インターネットのけもの

全て妄想です。

待ちわびたもの

先週、約6年間待ちわびていたテキストをようやく読むことが出来ました。

小学生の頃に我が家にインターネットがやってきてからというものの、僕はインターネットに夢中になっていたのですが、その中でも特にテキストサイトというものに僕は魅せられました。まあそのおかげで大変に暗い学生生活を送ることになってしまったのですが、よく考えてみると他に好きなものといえば、カードゲームにアニメ・漫画と、引きこもりにしかなれなさそうな趣味ばかりだったので、テキストサイトを知らないままでもやっぱり暗い学生生活だったかも知れません。

そんな中でも特にハマっていたサイトがいくつかあったのですが、その殆どは年月の経過とともに更新がまばらになり、ついにはサイト自体が消えてしまうということも珍しくありませんでした。当時の僕のハマりっぷりといったら正直、異常とも言えるほどで、閉鎖されたサイトのログも当然のようにローカルに保存していたので問題はなかったのですが、それでもやはりアクセスしていたページが閉鎖されているとやっぱり悲しくなったものです。

そんなサイトの管理人たちは、今ではライターと呼ばれるような記事を書く人になったり、細々とtwitterなんかでつぶやくだけになったり、あるいは完全に姿を消してしまったりしていました。今回の日記の主になっているのも一度は完全に姿を消してしまっていた人です。

 

僕が「断崖絶壁」というサイトを知ったのはたしか中学生の頃でした。「断崖絶壁」は「必殺!年賀状マニア」こと「ねんまに」氏が日記と称して現実と妄想が入り乱れた狂気のテキストを紡ぎ出すというとてもハイセンスなサイトで、残念ながら今はもう閉鎖されてしまったのですが、僕が大好きなサイトの一つでした。記憶している限り最後に更新された日記が「38歳無職が母親に連れられて風俗に行くも、何故か嬢とではなく母親とセックスをする」であるということからもどうしようもなさが伺えます。ちなみに僕が好きな日記は満栗返士射太郎君(まんぐりがえし・しゃたろうくん)なる人物が世の中の不条理に対して「関係ありません!!!!!!!!」と果敢にキレまくる「射太郎君シリーズ」です。

ねんまに氏は並行してブログ(「ありがとうお母さん。淫売でいてくれて本当にありがとう」ねんまに氏が読んだ本やプレイしたゲームの感想を紡ぐブログ)も運営されており、そちらはサイトの閉鎖後も残っていたのですが、サイト閉鎖後の2013年4月24日に1度更新があっただけで、実質閉鎖状態でした。

喜ばしいことなのか恐ろしいことなのかはわかりませんが、どうやらねんまに氏の熱心なファンは僕だけではなかったらしく、氏のブログには最後の更新から数年が経っているにもかかわらず、ぽつりぽつりとコメントだけが残されていくという異様な状態が続いておりました。そんなコメントを見るたびに「ああ、僕以外にも時計が壊れてしまった人はいるものだなあ」と妙な高揚感があったのをよく覚えています。

しかしながら、3年も経つ頃にはその頻度もかなり落ち込み、年に5,6件のコメントが付くだけとなっておりました。今にして思えば、それでも十分に異様な状況だと思うのですが、当時の僕はコンテンツの終焉を感じ取り、なんだか寂しいものだなと感じ入っていたのを覚えています。氏のtwitterアカウントらしきものを見つけたりもしたのですが、2013年からつぶやきは途絶えており、どうやら使われていないようでした。消えゆく思い出をなんとか繋ぎ止めようと、テキストサイトを管理していた人たちにねんまに氏の行方を尋ねたこともありましたが、結果は芳しくないものでした。

 

こうやってテキストサイトは消えていくんだな…、そんな思いを抱いたまま迎えた2018年4月21日。最後の更新から約5年の時を経て壊れた時計が動き出したのです。

この日、僕は東京で開催されていた「webメディアびっくりセール」というイベントに足を運んでいました。テキストサイトで活躍していた人たちも多数参加する、僕の中のインターネットを煮詰めたようなイベントです。そんな日に事態が動き出すなんて、なんだか運命めいたものを感じます。

一通り目当てのブースを見て回り、一息ついたときのことでした。操作していたスマートフォンtwitterアプリから一件の通知が表示されたのです。

レイバンのサングラスファッション特価特典として、2499円!」

なんだ…スパムか…。

そう思い、無視を決め込もうと思っていたのですが、その送り主を見たとき、僕の指はおもわずその通知をタップしてしまっていました。

「@nennmani」

残念なことに、このときの驚きっぷりを文章で表現する方法を僕は知りません。スパムとはいえ、完全に行方が掴めないと思っていた人のアカウントから連絡があったのです。ただ、この時点で喜びすぎるのは早計です。スパムということは本人が操作して送っていているわけでないですし、そもそもアカウントの持ち主が本人かどうか定かではないのですから。僕は一縷の望みを込めてスパムに返信をしました。

