになる悪夢のような儀式があったのですが、一位に選ばれたのはまさかのゴトウさんでした。全身で喜びを表現するゴトウさんは本当に嬉しそうで格好良かった。そして二位ヨッピーさん、三位マミヤ狂四郎さん、四位patoさん、五位DJ急行さん、六位仙頭さん、と続きました。

上位3名から漏れたと知った時のpatoさんは本当に悔しそうで、なりふり構わず「俺は本を出している!」と謎のアピールをしたにも関わらず四位止まりだった時はなんだかこちらにまで悲しさが伝わってきたような気がしました。あと、イベントを通じて感じていたことなのですが、patoさんは成瀬さんを好きすぎると思う。

最下位の仙頭さんは、楽屋で会うなり開口一発「今日動画みてきました~」とカマしたから、という本当にどうしようもない理由での最下位でした。これを暴露されても悪びれず、むしろ当然のことでは?という態度だった仙頭さんは素敵だと思います。

 

 二部では、成瀬さんが抜けたためか、一部よりも真に迫った、より密度の高いおっさんエピソードが語られました。一部では動画配信がありましたが、二部では動画配信がなく、インターネットに書けない話なんかも飛び出していたのでより濃密な気がしているのかもしれません。

ラウンドワンでダブルデートをする若者を見て「もう俺たちにああいうのは無いんだ」と語るpatoさんに同調する周囲のおっさんたち。これに関しては僕自身、テキストサイトにハマり、そこからインターネットの海に浸かりきった暗黒の青春時代を過ごしたものとして、身につまされるものがありました。

ここからイベントのタイトルにもなっている「7つの大罪」になぞらえて、傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・貪欲・邪淫・大食に沿ったおっさんのエピソードが繰り広げられました。ここで表示された同じおっさんが別パターンで7枚写っているスライドを撮影している人が多く、「ああ、イベントが進んできて皆いい感じに頭がやられてきてんな」と感じさせてくれました。

大罪ごとに現れる、醜態を晒しつつもどこか憎みきれないおっさんたち。それをみて笑う壇上のおっさんたちでしたが、DJ急行さんの「我々は笑う側じゃなくてこれを認めなくちゃならないんですよ」の一言を受け、おっさんたちは「いいじゃん、これ」と手のひらを返し始めます。一見するとギャグシーンのようでしたが、僕はこの場面に「おっさんは二度死ぬ」のイベントの核となるものが凝縮されているように感じられました。

傲慢のおじさんLINEから始まり、嫉妬のクソリプ、憤怒の怒っているおっさん、怠惰な録音した音声で対応するYahoo!チャットのオナニー指導員、貪欲な大スカトロ大会に参加するおっさんたち、邪淫なテレフォンセックスで鼻息が荒すぎる惣菜屋のシゲ、大食の手コキ風俗と謎解きに終わる、とまあほとんどシモネタばかりでしたが大変楽しませてくれるエピソードばかりになっていました。

今になって「Yahoo!チャットって場所があったんだよ」の裏側を聞けるとは思っておらず、大興奮で話を聞くことが出来ました。他のエピソードも、大スカトロ大会は見物に行ってみたかったし、惣菜屋のシゲのテレフォンセックスも一度は聞いてみたいものだなあと思いました。というか、やっぱりここでも仙頭さんの狂気が頭一個抜け出てたように思います。スカトロ大会の話とかウケないわけがない。

最後はゴトウさんが参加したという手コキ風俗を5店舗に渡って巡り、謎解きを行うという話で大罪エピソードは締められたのですが、内容としてはゴトウさんが手コキ風俗でどんな感じ方をしていたか、とかそういう話題ばっかりだったので、こういうどうしようもないイベントには相応しいトリで良かったなと思いました。

 

と思いきや、最後の最後でpatoさんから本には書かなかったあとがきを語るというサプライズがありました。あれだけシモネタまみれの話をした後でしたが、内容としては至極まっとうな、めちゃくちゃ真面目な内容だったのでついつい真面目に聞き入ってしまいました。おっさんたちの下らない話を聞くイベントに参加しに来たはずなのに、なんだか真っ当な書籍の刊行イベントに迷い込んでしまったようです。

会場の皆も「おぉおー」と感心していましたが、ちょっと考えてみるとその人さっきまでオナニー指導員がどうとかそんな話ばかりしてましたからね。人の持つ二面性とは恐ろしいものです。

 

 

過去にpatoさんが開いていたヌメリナイトとは異なり、多数のゲストを招いてのイベントということで、どういう流れになるのか、果たして楽しめるのだろうか、と不安はありましたが、参加してみると、大阪から休みを取って向かうだけの価値があった素晴らしいイベントでした。またこの面子でトークショーをやってもらいたい。

8月27日には大阪でも開催されるそうなので、そちらにも是非参加しようと思います。

 

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「猫の地球儀」感想

あれから、七百年と半分が過ぎた。

 

朧はもちろん猫で、牡で、おいぼれで、最後のスカイウォーカーだった。

 

 

 

