インターネットのけもの

全て妄想です。

飼っていた鳥が死んだ

昨日、長年飼っていた鳥が死んでしまった。

いつから飼い始めたのか、細かい時期はもう覚えていないけど、たしか小学6年生のときには元気に家の中を飛び回っていた記憶があるので、15年近くは生きていたのだと思う。病気をすることもなく、なんとなくこのままずっと家にいるような気がしていたのだが、当然そういうことはなく、呆気なく逝ってしまった。

まだヒナだった時に、妹が欲しがって近所の家から貰ってきたものだったが、大体の家庭の例に漏れず、世話の殆どは母がしていた。飼っていた、とは言うものの、僕はほとんど世話というものをせず、時々籠から出して遊んだり、話しかけたりしていただけなので、感覚としては「家に居た鳥」というのが強いかもしれない。その鳥は、母の好きなゲームのキャラクターから名前をとって、「まある」と名付けられていた。

 

「鳥」と書いているが、これは僕が「まある」の品種をよく知らないからである。もちろん、まあるがインコだということくらいは理解していたが、それが具体的になにインコなのかは全く認識しておらず、ぼんやりと「鳥」として認識していた。今調べてみるとどうやら「ボタンインコ」という品種らしい。なんだか聞いたことがある言葉なので、どこかで一度くらいは聞いていたのかもしれない。「ルリコシボタンインコ」で調べるとそっくりな鳥が出てきたので多分これだろう。

性別だって当然知らない。僕以外の家族も多分知らないのだと思う。中学生くらいの時に、母に「まあるはオスなのか?メスなのか?」と尋ねたことがあったが、その返答は「多分オスだと思うが分からない」というものだった。どうやらボタンインコは性別の判断がつきにくい品種らしい。ただ少なくとも僕は性別がどっちだろうと気にしていなかったし、僕以外の家族も分からないならそれでいいや、くらいのスタンスだったのだと思う。

僕と家族にとって大事だったことは、ボタンインコがどういう品種でオスとメスでどんな違いがあるのか、ではなく、家のまあるは何をされると喜んで何をされると怒るのか、だった。目の前で新聞をひらひらさせると狂ったように噛み付いてくるとか、暗がりに行くことを怖がるので遊ぶときは電気をつけてあげないと駄目だとか、元気に飛び回っていたのに急にじっとしてお尻をもぞもぞしだすとウンチのサインだとか、そういうことが分かっていれば十分だった。

新聞以外にも輪ゴムが好きで、輪ゴムを結んで差し出すと、クチバシを器用に使って解きほぐしていたものだった。解きほぐしている最中はよっぽど夢中になっているらしく、横から輪ゴムを取ろうとすると指に穴が空くんじゃないかってくらい噛みつかれたこともあった。一度怒るとしばらく怒りが持続するらしく、その後は触ろうとしただけで噛み付いてくるので、籠に戻ってもらうのにも一苦労した。

人の頭に乗ることが好きで、特に父の頭がお気に入りのようだった。ジャンプを読んでいる父の頭にまあるが止まる。父も慣れたもので、ページを捲る手は止めない。そこに僕がすっと指を差し出す。まあるは基本的には素直な性格だったのでサッと指に飛び乗ってくる。そういうシーンが何度もあった。分別がつく鳥だったらしく、あちこちにウンチを飛び散らせていたわりに人の頭の上でウンチをすることはなかった。そのへんはまあまあ賢かったように思う。

僕の頭にもよく止まっていた。肩や腕に乗っているときはやけに動き回るのに、頭に乗っているときはじっとしていることが多かった気がする。まあるを乗せて本を読んでいるときの何とも言えない感じが僕は結構好きだった。

 

正直に言うと15年間、まあるのことがずっと好きだったわけではない。中学生のときには疎ましく思っていた時期がたしかにあった。

まあるが住処としていた籠は僕が寝起きしていた部屋に置かれていたのだが、これがやけにうるさい時期があった。籠がうるさいというと、ぴいぴいと鳴くのがうるさいのかと思われるかもしれないがそうではない。まある自身の鳴き声がうるさい時もあったがそれは仕方ないと思うし、実際特になんとも思わなかった。我慢できなかったのは籠自体を震えさせてビョーンと鳴らす行為だった。

まあるを飼っていた籠は、よくある70cm角くらいのほぼ立方体のケージで、一日の大半をまあるはそこで過ごしていた。あるとき、まあるはケージの一部にクチバシを引っ掛けると(人間が弦を引くように)ビョーンを震えることに気がついたらしく、その行為に夢中になった。

一度や二度なら気にならなかっただろうが、これを昼夜時間を問わずに繰り返し行うので、こちらとしてはたまったものではなかった。特にテスト前なんかが最悪で、夜に勉強している最中に鳴らされ集中を乱される、ようやく静かになったかと思い夜更かしして勉強、翌朝までぐっすり眠ろうとすると、早朝から鳴らされて叩き起こされる。夜更かしした人間が叩き起こされるというのだから、そのやかましさは分かってもらえると思う。