そしてその夜、とうとう待ちわびた人物とコンタクトを取ることが出来たのです。

「生きていているのが分かって本当に良かった…」

僕がまず思ったことです。そんな大げさな…、と思われるかも知れませんが、これまでの日記の内容や消え方を見ていると、そうなっていても不思議はないと思っていたからです。それが元気にしているとわかったのですから、こんなに嬉しいことはありません。ただ惜しむらくは、どうやらもうテキストは書かれていないということでした。

 

しかし、それから3ヶ月後、僕にとっては歓喜すべきニュースが飛び込んできました。

なんと、ねんまに氏が新しくテキストを書かれたというのです。生きているのがわかっただけでなく、新作が読める…。しかも、そのテキストを書くきっかけというのが、僕がとあるライターの方にねんまに氏と連絡が取れたと伝えたところから生まれたと聞いて、僕の喜びはとどまるところを知りませんでした。

残念ながら、すぐに読めると思っていたテキストはどうやらどこかの媒体に載せることになるらしく、その掲載が決まるまではしばらく待つことになるということでした。待つとは言っても、1、2ヶ月程度だろうと踏んでいたのですが、色んな媒体から掲載拒否を食らっているとかなんとかで、読むまでに至りません。しかし、待たされるたびに「掲載拒否されるなんて一体どんな狂った文章が出てくるんだ…」とワクワクすることしきりでした。

 

そしてテキストを書いたとの知らせから半年後の2019年3月21日。半年間、いや6年間待ちわびていたテキストがとうとう公開されました。公開されたテキストは約4万7千文字という長編で、僕は6年間のことを振り返りながら、噛みしめるように楽しんだのでした。

一向に更新されないブログを覗きに行き、コメントを書き記し、ローカルに保存していたログを読みながら、もう二度と出会うことはないだろうと思っていた文章。それが今、目の前に…。

こんな経験はそう出来るものでは無いでしょう。今日の日記はただ単に、もう見れないと思っていたテキストを読むことが出来て嬉しいなあと、その一言で済むことなのですが、まさかのねんまに氏本人から感謝の言葉を頂戴し、歓喜の絶頂にいるなかで思わず書いてしまいました。

 

まあなんというか、これからもいっぱい面白い文章が読みたい。

飼っていた鳥が死んだ

昨日、長年飼っていた鳥が死んでしまった。

いつから飼い始めたのか、細かい時期はもう覚えていないけど、たしか小学6年生のときには元気に家の中を飛び回っていた記憶があるので、15年近くは生きていたのだと思う。病気をすることもなく、なんとなくこのままずっと家にいるような気がしていたのだが、当然そういうことはなく、呆気なく逝ってしまった。

まだヒナだった時に、妹が欲しがって近所の家から貰ってきたものだったが、大体の家庭の例に漏れず、世話の殆どは母がしていた。飼っていた、とは言うものの、僕はほとんど世話というものをせず、時々籠から出して遊んだり、話しかけたりしていただけなので、感覚としては「家に居た鳥」というのが強いかもしれない。その鳥は、母の好きなゲームのキャラクターから名前をとって、「まある」と名付けられていた。

 

「鳥」と書いているが、これは僕が「まある」の品種をよく知らないからである。もちろん、まあるがインコだということくらいは理解していたが、それが具体的になにインコなのかは全く認識しておらず、ぼんやりと「鳥」として認識していた。今調べてみるとどうやら「ボタンインコ」という品種らしい。なんだか聞いたことがある言葉なので、どこかで一度くらいは聞いていたのかもしれない。「ルリコシボタンインコ」で調べるとそっくりな鳥が出てきたので多分これだろう。

性別だって当然知らない。僕以外の家族も多分知らないのだと思う。中学生くらいの時に、母に「まあるはオスなのか?メスなのか?」と尋ねたことがあったが、その返答は「多分オスだと思うが分からない」というものだった。どうやらボタンインコは性別の判断がつきにくい品種らしい。ただ少なくとも僕は性別がどっちだろうと気にしていなかったし、僕以外の家族も分からないならそれでいいや、くらいのスタンスだったのだと思う。

僕と家族にとって大事だったことは、ボタンインコがどういう品種でオスとメスでどんな違いがあるのか、ではなく、家のまあるは何をされると喜んで何をされると怒るのか、だった。目の前で新聞をひらひらさせると狂ったように噛み付いてくるとか、暗がりに行くことを怖がるので遊ぶときは電気をつけてあげないと駄目だとか、元気に飛び回っていたのに急にじっとしてお尻をもぞもぞしだすとウンチのサインだとか、そういうことが分かっていれば十分だった。

新聞以外にも輪ゴムが好きで、輪ゴムを結んで差し出すと、クチバシを器用に使って解きほぐしていたものだった。解きほぐしている最中はよっぽど夢中になっているらしく、横から輪ゴムを取ろうとすると指に穴が空くんじゃないかってくらい噛みつかれたこともあった。一度怒るとしばらく怒りが持続するらしく、その後は触ろうとしただけで噛み付いてくるので、籠に戻ってもらうのにも一苦労した。