書き出しから問答無用で世界観を叩き込まれるこの快感、ここにこそ、秋山瑞人作品の魅力が凝縮されているのではないかと思うのです。

冒頭の一文は「猫の地球儀」という作品のものなのですが、僕はこの作品がどうしようもなく大好きで、高校生の時に初めて目を通してからというものの、そろそろ通算10回は読んでいるのではないかというくらい読み返しています。パラパラと軽く読むだけも含めると倍では利かないでしょう。

正直に言ってしまうと最初に読んだときにはここまで好きになるとは思えなかった、というかプロローグを読んだ時点で一回投げてしまっていました。なぜなら、初っ端から出てくる単語の意味が全く理解できなかったからです。

「あれから」っていきなり言われても何のことだか分からないし、何が「もちろん」なのか、「スカイウォーカー」に至っては聞いたことがないってレベルを超えています。これらに対する説明が全くないどころか、この調子で知らない単語がどんどん量産されていきながら物語が進行していくもんですから、読者としてはたまったものではありません。

ですが、読み進めていくとこれがまた良く出来たもので、単語の正しい意味は分からずとも、ざっくり何を意図しているかは分かってくるようになっています。そして、単語の意味を理解できるようになった頃には、きっとこの作品のファンになっていることでしょう。

 

ここで、「猫の地球儀」のあらすじをざっと説明しておくと、舞台は地球の衛星軌道上に存在するトルクと呼ばれるコロニーであり、ここでは高度な知性を持ち、電波を操る猫たちが暮らしています。トルクを築いた人間はとうに滅びており、猫たちは人間が残したロボットを電波で操作し、生活に役立てたり、スパイラルダイブと呼ばれる決闘にのめり込んだりしていました。この世界は大集会という宗教組織によって治められており、死んだ猫たちは地球(作中では「地球儀」と呼ばれている)にいくとされています。そんな世界において、異端とされる「生きたまま地球儀に行く」ことを目的とするスカイウォーカーの幽(かすか)と、最強のスパイラルダイバーである焔(ほむら)が出会うことから物語が始まります。社会の価値観と真っ向から相対する夢を追い求めることで、周囲との軋轢も生じますし、不幸になる猫も出てきます。そのとき幽はどのような判断をするのか。

作者自身はこの物語のことを「ピーター・アーツ VS ガリレオ・ガリレイ」と評しています。まあ、当たらずといえども遠からず、と言ったところでしょうか。

 

こういった物語であるにも関わらず、読んでいる最中には圧倒的なリアリティをもって物語が進行していきます。それを担っているのが、冒頭でも触れた問答無用で叩き込まれる世界観であり、緻密な筆力から紡ぎ出される、読むだけで映像が浮かんでくる描写力にあるのは間違いないでしょう。

ハッキリ言ってしまうと本作はライトノベルなので、読めるレベルの最低限の文章力があればそれでいいと思っていたのですが、実際にはとんでもないレベルの文章が飛び出てくるので大変驚きます。

秋山瑞人の文体は独特であり、三人称で進んでいたかと思えば、突如一人称の視点が挟まり、かと思えば謎の視点からの文章が現れる。文章が途中で途切れ、別の事象を挟んでサラリと元の文章に戻る。滅茶苦茶なことをやっているようで、読んでみると全く読みにくさを感じさせないどころか、文章が疾走するような感覚が味わえます。

 

また、文化・背景の描写にも目を瞠るものがあります。例えばスパイラルダイブ一つをとってみても、ダイブの見物客を見込んで物売りを始めたところから市場が形成されていっただとか、ダイブの賭屋が商売のうまくいかない日は魔除けの呪いを掲げておく、主要人物でもない賭屋がダイブの勝敗予想を始める、といった一見物語の進行には影響がなさそうな文章が随所に見られます。

しかし、これこそが物語に説得力をもたせるのに非常に重要な役割を果たしているわけです。ダイブ周りの文化が明確になるほど、ダイブが猫を夢中にさせる一大娯楽であることが分かりますし、魔除けの呪いは大集会という組織の存在も相まって、トルクでは信仰の力が根強いのだと分かります。こうした細かい根拠の積み重ねによってトルクという世界がどう成り立っているのか、読者は徐々に理解していくことができ、また、未知の部分についても想像を巡らせやすくなります。

 

これは何も「猫の地球儀」に限った話ではなく、秋山瑞人の作品全てに共通していることだと思います。

僕は秋山作品全てが好きなのですが、どれくらい好きかというと、ここ最近は図書館に行けば「E.G.コンバット」を借り、移動のお供には電子書籍で購入した「猫の地球儀」に目を通し(もちろん家の本棚には書籍版も収められています!)、家では「龍盤七朝 DRAGON BUSTER」をゆっくり読むという、自分で今書いていてもちょっと理解出来ないレベルのハマりっぷりを見せていました。もう少しで迎える6月24日は全世界的にUFOの日ですので、「イリヤの空、UFOの夏」も読まなくてはなりませんね。

ただ秋山瑞人唯一にして最大の欠点に、とんでもないレベルで遅筆、そもそも未完の作品が多すぎる、というものがあります。

商業的に出版されている6作品の内、半分の3作品が未完だというのですから、ファンにとってこれほど悲しいことはありません。デビュー作である「E.G.コンバット」は、全4巻の予定で、3巻まで発売された後、最終巻の発売日(2001.06.10)まで公表されていたにも関わらず、未だに発売されていないという曰く付きの作品です。

