インターネットのけもの

全て妄想です。

NHKにようこそ!舞台探訪記

働きだしてからというものの、夏休みの短さに恐怖を感じることしかできなくなってしまったため、そんな随分と貴重になってしまった夏休みを有意義なものにするべく、今年は夏休みの大半を東京で過ごすことにしたのでした。流石に家に引き篭もったまま夏休みを終えてしまうのはあんまりだと思ったからです。ですが実際には、泊めてもらった友人宅でamazonプライムビデオを見て過ごすだけという、それって東京に来た意味あるのかな?と思わずにはいられない一日もあったりしたため、僕は「人間の本質とはなかなか変化しないものだなあ」とどこか他人事のように、夏休みの目的をなんとか思い出そうとしたりしました。

なんとか「引き篭もらない」という目的は思い出せたのですが、よく考えてみると僕は観光地だとかそういう人が多いところに出てしまうと吐き気を催してしまうという奇病に犯されてしまっているため、ガイドに載っているような場所には行くことができません。かといって、そのへんの街中をぶらぶらしたところで別に買いたいものも食べたいものもありませんから、即行で飽きて家に帰ってしまう未来しか見えません。

八方塞がりに思われましたが、そこは流石といったところでしょうか、この現状を打破するナイスすぎる妙案を思いついてしまったのです。その妙案というのが「好きなアニメの舞台を見に行く」というオタク臭すぎるものだったということに我ながら呆れるばかりですが、よくよく考えてみると最近は「聖地巡礼」とか言って作品の舞台を巡るのが流行ってたりもしますし、思っているほどにはオタク臭くない…?のかな…?ちょっと前にもアニメ映画の聖地巡礼がどうのこうのと話題になっていたような気もしますし、ひょっとしたら同じように舞台探訪にきた可愛い子とお近づきになれてしまうかも…?

 

そんなわけで「NHKにようこそ!」の舞台探訪に行ってまいりました。オタク臭くないかもとか、可愛い子とお近づきにとかごちゃごちゃ書きましたが、どう考えてもオタク臭いし可愛い子と出会うこともないであろう作品であるところに混乱してしまいそうになりますが、好きな作品なんだから仕方ありませんね。そもそも、僕は未だに流行りものに流されないことが格好いいと思ってしまっているので、面白くもないのに流行っていて人が群がっている作品というのは大抵嫌いなのでした。

NHKにようこそ!」は、大学を中退して引き篭もりと化した主人公、佐藤達広のもとに現れた天使のようなヒロイン、中原岬が佐藤くんを引き篭もりから救い出すためのプロジェクトに抜擢するところから始まる、どこか可笑しく痛い青春を描いた作品です。

原作小説、漫画版、アニメ版でそれぞれ少しずつ内容が異なっているのですが、今回はアニメ版の主な舞台となっている神奈川県多摩区生田付近を巡ってきました。

 

 

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 数字の順番に特に意味はありませんが、見つけられた場所を一通りマークしておきました。本当はもっとあったのかもしれませんが、今回見つけられたのはこれだけでした。

 

① 

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小田急生田駅の北口です。作中では「幾田」表記でしたが、建物の形は同じですね。佐藤くんのお母さんが訪ねて来た時に降りた場所ですが、佐藤くんと山崎が住んでいる三田ハウスは駅の南側なのでなれない街で間違えてしまったんでしょうね。でもプロジェクト卒業試験のときとかに映っていたのも北口だったのでその辺はあまり意識されていないのかもしれません。もしくは漫画喫茶に寄ったりしてたんでしょうか。

 

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こちらが三田ハウス側にある南口です。舞台を巡ることを考えたらこっちから降りたほうがいいかもしれません。

 

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一話で佐藤くんがバイトの面接に行く時に通った道です。作中とは異なり、階段に手すりが付けられていましたが、フェンスや階段自体の形状などからここで間違いないと思われます。折よく白い車が作中と似たような角度で駐車されていました。

 

三田ハウスから③に向かうまでにコンビニのある坂道らしき場所を通っていますが、これに相当する場所は見つけることができませんでした。似たような場所はあったのですが、そこにはコンビニやミラーはなく、その地点を経由して③に向かうとなると、変な遠回りをしていることになるので、違うのかなあと。まあコンビニは潰れた可能性がありますし、引き篭もりの佐藤くんが人目を避けて遠回りをしたとなれば辻褄は合うのですが。

 

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ここも面接に向かうために通った道です。結構目立つので川沿いに歩いているとすぐに見つかりました。ここを登っていくと五反田神社という場所に出ます。佐藤くんも神社を通っていったのでしょう。