人の頭に乗ることが好きで、特に父の頭がお気に入りのようだった。ジャンプを読んでいる父の頭にまあるが止まる。父も慣れたもので、ページを捲る手は止めない。そこに僕がすっと指を差し出す。まあるは基本的には素直な性格だったのでサッと指に飛び乗ってくる。そういうシーンが何度もあった。分別がつく鳥だったらしく、あちこちにウンチを飛び散らせていたわりに人の頭の上でウンチをすることはなかった。そのへんはまあまあ賢かったように思う。

僕の頭にもよく止まっていた。肩や腕に乗っているときはやけに動き回るのに、頭に乗っているときはじっとしていることが多かった気がする。まあるを乗せて本を読んでいるときの何とも言えない感じが僕は結構好きだった。

 

正直に言うと15年間、まあるのことがずっと好きだったわけではない。中学生のときには疎ましく思っていた時期がたしかにあった。

まあるが住処としていた籠は僕が寝起きしていた部屋に置かれていたのだが、これがやけにうるさい時期があった。籠がうるさいというと、ぴいぴいと鳴くのがうるさいのかと思われるかもしれないがそうではない。まある自身の鳴き声がうるさい時もあったがそれは仕方ないと思うし、実際特になんとも思わなかった。我慢できなかったのは籠自体を震えさせてビョーンと鳴らす行為だった。

まあるを飼っていた籠は、よくある70cm角くらいのほぼ立方体のケージで、一日の大半をまあるはそこで過ごしていた。あるとき、まあるはケージの一部にクチバシを引っ掛けると(人間が弦を引くように)ビョーンを震えることに気がついたらしく、その行為に夢中になった。

一度や二度なら気にならなかっただろうが、これを昼夜時間を問わずに繰り返し行うので、こちらとしてはたまったものではなかった。特にテスト前なんかが最悪で、夜に勉強している最中に鳴らされ集中を乱される、ようやく静かになったかと思い夜更かしして勉強、翌朝までぐっすり眠ろうとすると、早朝から鳴らされて叩き起こされる。夜更かしした人間が叩き起こされるというのだから、そのやかましさは分かってもらえると思う。

どちらかが部屋を変われたら良かったのだが、当時空いていた部屋にはエアコンがなく、僕が移動するにしても、まあるが移動するにしても不都合があった。受験勉強中なんかに鳴らされたときには、「まある!」と叱りつけていたのだが、びっくりして少し止めることはあっても、またすぐに再開していたのであまり意味はなかった。

今にして思うと叱るほどのことではないと思うし、あの行為は構ってほしくてしていたような気がするので、もっと遊んでやればよかったと思う。行き場のない籠の中で飼われて、部屋に誰も居ないときはひとりぼっちだったのだから、そりゃ部屋に人が来たら遊んでもらいたいと思うのが道理だろう。僕が勉強したいとか、寝たいとか思ってたのは一方的な都合でしかなかった。

 

高校に入ってから今に至るまでは、僕は近所に越してきた祖母の家で過ごすことが多くなり、まあると遊ぶ機会どころか、まあると会う機会まで激減してしまった。仕事を始めてからはそれが顕著で、平日は一切会うことがなく、休日は学生時代と打って変わって、やけに外出するようになってしまったので、一月以上まあるを見ないこともざらになった。

それでも、僕はまあるがどういう鳥なのかはしっかり覚えていたし、たまに遊ぶときは楽しかった。まあるの方も昔と変わらないまま、頭に乗ってくれたし、怒ったときには指に噛み付いてきていた。籠に入っているときでも、ケージの隙間から指を入れてまあると遊んだりもした。ただ、僕の生活の中でまあるが占める割合は確実に減っていた。

 

だからなのかもしれない。一昨日、まあるの調子が悪いと聞かされたとき、「あー、とうとうまあるも死ぬのか」としか思えなかった。死んだ今になっても「死んじゃったなあ」としか思えていない。15年近くも一緒に居たのだから、なんだかもっと、自然に涙が出てきたり、他のことに手がつかなくなったりするかとも思ったが、今も普通に日記を書いている。

一昨日、調子が悪いと聞かされたまあるを見に行くと、籠の中でじっとして動こうとしなかった。昔は人の気配を察知したら喜んでケージの端まで飛びかかってきていたものだが、もうそんな元気も残っていないようだった。呼びかけても返事はなく、既に死んでしまっているのかとも思ったが、呼吸に合わせて身体が動いており、どうやらそうではないらしいと気がつけた。ただ、その呼吸は明らかにいつもよりも弱くて浅く、回数が多いものとなっており、先は長くないのだろうなと予感できた。そこまで苦しそうではなかったので、このまま眠るように逝ってくれたらいいと思った。

 

昨日は以前から友人とUSJに行く約束をしていた。朝起きるとまあるがとても苦しそうにしていた。前日のまま逝くことは出来なかったらしい。普段はしまっている羽を伸ばしきっており、静かにしていた昨夜とは違ってピイピイと苦しそうな鳴き声を上げていた。素人目に見ても今日中に死んでしまうだろうことは明らかだった。