もし未完の秋山作品をラストまで読めるようになるのであれば、100万円だって惜しくはないというファンも割といるんじゃないでしょうか。もちろん、僕もその一人です。

 

話が逸れたのでもとに戻しますと、秋山作品は全くのSF的世界観であったり、僕たちの世界とはちょっと違った現代が舞台だったりするのですが、その部分を殊更強調してくることはあまりありません。しかし、そのどの世界観においても、文化・背景が綿密に描写されているため、自然とその世界を受け入れることが出来ます。

最新作である「龍盤七朝 DRAGON BUSTER」においてその技術は究極とも言えるレベルに達しており、舞台が古代中国を基にした架空の王朝であるにも関わらず、そこに根付いている文化や風俗、登場人物の思想に至るまで、まるで本当に存在していたかのような、圧倒的とも言える説得力を発揮しています。

はじめに読んだときは、ちょっと過剰ではなかろうか、と思ったものでしたが、サクサクと読み進められ、説明過多に感じずにスルッと文化を理解できるのは、さすがの筆力だと言えるでしょう。

 

描写についてもう一つ特筆するならば、秋山瑞人はロボットの描写がべらぼうに上手い、ということが挙げられます。

なんかもう「猫の地球儀」の感想というよりは、僕がどれほど秋山瑞人を信奉しているか、みたいな日記になってきたのでそろそろ「猫の地球儀」に絞った文章を書いていこうと思いますが、最後に少しだけ書くならば、「E.G.コンバット」のGARP、「鉄コミュニケイション」のイーヴァとルークを筆頭に、とても人間くさくありつつも、ちゃんと人間とは違うロボットとして彼らを描く、その力が異常なのです。

猫の地球儀」においては幽のパートナーであるクリスマスに、焔のパートナーの日光、月光と魅力的なロボットが揃っているのですが、僕はそれらを差し置いて一番魅力的なのは、焔のファンである楽(かぐら)のパートナー、震電であると感じました。

震電は他のロボットたちに比べて旧式であり、普通は猫とロボットがコマンドでやり取りできるのに対し、コマンドを受け取ることは出来ても目をピカピカ光らせることでしか返事が出来ません。しかも、持ち主の楽にも「震電は馬鹿だから」と言われてしまうほどの間抜けです。ですが、長いトルク生活で生活力だけはずば抜けており、ネズミを取ってくるのは上手いという変な特技は持っています。

そんな震電ですが、楽を思いやって行動していることは描写の端々から感じられます。ネズミを取ってくるのはもちろん楽のためですし、楽がパニックに陥ったときにはさっと魔法の粉を取り出して落ち着かせ、楽がいなくなればダウジングで探し出す。命令されてやるのではなく、自律行動から導き出される行動がこのようなものであることは、嫌でも人間臭さを感じさせてくれます。震電が幽に魔法の粉を託すシーンは、作中屈指の名シーンだと言えるでしょう。

 

本作のキーワードの一つとして、「夢」が挙げられます。

幽の夢はもちろん「生きたまま地球儀に行くこと」です。そのために必要なものとして、「地上6000キロ、軌道速度は秒速5600メートル。このふたつの悪魔の数字に打ち勝つためには、強力な噴射のできるエンジンと、堅牢無比な耐熱機構があればいい。」と作中では述べられています。そして、「それ以外には、何もいらないのだ。」とも。

幽が夢を追い求めることは一見、悪い事のようには思えません。誰しもが自分だけの夢を描き、それに向かって進むことは自然なことだからです。しかし、幽の夢はトルクという、その日暮らしていくだけで精一杯な猫たちが大多数の、余裕のない世界においては大きすぎました。誰にも迷惑をかけず、自分だけの夢に浸っていたつもりの幽は、自分が夢を追い求めることで不幸になってしまった猫がいることに気が付きます。誰かにとっての夢とは、他の誰かにとっては鼻くそみたいなものであり、理解してもらうのは難しいことです。それがその時代の常識から外れたものであるほど、それは顕著に現れることでしょう。

 

猫の地球儀」は天才と天才の物語です。

しかし、その天才たちは何だって出来るわけではありません。悩みもするし、失敗だってします。しかし、彼らは諦めず、夢のために邁進していきます。 そしてある時、天才たちは自分が夢を追い求めることで周囲にどういった影響が生じていたかを知ります。それでも天才たちは前に進もうとするのか。

 

 

猫の地球儀」について思うところを書こうと思っていたはずが、秋山瑞人への信仰を綴った日記みたいになってしまった。

小説の発行は2012年で止まっていた秋山瑞人ですが、去年ある企画の中で「秋山瑞人からのメッセージ」というものがあり、そこで約6年ぶりに新作の文章を読むことが出来ました。まあ700字ちょっとの、ほんとにただのメッセージだったわけですが、思わぬサプライズにファンは沸き立つことになりました。700字ちょっとで興奮しているあたり、どれだけファンが新しい文章を待ち望んでいたのかがわかるかと思います。

果たして生きているうちに未完の作品の続きは読めるのか、はたまた未完の作品は放置されたままで新作が飛び出てきちゃったりするのか。できれば今ある作品を完結していただきたいものですが、新しい文章が読めるのなら新作でもいいのでは、と思う今日このごろです。

最後はファンらしく。

EGFマダー?