 

③から④に向かう場所も特定することができませんでした。というのも、ここは地図上でも分かる通り、一本道を行った後は五反田神社を抜けていくだけなので、他に通るような道はないのですが、当の一本道には該当する景色があるような場所は存在しないのです。仮に遠回りをしていたとしても、付近一帯からは似たような景色すら見つけることが出来ませんでした。

 

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佐藤くんが通った場所としては⑥と前後しますが、シーンとしてはこちらの方が先に出ています。後ろにある建物も全てではないですが一致していました。放送当時は他の建物も含めて一緒だったのかもしれません。こういう問題は放送から年月が経ってしまった作品にはつきものですね。

 

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この橋を渡ってから踏切を超えていったはずです。関係ないですが、川の水は思っていたよりも綺麗で臭みもありませんでした。うちの近所のドブ川とは大違いです。

 

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そしてこの場所が岬ちゃんがバイトしていた漫画喫茶です。もうとっくに潰れてしまったようですが、建物自体は当時のままに残っていたのでその面影を感じることが出来ます。三田ハウスから駅前にかけては商店が少なく、バイトできそうな店もないため、佐藤くんはこの店を選ぼうと思ったのだと思われます。引き篭もりが電車に乗って移動するなんてのはハードルが高すぎますからね。途中からは難なくこなしていましたが。

 

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もちろん漫画喫茶の向かいには佐藤くんと山崎が岬ちゃんを見張っていたあのガラス張りの建物もありました。実際に訪れてみると「これってバレバレなんじゃないの?」と思いもしましたが、意識しないと上の方なんてあまり見ないので、案外バレないものなのかもしれません。

 

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位置関係としてはこうなります。この構図も作中に出てましたね。佐藤くんも山崎も見張るためとはいえ、よく見知らぬ建物に入っていけたものです。引き篭もりのくせに妙なところで大胆さを発揮します。

 

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一気に駅前から離れましたが、ここが佐藤くんと山崎が住んでいる三田ハウスのある通りです。残念ながら三田ハウスのもととなった建物はとっくに壊され、今では別のアパートになってしまっていましたが、アパートはアパートということで雰囲気は感じることが出来ました。階段の向きが逆向きになっていなければもっと良かったのかもしれません。

 

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岬ちゃんの家に通じる道です。作中と同じく坂道になっており、ここを登りきった場所に岬ちゃんの家のモデルとなった家がありました。どこからどう見ても完全に個人宅だったので写真を撮るのは憚られましたが、googleマップなんかでも見られるので、気になった人はそれで見たらいいと思います。ここに限らず、生田はどうにも坂が多い街で、引き篭もりには肉体的にも精神的にも移動が辛い街なのだろうと予想が出来ました。

 

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登った先から見えた景色です。作中では公園があった場所は、実際には浄水場になっていました。おそらくですが、現実では岬ちゃん家からは三田ハウスも公園も見えないと思われます。

 

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夜な夜なプロジェクトが進められていた第一公園です。作中で頻繁に登場する東屋はここにはありませんでした。この付近には公園が多く、いくつか他の公園も見て回ったのですが、東屋のある公園は見つけることができませんでした。全く別のところから持ってきたのかもしれません。ちなみに舞台探訪中、一番テンションが上がったのがこの場所でした。ベンチに座ってタバコを一服、とか思いましたが、季節柄蚊が非常に多く、断念してしまいました。少しでも佐藤くん気分を味わいたかったのですが…(岬ちゃんみたいな子が出てきてくれるかもしれないから)。

 

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この看板を見つけるのはかなり苦労しました。公園付近の団地にあるらしいとは聞いていたのですが、いざ行ってみると公園の周りは団地だらけで、「公園付近の団地」はなんのヒントにもなっていなかったからです。しかもその情報自体も結構古かったため、こんなチンケな看板はとっくに撤去されている可能性もあり、疑心暗鬼に陥りながら団地を歩き回って「ちかんにご注意」と書かれた看板を探すハメになったのでした。正直、今日の日記はこの看板は未だにココにあるんだぞ!と伝えたいがために書き始めたと言っても過言ではありません。

 

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 ロリータコンプレックスに目覚めてしまった佐藤くんが小学生を盗撮するために潜んでいたというどうしようもない場所です。流石に大の大人が汗だくになりながら(⑪のお看板を探すためにめちゃくちゃ歩き回った)、小学校にカメラを向けるのはマジで捕まってしまうんじゃないかとビビってしまったので、この茂みだけを撮ることにしました。横断歩道の先に小学校の正門がありました。