母がまあるを抱えようとしたが、僕は「もうええ」とだけ言った。

どうやら母は、父と一緒にこれから動物病院にまあるを連れて行くらしい。母も分かっているらしく、「一応な」と言っていた。「ついてくるか」とは聞かれなかった。僕はUSJに行った。

ハリーポッターのエリアでアトラクションに並んでいると、母から「まあるが死んじゃった」と連絡があった。添付されていた写真にはまあるが見たこともない姿勢で横たわっていて「ああ、死んじゃったんだな」と思った。朝とは違って羽がキレイにたたまれていた。動物病院には間に合ったのかだとか、最後はどんなだったか、とかは聞かなかったし聞けなかった。ちょうど近くでスズメが鳴いていて、まあるのことも色々考えたけど涙は出なかった。

結局、USJには閉園時間近くまでいた。家に帰ってからまあるの亡骸を抱えて気がついたのだが、僕は生前のまあるを抱えたことがなかった。一緒に遊んだりはしていても、それなりに警戒心は残っていたのか、絶対に包み込むように抱えさせてくれることはなかった。いつかは、と思っていた時期もあったが結局実現できていなかった。

 

そして今日。

まあるを家の前に埋めた。最近では珍しく兄妹全員が揃っていたので、みんなで花とよく遊んでいたおもちゃと好きだった麻の実を一緒に埋めた。猫が掘り返したりしないように缶を棺に見立てるなど工夫もした。うまく土に還れないかもしれないけど、厳密に封をしたわけじゃないから大丈夫だとは思う。あと、もし猫が掘り返したらと考えると、ものすごくムカムカしてきたので、やっぱりまあるのことが好きだったなと実感した。歪んだ実感の仕方だけど。

 

まあるが死ぬとわかっている時に遊びに行く僕には悼む資格もないかと思ってモヤモヤしていたけど、こうやって認めてみるとスッキリしたので日記にしてみてよかった。今日くらいは生活の中でまあるが占める割合を昔みたいにしたかった。文章にして残しておけば今日のことも詳細に思い出せるだろうし。

まあるのことを忘れる心配はしていない。なぜか母のLINEアカウント名が「まある」だからだ。これは果たして好きなゲームのキャラクターか、家に居た鳥か、どちらから取ったものなのかは分からないけど、この名前を見るたびに思い出すことは間違いないだろう。こういう繋ぎ方があってもいいと思う。

眠気の犬

何度も日記に書いているのですが、僕は仕事中であってもこの旺盛な睡眠欲を発揮してしまうタイプの人間ですので、職場でよく寝ているダメなやつ認定されていることは容易に想像がつくのでした。容易に想像がつく、という表現にしましたが、ここしばらくの仕事内容を鑑みるに、あまりに楽な仕事(それはゆるゆるの納期であったり、ミスしても一切怒られないどころか勝手に修正してくれてたり)ばかり振ってもらっていたので、無能認定されていることはほぼ間違いありません。

まあ職場でどう思われようがぶっちゃけどうでもいいこと山の如しなのですが、このままでは一生給料が上がらないどころか最悪の場合クビになる未来も脳裏をよぎってしまったため、少しは起きて仕事をしてやるかなと、年明けくらいからは真面目に仕事をする姿勢を見せていました。

ただなんといいますか、よし!ちゃんと仕事するか!と頭では思っていても、悲しいことに身体の方がついていけず、デスクに向かって30分以内には船を漕ぎ始めていたのですから、どうしようもありません。

このままではまずいと利発な僕はもちろん気がついていましたので、最近は具体的な対応策を実施していたのでした。

 

まずはじめに手を付けたのが前日にたっぷりと睡眠を取っていくというものでした。単純にして明快、いつだってベストな答えは一番シンプルな方法の中にあるものです。普段は6時間前後であった睡眠時間を7~8時間ほどに伸ばしてみたのですが、これはあまり変わらず。もっと寝ないと変わらないのか?と思い、思い切って10時間ほど寝てみたところ、起床後の脳の覚醒具合が格段に良くなったような気はしたのですが、実際に仕事を始めるとあっさり眠くなってしまったので唖然とする他ありませんでした。どうやら、睡眠時間云々以前に仕事が壊滅的につまらなさ過ぎて眠くなってしまっているようです。あと、寝る癖がついてるような気がする。

というわけで、まずは職場は寝る場所ではないということを脳と身体に刻み込まねばなりません。思い切って仕事を変えてみるという案も浮かぶことには浮かんだのですが、遊びは大胆、でも生活は堅実に、が信条の僕はその道を取ることは出来ませんでした。というか、いくら仕事がつまらないとは言え、こんな楽な職場を手放すのは惜しい。流石に寝るのはまずいからどうにかしないといけないってだけで、普段は業務時間中にネットサーフィンとかしてますからね。とはいえ染み付いた癖はなかなか消せるものではありません。そこで僕は解決策を科学の道に求めることにしました。

 