世の優しさに触れた

以前より述べさせていただいているように、僕は業務時間中であっても豪胆に居眠りをこける益荒男であったわけですが、どうにも最近はそうも言っていられないような事情に襲われてしまっているのでした。

 

といいますのも、我が職場でもこの4月に異動というものがあり、それに伴って席替えとかいう小学校みたいなイベントが行われたのですが、その結果としてなぜだかわからないうちに、前後左右に役職が2つも3つも上の上司が集まったばかりか、斜め前の座席には部署で一番偉い人が座るという意味のわからない配置になってしまったからです。周りを見渡しても同期がいないどころか、勤続年数が10も20も離れている人ばかり。同じ20代の先輩すらいないという有様ですから、これはもうたまったものではありません。

そもそもなんでこんな配置になってしまったかといえば、誠に情けない話になるのですが、どうやらうちの職場にも人間関係の良し悪しといったものがあるらしく、手っ取り早く言ってしまうと、「嫌なあいつの近くは勘弁!」という意見を考慮した結果だったというのですから、ただただ驚くばかりです。(40、50を超えたおっさんの口から飛び出した「だってその席やと、座っただけで目につくやん?」というセリフには驚きを通り越して感動してしまいました!)(それと同時に折り合いなんて付けなくていいんだと勇気づけられました!)

僕は社会人になってからは学生の時とは違い、嫌なヤツとも上手く付き合っていかなければならないんだろうなあと思っていましたが、どうやら現実は「あの子とあの子は喧嘩するから遠ざけよう」的な小学生の担任レベルの気遣いがあって成り立っていたと知り、世の中は小さな努力の積み重ねで成り立っているのだと実感しました。

 

ただそんな配慮の結果、とばっちりをうけたのはどう考えても僕であり、これまで悠々と仕事に向き合うというスタンスでやってきた僕の仕事スタイルが乱されるのは必至です。まあ悠々と、というか働き方改革と称して手が抜けるところは全部抜く、なんなら余った時間は居眠りこいてるという完全に舐め腐った態度なだけとも言えますが、それでもやることはやっていたから何とかお目溢し頂けていた状態だったわけです。

それがこんな上司ばっかりの空間に投げ込まれては、仕事が終わりそうな気配を察せられたが最後、賽の河原ばりに仕事をドンドコ積み上げるハメになることでしょう。そしてまた、それが終わる頃には…、という無限ループに囚われてしまう恐れすらあります。というかそもそも、こんなやりにくい空間で仕事なんかしたくありません。どうか、どうかもう一度くらい職場で揉め事が発生して席替えがまた変更になりますように…。僕がそう願ったのも無理はありませんでした。

 

そんな願いも虚しく、席替えは淡々と実行されてしまったのですが、結果としては、なんというか思っていたよりは仕事がやりにくくない、というか上司たちは自席にいる頻度が低いのでむしろ楽になった…、っていうか?あれ?これ結構楽かもしれない!

もちろん上司たちが自席にいるときは別にこちらは悪いことをしているわけではないのに、妙なやりにくさを感じていることもあったのですが、席に居ない時間のほうが長いので、以前にもまして悠々と仕事ができているのではないかと感じられる節すらあります。慣れてくるとそのやりにくさを感じることもなくなり、以前とほとんど変わらない調子で仕事を進めることが出来ている自分に気づくことが出来ました。

 

予想していたよりも緊張感がなかったことが災いしたのでしょうか。席替えから三日も経つ頃には完全に以前の調子に戻ってしまい、また自席で豪快に居眠りをこくようになってしまっていました。それも上司が自席にいるときでもお構いなしに居眠りをしてしまうという、進化したくない方向に豪快さを進化させて居眠りしているのですからタチが悪い。明らかに見られているのに次の瞬間には舟をこいでジャーキング(寝ている時に体がビクッってなるやつ)を起こしているのですからバレバレなのは疑いようがありません。マズイなあとは思っていたものの、特に対策を講じることも無いままに時間は過ぎていったのでした。

そして運命の日。

上司からの「ちょっといいかな」の一言で僕は全てを察していました。なぜなら以前に居眠りを注意されたときと全く同じトーンだったからです。どこか優しい声ではありましたが、流石に二回目ともなるとどれほどのお叱りが飛んでくるのか、心臓をバクバクとさせながら会議室に導かれていくのでした。

ですが、そこで発せられた一言は僕の予想を大きく裏切るものだったのです。

「最近さあ、ちゃんと寝れてるか?」

「はあ…」

どうやら上司は、僕が仕事のストレスやなんやでうまく眠れていないのでは?そのせいで日中に居眠りをしてしまっているのでは?と考えていたようです。どう考えればこんな前向きな考えに至るのか全く不明ですが、これはチャンスです。この機会に、今までの居眠りを含めて全て有耶無耶にしてしまえばいい、そう頭をよぎったのですが、よく考えてみると、ここでストレス性の云々といったら後々面倒臭そうですし、なにより心配してくれた上司に嘘をつくのも憚れます。そこでただ、「しっかり眠っているつもりなのですが…、居眠りは気をつけます」とだけ伝えました。僕は誠実な男です。

上司側も納得してくれ、「皆眠たいときは外行ったりして上手くやってるから、ずっと自席におる必要もないよ」と優しいアドバイスまでしてくれます。ありがとう、ありがとうございます…。これからは眠くなっても上手く立ち回るようします!