 

 

 舞台探訪中、なにか佐藤くんと岬ちゃんの出会いのような素敵な出会いがないものかと期待していましたが、全くそんな気配すらなかったため、思わず断崖絶壁に向けて走り出しそうになってしまいました。でも僕もドラマチックな死が相応しくないタイプだろうと容易に想像がつきますので、多分走り出したところですぐにコケてより惨めになってしまうだけだと思います。

舞台探訪中に限らず、この歳になるまで待ってもとうとう岬ちゃんは現れてくれませんでした。きっとこれからも現れることはないのでしょう。放送当時から考えると岬ちゃんももう30歳、原作で考えるともう34歳です。本当は僕も幻影を追い続けるのは止めにするべきなのでしょう。分かってはいますが、それでも希望を捨てることが出来ないのです…。

これこそが、N (日本) H (独り身) K (協会) の陰謀に巻き込まれてしまった僕の悲しい人生なのです。

理想郷の目指し方

サラリーマンという現代資本主義社会の奴隷階級に身を落としてからそろそろ一年になろうかという今日このごろ。以前は学生という身分を装い、朝陽とともに眠りにつき、夕陽とともに目覚めるという、貴族階級 -それよりは穀潰しと言った方が適切でしょうか- の生活を送っていたはずの僕も、今ではすっかり定刻に目が覚めてしまう自由を失った身体へと変化してしまいました。ちなみに、この中途半端な時期にそろそろ一年と言ったのは、僕が入社した会社は妙に研修期間が長く、去年のこの頃までは学生生活の延長のようなもので、集団で座学を受けていたからです。研修中だったとはいえそれもサラリーマンとしての業務なのでは?という疑問もあるかもしれませんが、ぶっちゃけこの研修期間中は、毎日どこからともなく現れた睡魔に襲われまくっていたため、当然のように眠りこけていました。流石に好き勝手眠りまくっていた時間を「働いていました!」と言えるほど図々しくはないので(研修で何かを学んだ記憶が一切ありません!)、真夏のこの時期にそろそろ一年という表現を使った次第です。こういう謙虚なところは自分でも褒めてあげたいと思います。

 

一年も経つと何か変わっただろうと今の自分を振り返ってみたのですが、もちろん何も変わっていなかったので、もはや呆れるほかありません。強いて言うならば今の職場にも慣れてきたおかげか、業務中にときおり居眠りをこくようになったことでしょうか。あまりにも堂々と居眠りをこいているせいで「何かそういう病気を持ってたりするのか・・・?」と上司に疑われてしまったほどですから、我ながら大胆な居眠りをしているものです。というか、怒るでもなくまず病気を疑うあたりに、上司の寛容さ、あるいは僕が普段どんな目で見られているのか、が気になるところではありますが、この辺りを心配してももうどうしようもありません。

 

このお小言があったあとも相も変わらず居眠りを続けてしまっているので、もう本当にどうしようもありません。いっそ「ナルコプレシー(居眠り病)なんです」と嘘八百を繰り広げてやっても良かったのですが(そしたら居眠りを攻めるほうが悪になるから)、生まれ持った高潔さゆえか、そんな嘘をつくことをこの血が許しませんでした。最近ではもうお小言は飛んできませんが、代わりに僕を見る目がだんだんと人以下の何かを見る目に変わってきたような気がします。ですが、そんな僕でもありがたいことに、給料という形で毎月お金がもらえてしまうのです。

 

これはよくよく考えてみるとすごいことです。社会に住まう多くの人が理想とするところは、寝ていてもお金が入ってくることだという噂があります。以前、実際にアンケートを取ってみたことがあるのですが、そのときはなんと4人中4人(100%)が「寝ていてもお金が入ってくることが好ましい」と回答したのです。この結果に対し、統計学の教科書を見たことがあるこの僕が論理的に解析してみたところ、この結果は社会全体であっても同じことが言えると判明したのです。驚くべきことに噂はほんとうだったのです。

 

現在のところ僕は平均して一日あたり30分弱は居眠りをしていまして(気付いたらそれくらい時間が進んでてビックリします!)、これは勤務時間の約7%に相当しています。つまり、給料の7%は「寝ていても」入ってくることになります。トイレでサボっている時間なんかも加えてしまいますと10%と言ってもいいかもしれません。この比率をこそこそと上げていき、いずれ100%になることを目指す、そこはまさしくユートピア、トマス・モアもこんな場所に理想郷が潜んでいたとは夢にも思わないことでしょう。寝ているだけで生活が行えるとは、こちらの方がより理想的ですらあります。