パブロフの犬」という話をご存知の方は多いかと思います。犬にベルの音を聞かせてから餌を与えていたところ、いつしか犬はベルの音を聞くだけで唾液をだすようになったというあれです。このように経験などによって後天的に獲得された反応を、条件反射と呼びます。僕は自身にこれを適用することで、職場で眠気に襲われた際の対処法に出来ないかと考えました。具体的な方法は以下のようなものでした。

1. 職場で眠気に襲われる

2. 額を押さえる

3. 伸びや顔を洗いに行くなど、眠気を払う行為をする

4. これを繰り返す

5. いつしか額を押さえるだけで眠気が払えるようになる

6. 職場で眠たくなる頻度が下がり、いつしか眠気とは無縁のワークスタイルが獲得できる

こ、これだ…!ハッキリ言ってこの方法を考えついたとき、己のあまりにも悪魔じみた知能の高さに恐れおののきましたからね。額を押さえるという行為が少々馬鹿っぽく見えなくもないですが、あまりに小さすぎる動作では反射として刷り込まれるか不安ですし、これ以上大げさな動作にするとただの職場で狂ったやつにしか思われないでしょうからこれぐらいが丁度いいでしょう。1月中旬ごろから早速実践してみることにしました。

実際やってみると、額を押さえるという行為は考え事をしているように見えるということもあり、眠気がきているときに軽く目を閉じても不自然さが無く、わりといいポーズになります。落ち着いてから伸びをしたり軽く身体を動かして意識を覚醒させ、また仕事に集中するというルーティンもうまく回せているような気がします。これは結構いけるのでは…?

 

そして約2ヶ月がたった今。そこには額に手を当て、悩んでいるポーズをしながら思いっきり眠りこけている僕の姿がありました。我ながら呆れ果ててものも言えないのですが、なんというか普通に眠気には勝てませんでした、うん…。マジ条件反射とかって嘘じゃねーの…。

 

でも、その眠りこけている姿はどこか神秘的で、穏やかな寝顔は見るものを安心させ、寝息を聞いた周囲の者は口々にこう言ったといいます。

「ああ、今日も我が社は平和だ」と。

 

そういう解釈があってもいいと思う。

(前までは寝てたら注意ぐらいはされていたのですが、最近とうとうそれすら無くなったので、「怒られているうちが華」というのはあながち間違いじゃないのでは?という思いに駆られています。どうしよ)

コミティア127

今更ながらではありますが、2019/02/17に東京ビックサイトにて開催されたコミティア127で買ってきたもののレビューと言うか備忘録。一回こういうのやってみたかった。ちなみに全て全年齢向けです。同人誌だからといってR-18とかそういうのを期待してた人は速攻でブラウザを閉じて今までの人生を悔い改めてください。コピー本から無配ペーパー、果てはグッズまで手に入れてきたものは全て載せています。

「本のタイトル」(サークル名)で記載。

 

 

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 「消せるペン」(Happa)

 

今回一番ぐっと来た一冊。文字として書いたものを消せるペンを手に入れた女の子二人のラブコメチックな話なんですが描き方が非常にうまいなと。このサークルは毎回仕掛けの作り方がうまいと思っていたのですが、今回は特にうまいこと作られているなと感じました。この演出は商業誌じゃ厳しいだろうなってのもあったりして同人誌ならではの強みも遺憾なく発揮しています。マンガ的なメタネタも気にならない程度に散りばめられており、最後のあとがきには思わずニヤリとさせられました。演出面だけでなくキャラクターも素直に可愛いらしく、恋の相手である、はちくんまでアホっぽくてつい笑ってしまいました。

作家が商業で出している「つるぎのない」も一巻完結で読みやすいので、そちらを先に読んでみて、合いそうなら同人誌の方もきっと楽しめると思う。

 

 

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「ファイアーメイジvsクリスタルウィザード」(模造クリスタル)

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 クリアファイル(模造クリスタル)

 

「ゲーム部」シリーズが完結し、次に始まった「スペクトラルウィザード」シリーズの最新作。作家である「模造クリスタル」は「金魚王国の崩壊」で有名なので知っている人もいるかも知れない。「スペクトラルウィザード」は同人誌版に描き下ろしを加えて単行本化されているので、ぜひ読んでみて欲しい。魔術師ギルドが崩壊し、騎士団に追われる存在となった生き残った魔術師たちの話なのですが、キャラクターがどいつもこいつも個性的な上に、吐き出されるセリフのひとつひとつが魅力的で、きっとこの世界観に魅了されることでしょう。最新作はタイトルこそ「ファイアーメイジvsクリスタルウィザード」となっていますが、実際に戦っているのはファイアーメイジとカオスウィザードばかり。肝心のクリスタルウィザードは何か企んでいる様子で、これから大きな動きを起こすための繋ぎのエピソードといった印象でした。相変わらずスペクトラは可愛い。