 

午後の業務。

そこにはアホ面を晒して眠りこける僕の姿がありました。

上司はもう何も言いませんでした。

頑張ったアルアイン

2019年3月31日。

2018年度が終わり、翌日には新元号が発表されるという、どこか浮足立ったこの日に、僕は歓喜の中にいました。

 

我が家では3月31日といえば、母の誕生日のことを指すのですが、僕はそんなことは全く関係なく、実家のある大阪から約500km離れた東京、高田馬場にて、前日に花見を満喫したメンバーと共に麻雀を打っていました。朝6:30からという少し頭の軸のぶれたとしか思えないような時間設定で始まった麻雀は、前日に朝6時から夜11時までぶっ通しで参加し続けた花見による影響もあり、消耗戦の様相を呈していましたように思うのですが、今にして思えばそれほど消耗していたのは僕だけだったのかもしれません。なぜなら賢明な他のメンバーは早朝からの麻雀に備えてさっさと花見を切り上げていたからです。二次会に遅くまで参加していたアホは僕だけでした。

酒も抜けきらないままに参加した麻雀では、当然のように頭が回るはずもなく、面白いように負けていたのですが、よく考えると負けているのはいつものことだったので、酒はあまり関係なかったのかもしれません。しかし、負け続けているからとはいえ、逃げ出すわけにはいきませんでした。なぜならこの日は、麻雀だけでなくもう一つ大切なイベントが控えていたからです。

 

それが同日3月31日に阪神競馬場にて開催されていた、「大阪杯(G1)」です。

昨年は全部のG1を巡るという、とても素面ではやっていけないような荒行を、預金残高を順調に減らしながら行っていた僕でしたが、流石に2年連続でやるのは本格的な馬鹿であると気がついてしまったため、今年はこのG1というイベントと適度な距離感を持って接しようと決めていたのでした。まあその結果が、雀荘のTVで卓を囲みながら中継を見るというものであったのは我ながらどうしようもないような気がしますが、一人で競馬場まで赴いた挙げ句、シーフに金をかっさらわれていくのはもう勘弁願いたいものです(去年の大阪杯では7万円が失われました!)。

今年の大阪杯は過去にないほど豪華なメンバーが集い、戦前からやれどの馬が展開を握るだとか、新進気鋭の4歳勢が強いんじゃないか、いや5歳勢も意地を見せるだろうと、喧々諤々の議論がかわされていました。そして、その豪華なメンバーの中には、僕が何度も日記に登場させるハメとなったあのアルアインの姿もありました。

今まではそれなりの評価を受け続けていたアルアインでしたが、前走の結果がイマイチであったこと、どうやら新進気鋭の4歳勢が相当に強そうであるといった事情から、今回はかなり評価が低くなっており、全14頭中9番人気という舐められっぷりでした。今までの僕であれば、「9番人気!?世界最強の一角を担うアルアインが9番人気なんて世の中の愚民どもはなんて馬鹿なんだ!!全財産ぶち込み一択」となっていたのでしょうが、ここ最近のだらしなさは僕も評価を下げざるを得ず、1着は難しいが、2,3着ならまああるかなあといった評価に落ち着かざるをえませんでした。

ただ、じゃあ他にどの馬が勝つんだよと言われるとそれもまた難しく、結局はアルアインがいい勝負をするんじゃないだろうかと結論になっていたのもまた事実です。そのことを麻雀を打っていたメンバーに伝えてみると、これがまた散々なもので、「あんな駄馬きやしねえよ」だの「アルアイン以外を買いました」だの、まるでアルアインを買うものは人に非ずといった風潮です。それでも僕は、地動説を唱え続けたガリレオ・ガリレイのように、アルアインの素晴らしさを説いたのですが、教会はこれを認めようとはしてくれませんでした。

 

そしてレースが始まります。

麻雀の方はというと散々な負けっぷりでしたが、そんなことはもう関係ありません。淀み無く打ち続けられていた麻雀牌を掴む手を止め、皆がモニターに集中します。

15時40分、アルアインが真っ先にゲートに収まり、各馬が続きます。大外14番のダンビュライトが収まり、ついに戦いの火蓋が切って落とされました。

先に言ってしまうと、レース内容はアルアインに関するところしか覚えていません。なぜならアルアインをずっと目で追っていたからです。

スムーズなスタートを決めたアルアインは、そのまま前目の好位置につけると、逃げたエポカドーロ、キセキの後ろに控え、コースの内側をロス無く進みます。最後の直線に入っても、すぐに動き出すことはせず、エポカドーロが下がってきたタイミングで、ぐっと内に切り込み、先頭に躍り出ました。そしてそのまま先頭で粘り込みを図ります。