 

これからサラリーマンとして2年生になっていくわけですが、この目標を胸に日々を過ごしていこうと思います。当面は「どうすれば長時間離席していても自然に振る舞えるか」を解決することに心血を注いでいこうと思います。まあ、こんな馬鹿なことばかり考えて夜更かししているから日中眠くなるんですけどね。こればっかりは死ぬまで変われそうにない。

急に名前で呼ばないで

この世でいちばん面白い漫画ってもしかしたらエロ漫画なのかもしれない。

 

げんしけんについて思いを馳せた僕は、「じゃあ一体どんな漫画だったら心地よい気分を提供してくれるのか」という至上命題に挑むことになりました。

ぶっちゃけ僕は割とオツムがおめでたい人間なのでどんな漫画であろうと楽しめるのですが、それでもやはり、「これはなんかおもっていたのと違うな・・・」とか「これはさすがにフィクションと言えども無理がありすぎるのでは???」と、心から楽しむことが出来ない漫画もあります。ですが、それらの漫画とそう変わらないように見える漫画のなかにも個人的には十分に楽しめる漫画もあったりするわけで、僕は自分のことながら、楽しめる漫画と楽しめない漫画のどこに違いがあるのか、自分の中での楽しめる基準というものが全くわからなかったのです。

「人間、自分のことが一番わからないもんだよね」とどこかで聞き齧ったような言葉を並べて満足していても良かったのですが、それでは僕の中にある何かが到底納得しないだろうと思われたため、僕はこの至上命題に挑むことにしたのです。ごちゃごちゃ書きましたが、まあ暇ということです。

 

まずは好きな漫画について考えてみましょう。順にタイトルを挙げていこうかと思いましたが、それだとタイトルを書いていっただけで今日の日記が終わってしまいそうだったので、ぱっと思いついた範囲でタイトルを挙げていきますと、

スクールランブル

女子大生家庭教師濱中アイ

封神演義

魔人探偵脳噛ネウロ

・平成生まれ

変ゼミ

無限の住人

  ︙

 

思いついた範囲だけにするつもりだったのですが、これ以上挙げても気持ち悪さが増していくだけのような気がしたのでここで止めておきます。初っ端に「スクールランブル」と「濱中アイ」が出てくる辺り、自分のどうしようもなさに目を覆ってしまいたくなりますが、好きなものは好きなので仕方ありません。その後に挙がるタイトルもメジャーとマイナーの間に存在しているタイトルばかりというところから、マイナー作品を愛しつつも、本当に誰も知らないような作品だと誰とも語り合うことが出来ないという、斜に構えつつも寂しがりやみたいな気持ち悪さが漂ってきて我ながら呆れてしまうばかりです。

ですが、いくつかタイトルを挙げたことで見えてきたものもありました。

まず一つ目は、「メジャーよりもマイナーを好む」というものです。書いてて情けなくなってきますが、僕は未だにそういうのがかっこいいと思っているフシがあるのでこれは当然のことだったでしょう。

二つ目は、「そのジャンルをあまり知らないうちに読んだ作品である」です。これは説明が少し難しいのですが、「スクールランブル」は僕が初めて読んだ学園ラブコメでしたし、「封神演義」はあまり読んだことがないタイプのいい意味で少年漫画らしくない少年漫画で、「平成生まれ」は初めて買った4コマ雑誌に載っていたギャグ4コマです。僕はバカなので初めに感じた衝撃と面白さを混同して基準にしてしまっているのかもしれません。初めて触れたジャンルのため、余計に面白く感じたものを、そのまま作品の評価としてしまっているのかもしれません。ただし、しばらく経ってから読み返してもやはり面白く感じるので、このあたりは本当に作品の質が高いのだと思います。

三つ目は、「一度気に入った作者の作品を再度気にいる傾向がある」です。これはもう、卵が先か鶏が先かという話になってくるのですが、僕はここに挙げた作品の作者がかいた他の作品も好きなことが多いのです。これはある種の条件付けのようなものが行われている可能性もありますが(知らず知らずのうちに、この絵の作品は面白いと思い込んでいる。実際、似たような絵柄の漫画を手にとってしまう経験は多い。)、作者ごとのテーマのようなものに惹かれているのかもしれません。何だかきっかけがつかめたような気がします。自分の気持ち悪さをWWW(World Wide Web)に提供した甲斐があったというものです。

 