どちらかが部屋を変われたら良かったのだが、当時空いていた部屋にはエアコンがなく、僕が移動するにしても、まあるが移動するにしても不都合があった。受験勉強中なんかに鳴らされたときには、「まある!」と叱りつけていたのだが、びっくりして少し止めることはあっても、またすぐに再開していたのであまり意味はなかった。

今にして思うと叱るほどのことではないと思うし、あの行為は構ってほしくてしていたような気がするので、もっと遊んでやればよかったと思う。行き場のない籠の中で飼われて、部屋に誰も居ないときはひとりぼっちだったのだから、そりゃ部屋に人が来たら遊んでもらいたいと思うのが道理だろう。僕が勉強したいとか、寝たいとか思ってたのは一方的な都合でしかなかった。

 

高校に入ってから今に至るまでは、僕は近所に越してきた祖母の家で過ごすことが多くなり、まあると遊ぶ機会どころか、まあると会う機会まで激減してしまった。仕事を始めてからはそれが顕著で、平日は一切会うことがなく、休日は学生時代と打って変わって、やけに外出するようになってしまったので、一月以上まあるを見ないこともざらになった。

それでも、僕はまあるがどういう鳥なのかはしっかり覚えていたし、たまに遊ぶときは楽しかった。まあるの方も昔と変わらないまま、頭に乗ってくれたし、怒ったときには指に噛み付いてきていた。籠に入っているときでも、ケージの隙間から指を入れてまあると遊んだりもした。ただ、僕の生活の中でまあるが占める割合は確実に減っていた。

 

だからなのかもしれない。一昨日、まあるの調子が悪いと聞かされたとき、「あー、とうとうまあるも死ぬのか」としか思えなかった。死んだ今になっても「死んじゃったなあ」としか思えていない。15年近くも一緒に居たのだから、なんだかもっと、自然に涙が出てきたり、他のことに手がつかなくなったりするかとも思ったが、今も普通に日記を書いている。

一昨日、調子が悪いと聞かされたまあるを見に行くと、籠の中でじっとして動こうとしなかった。昔は人の気配を察知したら喜んでケージの端まで飛びかかってきていたものだが、もうそんな元気も残っていないようだった。呼びかけても返事はなく、既に死んでしまっているのかとも思ったが、呼吸に合わせて身体が動いており、どうやらそうではないらしいと気がつけた。ただ、その呼吸は明らかにいつもよりも弱くて浅く、回数が多いものとなっており、先は長くないのだろうなと予感できた。そこまで苦しそうではなかったので、このまま眠るように逝ってくれたらいいと思った。

 

昨日は以前から友人とUSJに行く約束をしていた。朝起きるとまあるがとても苦しそうにしていた。前日のまま逝くことは出来なかったらしい。普段はしまっている羽を伸ばしきっており、静かにしていた昨夜とは違ってピイピイと苦しそうな鳴き声を上げていた。素人目に見ても今日中に死んでしまうだろうことは明らかだった。

母がまあるを抱えようとしたが、僕は「もうええ」とだけ言った。

どうやら母は、父と一緒にこれから動物病院にまあるを連れて行くらしい。母も分かっているらしく、「一応な」と言っていた。「ついてくるか」とは聞かれなかった。僕はUSJに行った。

ハリーポッターのエリアでアトラクションに並んでいると、母から「まあるが死んじゃった」と連絡があった。添付されていた写真にはまあるが見たこともない姿勢で横たわっていて「ああ、死んじゃったんだな」と思った。朝とは違って羽がキレイにたたまれていた。動物病院には間に合ったのかだとか、最後はどんなだったか、とかは聞かなかったし聞けなかった。ちょうど近くでスズメが鳴いていて、まあるのことも色々考えたけど涙は出なかった。

結局、USJには閉園時間近くまでいた。家に帰ってからまあるの亡骸を抱えて気がついたのだが、僕は生前のまあるを抱えたことがなかった。一緒に遊んだりはしていても、それなりに警戒心は残っていたのか、絶対に包み込むように抱えさせてくれることはなかった。いつかは、と思っていた時期もあったが結局実現できていなかった。

 

そして今日。

まあるを家の前に埋めた。最近では珍しく兄妹全員が揃っていたので、みんなで花とよく遊んでいたおもちゃと好きだった麻の実を一緒に埋めた。猫が掘り返したりしないように缶を棺に見立てるなど工夫もした。うまく土に還れないかもしれないけど、厳密に封をしたわけじゃないから大丈夫だとは思う。あと、もし猫が掘り返したらと考えると、ものすごくムカムカしてきたので、やっぱりまあるのことが好きだったなと実感した。歪んだ実感の仕方だけど。

 

まあるが死ぬとわかっている時に遊びに行く僕には悼む資格もないかと思ってモヤモヤしていたけど、こうやって認めてみるとスッキリしたので日記にしてみてよかった。今日くらいは生活の中でまあるが占める割合を昔みたいにしたかった。文章にして残しておけば今日のことも詳細に思い出せるだろうし。

まあるのことを忘れる心配はしていない。なぜか母のLINEアカウント名が「まある」だからだ。これは果たして好きなゲームのキャラクターか、家に居た鳥か、どちらから取ったものなのかは分からないけど、この名前を見るたびに思い出すことは間違いないだろう。こういう繋ぎ方があってもいいと思う。