この時点で僕の興奮は最高潮に達していました。ずっと「よっしゃ!よっしゃ!」と祭りの掛け声のように叫んでいたのを覚えています。

先頭に立ったアルアインでしたが、後ろからは不気味にキセキとワグネリアンが徐々に迫ってきます。どちらも強い馬です。抜け出したアルアインとの距離は1馬身もありません。あと少し、あと少しだけ頑張ってくれ!アルアイン!迫るキセキとワグネリアン

 

しかし、しかし!アルアインだ!迎えたゴール、先頭で風を切ったのはアルアインでした!評判の高かった4歳勢も、今まで負けこしていた5歳勢も、全てを抑え込んでアルアインが1着でゴールしたのです!それは2017年の皐月賞以来、約2年ぶりのことでした。

感激のあまり、咆哮をあげたのは言うまでもありません。

 

と、そのときです。

「すみません。他のお客さんもいらっしゃるんで静かにしてもらえると…」

どうやら僕があまりにもうるさすぎたらしく、雀荘の店員から注意を受けてしまったのでした。母親の誕生日に朝から酒の抜けていない状態で麻雀を打つだけでは飽き足らず、競馬中継を見ながら叫びすぎて店員に注意されるなんて、おおよそ考えられる限りのクズの要素ばかりだけのような気がしますが、その時の僕は嬉しさのあまり、何とも思いませんでした。

店員に謝罪を入れ、何事もなかったかのように麻雀に戻りましたが、僕の顔からニヤケが消えることはありませんでした。振り込んでもニヤケていたのでさぞかし不気味だったろうと思います。

ですが、ですがこれほど喜んでしまうのも無理ないことじゃないですか!?一昨年の秋には30万円をアルアインで失いました。その後も合わせるとゆうに50万円は持っていかれていると思います。それだけ負けても、ときには馬鹿にされながらも、それでも、それでも好きだった馬が!ハイレベルと言われた一線で2年ぶりの勝利をあげる。これに勝る喜びが果たしてあるのでしょうか!

 

レース後にはアルアインを買っていなかった哀れな人達から「こんな駄馬が勝つなんて糞レース」、「アルアイン降着じゃねえの?」などと、心無い言葉を投げかけられもしましたが、僕の心は満たされていました。地動説を認めないと言うならそれで構いません。アルアインの強さは僕だけが分かっていればいい。

 

ありがとう!アルアイン

心だけでなく、財布も少し満たされた僕は、アルアインからのプレゼントだとばかりに、美味しい食事をすませて東京をあとにしたのでした。

感想いろいろ

最近複数の方から漫画やら実用書やらBlu-ray、果ては官能小説に至るまで様々な物語を頂戴する機会があったのですが、物忘れがひどい僕は、個別に感想を伝える機会を待っているうちに本の内容が忘却の彼方にいってしまう恐れがあったため、ここに記しておくことにしました。いいように言ってますが、実際には日常生活で何もなさすぎたので感想文を書いて紛らわせているだけなのでした。順番はだいたい見た順番です。

 

 

・「イッキ!!」

知名度が低すぎる、というか無いに等しい競馬漫画。この作品を読み終えたとき、僕はこれほどの名作が埋もれているという事実を嘆かずにはいられませんでした。きっと他にも内容は素晴らしいのに埋もれてしまっている作品は多くあるのでしょう。恐ろしいことです。

人間のときの記憶を引き継いだままサラブレットに生まれ変わった主人公は、閻魔大王にある勝負を持ちかけられます。それはJCで優勝すれば、来世はウハウハな人生を送れるというものでした。勝負に負ければ悲惨な来世になるということもあり、主人公はJC勝利を目指して数々のライバルと勝負を繰り広げる、とまあそういうストーリーです。

主人公がスケベな性格というのもあり、序盤はヒロインに相当する女性ジョッキーの胸に反応したときにしか本気が出せないだとか、やむを得ない事情で男性ジョッキーを乗せた時も、女性の胸を見てから本気になるなど、お色気要素が大きく関わってくるのですが、終盤が近づくにつれお色気要素は鳴りを潜めていき(それでも胸を押し当てることが本気で走るの合図とかは残るのですが)、徐々にライバルとの死闘や、厩務員やジョッキーとの関係性がフォーカスされていき、熱すぎる少年漫画のような手に汗握る展開を楽しむことが出来ました。

そもそも設定が少年漫画的に感じるところとして、この漫画の舞台が地方競馬であるということが挙げられます。20年以上前の漫画ということで、今とは制度が異なるところもありますが、これがまた良い方に作用しています。JCに出るためには枠が定められており、まずは地方競馬で最強にならなければなりません。この時点で、数々のライバルとの勝負が繰り広げられるわけですが、一般的に地方競馬中央競馬に比べて馬がレースに出走する頻度が高いため、主人公が敗北しても逆転する機会が多く、試行錯誤しながらライバルに挑む姿勢が描かれます。また、地方競馬は競馬場ごとの特徴が顕著なため、勝負の展開に幅をもたせることができるというのも面白いところです。

地方最強になっても、もちろん安心する事はできません。ここからやっと中央競馬の馬たちとの戦いが始まるからです。そして主人公が目指すJCでは世界の強豪との戦いになります。