12時過ぎに行ったのでもうクリアファイルはないかと思っていましたが、普通に入手できたので良かった。後日、秋葉原COMIC ZINでも委託販売されていたので、多く用意していたのかもしれない。「模造クリスタル」は他にも、「ビーンク&ロサ」、「黒き淀みのヘドロさん」とかも単行本で出ているので興味があればぜひ。

 

 

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無料配布本(すこやかペンギン)

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「鬼桐さんの洗濯(サイン本)」(すこやかペンギン)

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 アクリルキーホルダー(すこやかペンギン)

 

この作家を知ったのはもう10年以上前。当時週刊少年ジャンプの公式サイト内にジャンプデジタルマンガなるコンテンツがあり、小学生だった僕はそのうちのひとつ「マルラボライフ」という作品にドハマリしました。残念ながら「マルラボライフ」はサイトのリニューアルに伴い終了してしまったのですが、終了後も僕が好きな作品の一つとしてずっと心には残っていました。

そして時が経ち大学生になった頃、はじめてコミティアに一般参加してみようと、カタログをパラパラとめくっていた僕の目に飛び込んできたのが「すこやかペンギン」のサークルカットでした。変わらない絵柄から、「これは絶対にマルラボの作者だ!」と見抜いた僕は即座に検索、やはり「マルラボライフ」の作者でした。それ以降、コミティアでは毎回絶対に巡るサークルの一つとなっています。参加頻度が高いのに、ほぼ毎回新刊を用意してくるものすごいサークルです。しかも、その新刊というのが非常に高いレベルでまとまっています。

今回は新刊こそありませんでしたが、それでも無料配布本を用意してくれているなど、頭が下がる思いです。また、作家が去年出した「鬼桐さんの洗濯」単行本にサインをつけて販売していたため、既に持っていた単行本ではありましたが、迷わず購入。ついでに、このサークルでははじめて見た気がするグッズ、アクリルキーホルダーも購入しました。このサークルは多分死ぬまで書い続けると思う。

 

 

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「飛びこめ!!新しい沼!01」(むてけいロマンス)

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 布ポスター(むてけいロマンス)

 

lain」とか「灰羽連盟」のキャラクターデザインなんかを手がけた「安倍吉俊」のサークル。「飛びこめ!!沼」シリーズは主にSIGMA製のカメラを扱った同人誌であり、この「飛びこめ!!新しい沼!」も新シリーズとして引き続きカメラの同人誌となっています。ぶっちゃけ僕はカメラには全く興味が無いのですが、作者が好きというだけで買いはじめたところ、カメラの世界が思ってた以上に深いことを知れたので、なんでも触れてみるもんだなと思いました。あとは飾るところもないのに布ポスターを購入。過去にも布じゃない普通のポスターを買った記憶があるので、いずれまとめて飾りたいと思います。

 

 

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 「labradorite」(空遊魚)

 

少し前に完結した「ヨツコト」作画担当のサークル。YOTSUKOTO ART BOOKと銘打たれているように、「ヨツコト」キャラクターのデザイン集といった感じ。キャラクター制作の小話なんかもあったので、原作読んでると楽しめるかと。

 

 

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 「好きな人の事は無限に考えられると思うんですよ」(下り坂道)

 

上で紹介した「ヨツコト」原作担当のサークル。こっちは「ヨツコト」関係なく高校生男女の恋愛模様を描いた甘い一冊。男の子も女の子も互いに相手のことが好きなのに、お互い自分の片思いだと思っていてドギマギするって感じのお話です。裏で友人が糸引いてたりと青春っぽさ満点。作家の双見酔は短編でこういった正統派な青春ものというか恋愛ものをよく描いているんですが、それがどれも僕の心に妙に刺さるんですよね。多分こういった話から縁遠い青春を送っていたから嫉妬と羨望からそうなってしまうのだと思いますが、それはそれとして双見酔が描くゆったりとした世界観が好きだというのもある気がします。

ニートを描いた「空の下屋根の中」、全く自覚のない勇者と人間と共存の道を探ろうとする魔王を描いた「セカイ魔王」、今回みたいな同人誌のお話をまとめた短編集「好きもよい」「恋ときどき」、あとはアニメ化もされた「魔法少女なんてもういいですから。」と、どれもゆったりとした世界を感じさせてくれます。特に「好きもよい」「恋ときどき」に収録されている作品はどれもドキドキさせてくれるよ。こんな青春無かったから…。個人的には「セカイ魔王」が一番のおすすめです。

 

 

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 「顔」(キセガワ上流)

 

ラップを扱った漫画「キャッチャー・イン・ザ・ライム」の作家のサークル。なんかさっきから商業作家のサークルばかり紹介しているような気がしますが、元からチェックしていたサークルが商業でも描きはじめたパターンと、商業で知って同人誌もチェックしはじめたサークルの両方があるので、決して商業作家しかチェックしてないわけではないとは言っておきたいです。ちなみにここは後者です。あと全体をざっと見たら今回は商業作家のサークルが大半だったのであまり説得力が無かったですね。