 こうやって書きだしてみると、もう一つの気づきがありました。それは、「特定のジャンルだから好き、嫌いは無い」というところです。僕は少年漫画や少女漫画といった大きなくくりは勿論、ギャグ漫画やラブコメといった小さなくくりにおいても、あるジャンル(要素)をもっているからと言って好きになったり、嫌いになったりしないのです。そのために、自分が楽しめる漫画という基準が分かりにくくなってしまっているのですが、これはデメリットではなく、むしろメリットだと言えるでしょう。おかげで常に新鮮な気持ちで新しい作品を読むことが出来るわけです。それが知らないジャンルなら尚更楽しめるというものでしょう。

ここまでで、「じゃあ一体どんな漫画だったら心地よい気分を提供してくれるのか」を明確に答えることができる材料は揃いませんでしたが、そのかわりにどういった漫画の選び方をすれば楽しめるのか、一定の指標を得ることが出来ました。つまり、出来るだけ触れたことのないマイナーなジャンルの漫画に手を出し、気にいったらその作者の作品へと手を伸ばしていけばいいのです。

しかし、この方法には一つ問題があります。それは手を広げすぎるととても金が持たないということです。新たなジャンルを開拓するためには普段は到底手を出さないような作品まで買う必要がありますが、買った作品全てに満足できることはまず無いでしょう。流石にこれでは効率が悪すぎますので、ある程度区切った範囲においてこの手法を実践するべきだと思われます。ただし、あまり区切りすぎては「知らないジャンル」という多様性を満たすことができなくなってしまう恐れがあるため、慎重に範囲を選択しなければなりません。一定の範囲に留まりつつも多様性を保っており、それでいてマイナー作品が多い中で同一作者の作品にも期待が持てる、こんな漫画たちが存在しているのでしょうか。

 

果たしてそれらは存在していました。

三日三晩考え抜いた僕に降りてきた啓示。それは一冊の快楽天でした。言わずもがなエロ漫画雑誌です。これを見つけた瞬間、僕は確信せざるを得ませんでした。これこそが、エロ漫画こそが、僕が求めていたものなんだと。

ここまで書いてきておいて今日のテーマはエロ漫画です。ぶっちゃけてしまうと、さっさとエロ漫画の話をしたかったのですが適当に前振りを書こうとしたら訳の分からない文章をつらつらと書くハメになってしまいました。恐るべきことに、ここからが更に意味がわからない本題です。

 

 エロ漫画。これが嫌いだと言う人に僕はまだ出会ったことがありません。もしこれが嫌いだと公言する人がいるならば、その人は重度の虚言癖持ちか、痴呆症が進行しすぎて善悪の判断がつかなくなっているかのどちらかでしょう。モテも非モテも楽しませようとする衆生救済の姿勢、一度捨てられてもまた新たな読者へつながる輪廻の輪、手を変え品を変え常に時代を映す鏡となりえる多様性、まさにエロ漫画にはこの世の全てが揃っているのです。これを嫌うということは即ち現世を嫌うということであり、そんな人たちはとっととこの世からオサラバしているはずですので、ここはやはり、エロ漫画が嫌いな人は存在していないという論が採用されるのも無理なきことでしょう。なにか間違っていますか?間違ってないね?

 

この世を表しているはずのエロ漫画ですが、残念ながら昨今の社会情勢においては日陰者であると認めざるを得ません。本屋の片隅に申し訳程度にコーナーが設けられているのはまだいいほうで、多くの街の本屋さんからは姿を消してしまっています。コンビニには置いてあることが多いですが、R18コーナーとしてまとめられているために、ギャンブル雑誌やアダルト雑誌(ビニ本)の追いやられ数を減らしています。インターネット上では一部こういった話題が盛んな場所もありますが、それでも多くの人が集うSNS上なんかでは忌避されがちな話題です。

神聖な生命の営みをテーマにしているはずが、何故こんなにも扱いが酷いのでしょうか。エロ漫画とフィットネス、両者にいったいどれほどの違いがあるというのでしょう。どちらも人間の行動を描いただけのハズです(一部人間以外の動物が出てくる作品もありますがここでは省きます)。それなのに、「仕事帰りにジムに行ってきました~。いい汗かいた!」みたいな意見にはいいね!がついておきながら、「みちきんぐ先生の新作最高でした~。三回出た!」のような意見はブロックされる。そんなことが許されていいのでしょうか。

 

 

 そこで今日は、いかにエロ漫画というものが素晴らしく、そして面白いのかといったところに焦点を当てて書いていきたいと思います。さっきここから本題だとか書いてた気がするけど嘘でした。ここからが本題です。

 