JCの前哨戦として出走した毎日王冠でアナウンサーが叫んだ「府中に衝撃!!」の実況には実際にレースを見ているかのような迫力がありましたし、始めて挑んだJCは明らかにホーリックスが勝利したJCをなぞるような展開で、競馬ファンなら興奮せずにはいられませんでした。そして勝負後の主人公の気付き。もう制したと思っていた地方競馬にもまだ怪物は眠っていましたし、最後のJCにおける主人公の選択は、今までのレース、ライバルがあったからこその、この作品の集大成とも言えるものでした。今まで戦ってきた相手、散っていったライバル、厩舎のスタッフ、全てが繋がっています。

一頭の馬の生涯、出会いと別れ、全てを描ききる素晴らしい作品でした。

 

・「きゅうきゅうしゃのぴーとくん」

日々の業務に疲れた意思を持った救急車のぴーとくんが「もういやだ!」と逃げ出してしまう絵本。

どうやら僕が何度も飲酒でぶっ倒れて救急車に乗せられていたことから、もう呼んじゃ駄目ですよという戒めの意味から、この絵本を贈ってくれたようですが、物語の最後でぴーとくんは仕事の素晴らしさに目覚めていたため、ハッキリ言って逆効果だなと思いました。これからもバンバン呼んであげようと思います。嘘です。

 

・「007 ロシアより愛をこめて

僕は普段映画を見ることがあまりないのですが、流石にこの作品は名前くらいは知っていました。まあでも本当に名前くらいしか知らなかったので、今回はじめてジェームズ・ボンドが007であり、イギリスの諜報機関MI6の工作員であることを知りました。

シリーズ物ということで、前提知識がないと楽しめないのではないかという懸念もありましたが、見始めてみるとそんな懸念はどこへやら、どっぷりと作品世界にハマることが出来ました。少し都合がいいなあという展開もあったりしたのですが、テンポが良く、画面がバンバン切り替わるのであまり気になりませんでした。

スパイ映画ということで、スマートな展開を想像していたのですが、敵の策略にはガンガンハマるわ、解決策は暴力だわで思わず笑ってしまいました。というか、作戦だけみていると敵の罠のほうが圧倒的に優れているようにしか思えなかったので、ジェームズ・ボンドにはもう少し勉強していてもらいたいです。でもこれがパッケージに書いてあった「罠にあえて挑戦するのが英国人気質だ」ってことなんですかね。最終的には暴力でしたけど。それでも格好良さがあるのが不思議でした。

あとはヒロイン役の女優さんがめちゃくちゃ美人でした。調べてみるとダニエラ・ビアンキというイタリアの女優さんらしいです。ロシア人じゃないのかよ。

 

・「巨乳秘書 鬼畜の洗脳研修」

はじめて官能小説というものを読んだのですが、ちゃんと「秘裂」や「媚肉」といった、如何にもという表現がいっぱい見受けられて大満足でした。ただ少し誤字が多いのが気になりましたが。章タイトルも当然ながら独特で、「悪夢の性感開発研修」に始まり、「果てなきエクスタシー」で終わるという、まず一般小説では見ないであろう章タイトルがずらずらと並んでいました。

あらすじとしては、働きはじめた妹が会社の寮に入ったまま帰ってこないことを不審に思った姉が会社に潜入したところ、妹が洗脳を受けているのを目の当たりにする。これは自ら望んだことだと主張する会社側に対し、研修なるものを受けることで妹を救い出そうとする姉。ここから物語が始まる!

壮大なストーリーを感じさせてしまいましたが、実際には淡々と堕ちていく姿が描かれていくだけです。妹の姿を見て「まあ!なんてはしたない!」と思っていた姉も、気がつけば見られて興奮する雌豚に成り下がっているのですからどうしようもありません。

そんな内容なのですが、研修という体で物語が進んでいくため、要所要所で文章が急に丁寧になるのがなんだかおかしく、興奮するよりも笑ってしまう場面のほうが多かったです。「セックスする権利を得る」だの「排泄の管理も会社に権限が委譲するものとする。」だのといった、どんな面して書いているのだろうかとしか思えない文章がふんだんに散りばめられており、全然集中して読めませんでした。特に僕が好きな表現は「うちの社でも歴代最強の淫乱」です。

読んでいて思ったのは官能小説というものは他の小説と違い、読者が想像しているように進めた方が好まれるのではないかということです。あまりに突拍子のないことをされると、興奮よりも驚きや戸惑いが勝ってしまい、官能小説の主目的である「興奮させる(≒自慰行為に導く)」を果たせなくなってしまうからです。このあたりは他の官能小説も読んでみないと分からないことですが。多分官能小説なりのお約束と言うか、「媚肉」みたいな表現を自然に受け入れられるようにならないと、官能小説というコンテンツを真に楽しむことは難しいのではないかと思います。

 

