インターネットのけもの

全て妄想です。

インターネットメモリー

そういえば日記を書かなくなってしばらくすると、はてなブログから「そろそろ次のブログ書いてみない?」的なメールがちょくちょく届くようになりまして、これってなんだか昔のテキストサイトみたいだなーとか思いました。

僕はテキストサイトはやっておらず、完全に一読者として閲覧していただけなので、ただの思い込みだよと言われるとぐうの音も出ないのですが、そういうサイトって固定のファンが存在しているもので、熱心な人は「更新無いようですが、大丈夫ですか?」的なメールを送ったりしていたと聞いたことがあります。

当時の僕はまだ中学生で、魑魅魍魎が跋扈するインターネットで人と話すなんてとんでもない!と思っていましたので、そんなメールを送ることはありませんでしたが、そういう人達もいたようです。

どうやら僕が閲覧していたサイトはかなり育ちの悪い人達が集うサイトだったようで、少し更新をサボると「さっさと更新しろ!」と高圧的なメールが届き、ちゃんと更新していても無言のメールが900通位送られてきて管理人が嘆くという世紀末の様相を呈しておりました。

多感な時期にそんな光景を見て過ごしてしまった僕は、インターネットは下民の住まう土地、具体的には西成や門真のような場所なのだと思いこんでしまい、小学生からインターネットに触れていたにも関わらず、ブログやSNSなど、時代時代で流行ってきたものに尽く乗り遅れてしまうハメになったのでした。

ただ最近になって、どうやらインターネットにはいい人も住み着いているらしいと知ったので、ほそぼそとブログなんぞを書いてみたりしております。実際に始めてみると、自分の考えを文章としてアウトプットするのは中々楽しいもので、もっと早く始めてみれば良かったなーとか思ったりもします。

 

それと僕は時間に対する感覚が非常に曖昧なので、記録として残すという意味でもブログはいいのかもしれません。何をしたのかはかなりのレベルで覚えているのですが(酒が入ると全て吹っ飛んでいきますが)、じゃあそれをいつしたのか?となると全くもって思い出せないのです。

久しぶりにあった友人に、「夏以来やな」と投げかけると、「GW以来やろ?誰の話?」と真顔で返されるレベルでポンコツなので(言われてみると確かに前回会ったときはまだ上着を着ていたような気がしました)、社会人となった今、日常のメモをとるようになるのもいいかもしれません。

 

そうして積み上げられた記録は、いつしか僕の記憶そのものとなり、何年後かに読み返したときには当時の記憶が鮮やかに蘇ることでしょう。

願わくば、爺さんになったときに今の自分の日記を読んで笑えるようにありたいものです。