エロ漫画。僕はこれ以上に平等で寛容なジャンルを見たことがありません。絵が上手いやつがいる、絵が下手なやつがいる、ストーリーづくりが滅茶苦茶に上手いやつがいる、ひたすらヤッてるシーンしか描かないやつがいる、描くのをやめるやつがいる、また描き始めるやつがいる、万人受けする性癖を描くやつがいる、それはちょっと高度すぎるのでは?と首をかしげたくなるような性癖を描くやつがいる、そしてその全てを受け入れる土壌がある。それがエロ漫画です。

でも根底にある思いは同じです。読者を楽しませたい、興奮させたい。ただこの思い一つを胸に抱いて、バラバラな奴らがこのジャンルには集うのです。中には商業用雑誌では載せられないからと、同人誌として頒布し始める人だっているのです。一概に彼らの情熱を日陰者として追いやってしまってもいいのでしょうか。

そしてその思いに読者もまた、応えるのです。雑誌を購読し、気に入った作者がいれば単行本を購入する、店頭で買うのが恥ずかしい人には電子書籍だって充実しています。時には即売会に赴き、作者本人に感想なんかを述べつつ同人誌を買って帰る。性欲だけではない、もっと熱い何かで結ばれた絆がここにはあるのです。

 

「でも何かカッコイイ感じに言ったって結局目的は一つでしょ?」

確かにそうかもしれない。でもちょっと待ってほしい!僕たちは性欲のみで生きているわけではないのです。

確認するまでもなく、エロ漫画の究極の目的はたった一つ、抜くというところにあります。たしかに僕たちはいいエロ漫画=抜けるエロ漫画だと考えがちではありますが、決してそれだけが判断基準となるわけではありません。世の中には抜ける抜けないを超越したところに存在するエロ漫画だってちゃんとあるのです。

エロ漫画雑誌から一般雑誌(全年齢)に移った漫画家は大勢います。言うまでもなく一般雑誌では程度の差こそあれエロ描写は制限されてしまうわけですが、そんな環境において彼らは一体何を評価されたのでしょうか。単純に絵が上手いというのはあると思います。しかし、ストーリー作りを評価されて一般雑誌に移った漫画家もいるはずなのです。

そんな彼らが紡ぎ出すエロ漫画は大変雅なものであり、他のエロ漫画に比べてはるかに記憶に残ります。それは笑える話だったり、悲しい話だったり、一般漫画と比べても全く遜色ありません。

考えてみればこれはある意味で当然のことで、優れたストーリーメイカーはかく題材が変わったからと言ってそうそう実力が変化するものではありません。むしろ、エロ描写が制限される一般漫画に比べ、人間の欲求を余すところなく描写できるエロ漫画ではその実力がふんだんに発揮されるというものでしょう。

例えば今では知らない人はいないと思われるワンピースに性描写をふんだんに盛り込んだら・・・?きっとその魅力は激減してしまうことでしょう。例える作品が間違っていましたね。

 

 

まだまだ話題はつきませんが、エロ漫画の魅力が少しはわかっていただけたかと思います。もっと魅力を語っていきたいぐらいなのですが、そんな僕がエロ漫画においてどうしても許せないことが一つだけあります。

一度はこんなシーンを見たことがあるのではないでしょうか。

 

「うわぁ・・・べんぞうさんの中・・すごくあったかいナリ・・・」

 

「コロちゃん!急に名前で呼ぶのはやめるっす!」

 

「べんぞうさんの中・・締め付けが強くなったナリ・・・!!」

 

みたいなね。

コロ助は普段から勉三さんって呼んでるだろってツッコミはこの際どうでもいいんですが、この「それまで名字で呼んでたところを急に名前で呼ぶと感度が上がる」現象はエロ漫画では頻出するわけです。これはどうにもよろしくない。

いや、これがですね、ブタゴリラとかコロ助みたいな「そんな名前のやついねーだろ」って名前ならまだ許せます。でも実際のエロ漫画では、澄香とか甘恵みたいなありそうな名前が入ってくるわけです(手元にあったいかがわしい雑誌に載ってた漫画から名前を取りました)。ありそうな名前とは言え、周辺に同じ名前の人がいなければ全く問題はないのですが、問題は同じ名前の人が頭に浮かぶ時です。こうなってしまうともう虚無確定ですよ。出してもいないのに賢者タイムです。一度叔母の名前が出てきたことがあったのですが、愚息は急速に萎え、向こう一週間は別のエロ漫画を読んでいても頭をよぎるという地獄のような時間を過ごすハメになってしまいました。