・「ペンギン・ハイウェイ

大学生の時に授業をサボって図書館で読んだ記憶があるのですが、おねショタものだったということ以外の記憶がきれいに吹き飛んでいたため、再読するにはいい機会でした。読み返してみるとやはり良いおねショタもので、僕も小学生時にこんなお姉さんに出会えていたら…、と思ったのですが、そもそもアオヤマ君は元からの性格に加え明晰な頭脳があったためにお姉さんと楽しい関係が築けたのだと気がついてどうでもよくなりました。あの頃の自分に思いを馳せてみても、思い浮かぶのは友人宅でアニメを鑑賞し、家に帰ればネットゲームに興じる悲しい姿だけですからね。アオヤマ君の性格はほんと凄い。大人とされる年齢になって二千二百日以上経ってるけど見習うべきところが多いです。

最終章を読んでいる時に、僕は「セカイ系」という言葉がふと浮かんだのですが、他の方はどうなんでしょうか。そもそも「セカイ系」という言葉の定義が人によって曖昧なので断言することは出来ないのですが、少なくとも僕はそう思いました。主人公とヒロインが世界の謎と向き合いながら重大な(少なくとも当人たちにとっては)選択をするってだけで「セカイ系」だ!と感じてしまう単純な頭なもので。

あと個人的には、森見登美彦はめちゃくちゃ良質なラノベ作家だと思っています。これもラノベの定義が曖昧なので人によるんでしょうけど。「四畳半神話大系」とかはアニメ版もめちゃくちゃ面白かったですし。

 

・「酒好き医師が教える 最高の飲み方 太らない、翌日に残らない、病気にならない」

何度も酒でやらかしている僕にはピッタリの本だな…、と思っていたのですが、よく考えてみると救急車に乗せられるくらいやらかしていたにもかかわらず、その後もやらかし続けている僕が本を読んだ程度で改善されるとは到底思えなかったので、軽く絶望に襲われました。

あとがきでも触れられていたことですが、中身としてはわりとふつうのことが並べられており、酒を飲むときは食べ物もしっかり食べましょう、酒だけじゃなく水も飲みましょうだとか、一気飲みは絶対に駄目だとか、薬と一緒に飲むなよといった内容を、様々な専門家がデータと共に示すものになっています。酒というリスクとどう向き合い楽しむか、というのが主題ですね。

ただデータの中には首をひねってしまうようなものもあったので、まるごと信用するのも良くないかもしれません。実際、専門家の意見も「と推察される」や「と考えられています」のように断言していない形がよく見られました。ただ、どの専門家もだいたい同じようなことを言っているので、全く信用出来ないようなものではないと思います。

面白いなと思ったのは、健康食品であっても副作用は存在するというのと、酔っ払いが何度も同じ話をするのは、前夜の出来事を覚えていないのと一緒で、さっき話したということを覚えてないからというものです。健康食品の話は考えてみれば当然なのですが、極端にいいものばかり取っていては逆に悪くなってしまうという点は普段あまり意識していないなと。あとは酒飲みのことを左党というのはこの本ではじめて知りました。

帯の煽りに「酒は毒か薬か?」と書かれているのですが、僕は知っています。

酒は毒です。

 

・「こいつ、俺のだから。」

元が携帯小説か何かなのか横書き左綴じ形式の小説をはじめて読みました。官能小説と同じくこういう機会でもなければ読むことはなかったでしょう。

主人公である仁菜が1ヶ月限定で学年一モテる佐野くんの彼女のふりをすることになるところから物語が始まるのですが、この佐野くんがまたとんでもない俺様でありながらかなりのポンコツ、嫉妬深く独占欲に満ち溢れたストーカー気質全開の男であるのに、仁菜がどんどん好きになっていく意味がハッキリ言ってよくわかりませんでした。女性はこういう男に引かれるということなんでしょうか。僕も酒に酔うと尊大な態度になりながらも程よくポンコツ、ネット上では人の個人情報を漁るようなストーカーチックなところを見せているはずですが、なぜだか未だにモテた経験が思いつきません。現実とフィクションの落差を僕は嘆くことしか出来ませんでした。

てか世の女性は「お前の笑顔を見たくらいで落ちる男になびくんじゃない、俺のほうがお前のことをずっと見てきたんだ」とかいうセリフにときめいているんですか?僕はこれをどう好意的に解釈してもストーカーが己を正当化しているようにしか思えませんでした。世の中がわからない…。あとちょくちょく入れてくるギャグがイマイチだったので作者はギャグ路線を諦めたほうがいいと思う。

 

・「なぜか一目おかれる人の大人の品格大全」

世の中を生き抜くために何よりも必要なのは「品格」が必要であると説いてくる一冊。大全というだけあってかなりの厚さです。

僕はマナーとかクソ喰らえと思ってるタイプの人間なのですが、なぜそういうマナーやしきたり(魚の尾頭を左に置く理由とか)の由来、なりたちを知るのは中々面白いものでした。

ただ、特に由来や理由もなく「それはマナー違反だから駄目です」「こうするのがマナー」とだけ書かれているものもあってそこは残念でした。

豆知識本として楽しめる側面もあったので、昨今非難されがちなマナー講師みたいな内容に終始している箇所があるのが少し残念でした。

あと、「こんなことも言われなきゃ分からんか…?」ってレベルの内容も記載されていたため、僕は世の中の常識というものの脆さを痛感せずにはいられませんでした。まあ大全ってそういうことなのかもしれないですけど。

 

おわり。