それはさておき、好きな男の子を他の女に取られたと思った女の子が、VR空間上でその女を作り出し、痛めつけることでスッキリしようとするストーリーです。暗さを孕みつつも、読後感はさっぱりしたもので、漫画として仕上がった状態でも読んでみたいと思いました。復讐対象の女が実にうまく描かれていて、主人公の心情を追うように、可愛くも憎たらしく感じられたのが、最後には可愛くて憎めない、に変わっているのが良かったです。

 

 

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 「偶像は愛する人のために」(おでんランチ。)

 

アイドルの恋愛が解禁された世界で、最近のアイドル観を受け入れることが出来ず、引退した昔のアイドルのファンになった青年の話。ティアマガで紹介されていて気になったので思わず購入しました。なんか見たことある絵だなーと思ってたら、過去にも買ったことあるサークルでした。

なんというか、好きなものを追い続けるってやっぱいいよなと感じさせてくれる一冊でした。この世界におけるアイドルとファンの一般的な関係は、好きな彼氏のために歌うアイドルとその恋愛している様が可愛いのだと応援するファンであり、主人公やヒロインみたいに、今の僕たちのようなアイドルの捉え方をする人(恋愛禁止だの清楚だの)は少数派なのですが、そのどちらもが好きなアイドルについて語るときはキラキラしています。特に主人公は普段は仏頂面なのに、アイドルについて語るときはいい笑顔で、まあオタクっぽいだけだと言われたらその通りなのですが、それでもやはり、好きなものがあって、それを追いかけるってことは綺麗だなと感じさせてもらえました。

 

 

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 「遅刻者ふたり」(テクノストレス)

 

もう地球が駄目になってしまうという世界で、遅刻常連者のふたりが、地球脱出の最終便にも遅刻するところから始まる物語。少し前に流行ったポストアポカリプスとは少し違うとは思いますが、衰退した世界が大好物の僕にとってはこういう設定(取り残された世界で男女二人とかそういうの)を見ただけで思わず飛びついてしまいました。まあ前からちょくちょく買ってたサークルでもあるんですが。

人が消えた街が強調されたりとかはなく、「遅刻者ふたり」にフォーカスしてストーリーが進んでいくのですが、このふたりの生活が淡々としていて実に好み。多分こんな世界じゃなくてもこのふたりは同じような生活をしてる気がする。どうにも衰退と日常って取り合わせが好きなんですよね。「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」とか。取り残されたふたりが冷静な理由はちゃんとあって、ただのメンタル激強になってないのも良かったです。

 

 

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 「あのねせんぱいおねがいです。」(おおきめログハウス)

 

新刊が出ると買っているサークルなのであらすじも知らないままに読み始めたのですが、いきなり自分の身体に乳首ピアスを空けて欲しいと先輩に頼む後輩が出てきて笑った。こうやってグダグダやらずにいきなりぶち込んでくるのは嫌いじゃない。驚きながらも冷静に諭す先輩と、どうしてもピアスを空けて欲しい後輩の掛け合いが楽しかった。

 

 

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 「三夜怪談」(クリステルボーイ滝川)

 

キルミーベイベー」のカヅホが参加しているということで手にとったのですが、思ってたより真っ当にホラー漫画になっていて良い意味で裏切られました。ギャグ漫画家のイメージが強いカヅホでしたがこういうのも描くんだなと。でもよく考えてみると、コミティアで出している本はそこまでギャグが多いわけではなかったので、単に引き出しが多いのかもしれない。過去に出してた「宇宙人対ストリッパー」なんて、タイトルからして絶対ギャグだと思ってたら、普通にいい話でめちゃくちゃ驚かされたし。

個人的に合同誌って形態は大好きで、なぜなら知らなかった作家を知る良いきっかけになるからです。カヅホ目当てで買ったわけですが、他の二人の作品も面白かったのでまたチェックしようと思います。こうして好きなものが増えていくってなんだかいいと思うんですよね。

 

 

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 「出張タオまるマンガ3」(アッパーカット)

 

良質なギャグ漫画。ナンバリングが3になっているけど、勿論1も2も持っています。よくある女子高生ものの日常ギャグだろと言われたら、まあそうなんですが、ギャグのキレもテンポも良いのでサクサクとしっかり笑いながら読める。ギャグ漫画のギャグを書いたり解説したりすることほど面白くないことはないと思うので、書くことがあまりないのですが、読めば分かる面白さだと思います。

 

 

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 「事故さん」(つゆくさ)

 

いつぞやの再録とか言ってた気がする。コミティアに参加しているような人は独特の雰囲気を作るのが上手い人が多いような気がしているのですが、この「つゆくさ」もそうですね。作家の三島芳治が今連載している「児玉まりあ文学集成」を読むと、その作り出された雰囲気をうまく感じ取ることが出来るような気がする。悪い意味じゃなくてふわふわする。そして少しの寂しさと言うか恐怖のような。三島芳治がtwitterでちょくちょく上げる画像もそういう雰囲気をうまく作り出せていると思う。なんだか感想まで浮ついてしまった。

 

 

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サイン色紙(ハトポポコ)

 