色んな意味で心地よくなるためにエロ漫画を呼んでいたはずが一転、修行の時間に早変わりです。名字ならば大抵エロシーンの前に提示されているため、回避のしようがありますが、急に名前を呼ばれてはもうどうしようもありません。しかも女性の名前が知らない名前だったとしてもまだ安心はできません。よくあるパターンとして、気持ちが高ぶった女性サイドが男を下の名前で呼び始めるということがあるからです。当時ほぼ毎日遊んでいた友人の名前が急に出てきたときは、その友人に会うとエロ漫画を思い出すわ、エロ漫画を読むとその友人を思い出すわと地獄の輪廻にとらわれてしまい、抜け出すためには半月程を要してしまいました。この輪廻はなかなかに厄介で、思い出すたびに記憶が強化されるもんですから引きずりやすくなってしまいがちです。

 

リアリティを追求する必要があるのは理解できますが、この問題なんとか解決出来ないもんですかね。名前を呼ばなくても表現できる愛情ってあると思うよ。

まあ問題が解決しなくても僕がエロ漫画を読むことをやめることはないでしょうが。ギャーギャー言っても結局好きなんだもんな。面白いよ、エロ漫画。

げんしけんと僕

僕が「げんしけん」に出会ったのは小学生の時でした。

 

どのクラスにでもいたであろう「兄貴のエロ本をちょろまかしてくる奴」の家に遊びに行くと、普段はゲーム画面(それも銃で人を撃つようなろくでもない類のゲームの)が映っているはずのブラウン管に、何故かアニメが映し出されていたのです。

なんでそんなものを皆で見ているのかはわかりませんでしたが、驚かされたのはその内容でした。大学生のオタク活動に焦点を当てたこの作品は、ちょうどこの頃深夜アニメの存在を知った僕からしても全くの未知の世界であり、大学生にもなれば漫画もゲームもそこまでしないのではないかとなんとなく思っていた僕は大変な衝撃を受けました。

その後、誰かが単行本(これも兄貴の本棚からパクってきたやつ)を持ってくるようになり、クラスの一部で「げんしけん」にハマる男子が続出しました。

当時の僕がこの作品を本当に楽しめていたかどうかは定かではありませんが、この時にハマっていた別の漫画が「スクールランブル」とかいう、この頃のオタクがどうしようもなく熱狂していた作品だったあたり、結構楽しめていたのかもしれません。高校生になれば「スクールランブル」のような、大学生になれば「げんしけん」のような生活が待っているのだと、ぼんやりと夢見ていたような気もします。

その後、中学、高校と進んでいく中で、自分でも単行本を集めるようになり、一度は終わったはずの「げんしけん」が、二代目として連載が再開されるという嬉しいハプニングもあったりしながら、高校でも大学でも特にイベントは発生せず、あんな生活は待ってやしないのだと悲しい現実に気付かされていきました。

 

正直に言ってしまうと、二代目は僕が求めていた「げんしけん」とは少し毛色が違っていましたので、途中から読まなくなってしまっていたのですが、先日いつの間にやら、その二代目も完結していたことを知り、「小学生の時から追ってた作品の終わりを見届けなければ」と突如なんだか間違った使命感に襲われた僕は、その手で通販サイトを開き、読み残していた単行本を一気に購入する運びとなりました。

結果から言うと、すごくもやもやしたし、あまり思い出したくないことを思い出すハメになってしまったのですが、空白期間はあれど10年以上読んでいた作品に対して、思うところもありましたので日記に認めようと思います。キャラクターの名前がガンガン出てきますが、こんな気持ち悪い日記を読むような人は当然「げんしけん」を読んでいると思いますので、特に説明はしません。いらない前置きが長くなりましたが、ここは僕の日記帳なので暖かく見守ってください・・・。

 

読み終えて改めて気付かされたのは、僕の斑目に対する愛とも言うべき憧れでした。こんな書き方をすると、まるでホモの人みたいに思われるかもしれませんが、別にそういうわけじゃありません。僕は好きなものに一心不乱に向かっていく斑目晴信に確かに憧れていたのです。思い返せば僕がげんしけんにハマってしまった原因はこの斑目の「良いと思ったものを買うときは値段を見ない」という漢らしすぎる生き様に魅せられてしまったからでした。それでいてときおり見せるヘタレっぷりは妙に人間らしさを感じさせてくれるものでもあり、羨望と親近感から僕もいつかは彼のような生き様を歩んでみたいと思ったものです。