ここはサークル参加しているとは言え、新刊も既刊も置いておらず、ただ作家がスケブや色紙を可能な限り受け付けるという、どちらかと言えば展示に近いスペースになっていました。ハトポポコは以前にもこの形態で参加していて、たしかその時は朝イチでスペースに向かったところ、「今からコピー本でも作ろうと思うんで後で来てください」という滅多に聞くことがないセリフを頂戴し、1時間後くらいに再び訪れたところ、「スケブ頼まれちゃってコピー本作れそうにないです、よかったら何か描きましょうか?」と言って頂いたので、色紙にイラストを描いてもらった記憶があります。なんだかこういうのもコミティアの懐の広さを感じられて良いなと思いました。今回も色紙を受け付けてもらえたので、ハトポポコの作品から「平成生まれ」の四村さんをリクエスト。平成最後のコミティアで「平成生まれ」のキャラクターを描いてもらえるというのは中々洒落がきいてるなと思ったので、本人に感謝の気持ちと共に伝えたところ、本人は気がついてなかったらしく心なしか喜んでもらえたような気がしました。

特にリクエストしたわけではなかったのですが、「楽しい」と吹き出しを付けてもらえていたのが結構嬉しかった。これこそまさに僕が毎回のコミティアに感じていたことであり、また次回も来ようと思う源だったから。

 

 

次回、コミティア128は2019/05/12。例年開かれている05/05の一週間後、会場もビックサイトから少し離れた青海展示場での開催、更には元号も変わっていると、普段とはまた違った環境でのコミティアにはなりますが、そこに流れる雰囲気は変わらないものだと思います。これからも参加し続けたいし、いずれはサークル参加だってしてみたいと思う。いつまでも創作文化の最前線を突っ走っていって欲しい。

日記のひみつ

僕がよく読んでいたテキストサイトには「日常生活が充実しているやつほど日記を書かない」という格言がありました。よくよく考えるとこれは全く道理が通らない話で、日常生活が充実していたほうが話題に事欠かず、日記に認めようと思えるような出来事も多いはずです。

ですが実際に、日常の出来事を楽しげに語る、今ならリア充とか呼ばれそうな日記を書きはじめたサイトはいつの間にか更新もまばらになり、ついには更新がストップ。一方で、世の中を恨んでいるとしか思えない、果たしてこれを日記と呼んでいいものかと迷ってしまうような、日々の妄想をこれでもかと綴った日記を書いているサイトは更新のペースが全く落ちない、というかこの人は一体どのような暮らしを送っているのだろうかと心配になるレベルの文章量で更新を続ける始末。

長年このあたりが謎だったのですが、自分でも日記を書くようになり、このあたりのからくりがようやく分かってきました。まあ僕の場合は前回の日記にも書いたように、日常生活(主に仕事)をサボりまくる悪癖が一向に抜けず、ただ単に日記を書く気が起きなかっただけなのですが、それでもコミティアに行ったりだとか、友人のライブに行ったりだとか、日記に書けそうな出来事はありました。そしてこれらを日記としてまとめようと考えたとき、長年の謎が解けたのです。

 

謎が解けた!なんて粋がっていますが、結局のところ、そんなこと書いたってつまらねーんだよボケ!という一言に全ては集約されてしまいます。別に僕がコミティアで朝から並ぼうと思ってたのに普通に寝坊しただとか、友人のライブとはいえ、久々に顔を見たから終了後に声掛けに行ったのに、時間がないからと普通に追い払われたりだとか、そんな話は誰も興味がないし、自分で書いていても何も楽しくないんですよね。

となってくると書いていて楽しい内容を書こうと思うのは必然ですが、日々の出来事で書き記しておきたいことなんて滅多に発生するものではありません。まあ中にはもはや災難では?というレベルでイベントに事欠かない人もいるのでしょうが、それは天上人の世界の話であって、つまらぬ人の身である僕らには縁遠い話です。となると、書いていて楽しい内容を自分で作ってしまえばいい、となってしまい、現実と妄想の境界が混ざりあったような文章が誕生するわけです。特に日常生活でなにも書くことがないような人は有り余る時間を妄想を爆発させるためにふんだんに使えるわけで、そうなってくるともう更新はとどまることを知りません。

今まではなんとなく、「日常の出来事をそのまま書いたところでそうそう面白くならないから、そのあたりが苦しくなって更新が止まってしまったのかな?」程度にしか考えていませんでしたが、自分で書くようになると、「自分がその文章を書いていて楽しいと思えるか」というまた違った指標が見えてきたものですから驚きです。

 

でも何が一番驚きかって、本当は今日の日記では先週のコミティアで手に入れた本のレビュー的なことをしたかったはずなのに、冒頭の意味不明な挨拶が思った以上に膨らんでしまって、もう今日は文章書くのがだるくなったところです。しかも、書き上がった文章の大半が、我ながら「何いってんだこいつ?」ってな出来だったことが驚きに拍車をかけました。きっとこれが文章は生き物ということなのでしょう。コミティアの話は次の日記で書こう。