続編である二代目ではこのヘタレっぷりのほうが圧倒的に強く感じられてしまったため、僕は楽しかった思い出はそのままにと、読むのを一度止めてしまいました。その分、最終巻で飛び出た「「あの頃の俺」を取り戻すぞ!!」発言にはシビレさせられたのですが(読んでてちょっと声が出た)、その後は春日部さんに言われるがままにあっさりとスーと付き合いだしていたために、僕はもう何が正しいのか分からなくなってしまうと同時に、こんな続編を生み出してしまった資本主義社会というものを恨まずにはいられませんでした。

 

そんな斑目に憧れていた僕ですが、過去の斑目のようになることはおろか、新しい斑目のようになることももちろん出来ず、中途半端なまま、ハーレムだって作れやしません。他のキャラに例えるならば、ふさわしいのは朽木でしょうか。彼のように、皆が知らされていることを一人知らされず、あんな誰も彼もがくっついていくヤリサーにおいて一人さみしく過ごし続ける彼の姿に自分の姿を重ねてしまっても無理はないことなのでした。

というか斑目的イベントは起こる気配すらなかったのに、朽木的イベントは割と身に覚えがあるレベルで起こっていたので、これはもうどうしようもありません。

 

あれは僕が大学生のときのことでした。当時の僕は大阪日本橋という割とどうしようもない場所で、アニメグッズショップ店員というどうしようもないアルバイトをしていました。入った当初は男だらけの職場で、アルバイト募集に女性の応募があった時なんかにはまだ面接に来るどころか履歴書も見てないのに、可愛い女性が来るはずと信じてやまない男子校のような職場でした(ちなみに、件の女性は面接担当者曰く「ゴリラみたいだった」とのことでした)。

そんな男女比10:0だった職場もいつの間にやら女性の応募が増え、当初いた男性スタッフが抜けたこともあって男女比が拮抗するほどになっていました。女性とろくに話せないという大病を患っていた僕でしたが、こんな店で働いているからには皆趣味なんかが似通っており、割とスムーズに話せていたように思います。中には「こんな人がアニメとか見んの!?」と思うような人もいたりして、まだ見ぬ未来への希望を膨らませたりしたものです。飲み会なども企画されたりして、一般的に人格破綻者みたいな人材が多いと思われるオタクが集まっているとは信じられないほど、人間関係は良好だったと思います。

残念ながら僕は特に良いことが起こるわけでもないままにアルバイトは辞めてしまったのですが、その半年後くらいに同じ時期にアルバイトを辞めた人と飲みに行く機会があり、そこで思いもよらなかった裏側の世界を知らされるハメになってしまったのです。

 

飲み始めて2時間ほど経った頃だったでしょうか、お互い酔いも回っていい気分になっていたのでしょう、彼の口から衝撃の一言が飛び出してきました。

「そういえば、○○さんっていたじゃないですかー。ぼく、あの人と一時期付き合ってたんですよねー。」

○○さんといえば結構な美人さんでした。ゴミのような存在である僕にも優しく接してくれていたので、僕も彼女のことは好意的に捉えておりました。正直この時点で嫉妬の炎が燃え上がり、酔いも覚めそうになっていたのですが、この時点ではまだ事の重大さに気付いてはおりませんでた。

「あの人メッチャ積極的なんすよー。色んな意味でねw」

どうやら○○さんは超絶淫乱の素養に溢れておられたようですね。前日肉棒などのいやらしい物体を舐め、嬌声を発していたその口で僕にも優しく話しかけていたわけですか。そんなに積極的なのでしたら、その積極性をもってして僕の肉棒も舐めてくれてもよかったのではないでしょうか。どうやら同じ職場の仲間が困っている場合には、その積極性は発揮されないようです。

僕はその付き合っていた時期にも一緒にバイトをしていたはずなのですが、そういった話は一切知りませんでした。一体どういうことなのでしょう。

「隠しときたかったみたいで、黙ってましたからねー。」

なるほど、積極的なのは夜だけの話で、昼間の仕事中は結構シャイだったわけです。これがギャップ萌えというやつなんでしょうか。なんだか違うような気がします。

というか彼は一体僕に何を伝えたいのでしょうか。こんなことを聞かされた僕はどんな反応を返せば良いのでしょう。彼らがどんなセックスをしていたか想像してみて彼に答え合わせでも求めたら良いのでしょうか。やっぱりコスプレとかしちゃうんだろうか・・・。光るコンドームがあるってのは聞いたことがあるけど、アニメキャラがプリントされたコンドームなんかもあるんだろうか。混乱する僕に新たな言葉が襲いかかります。

 

「他の人たちもそうだったみたいですよ。」

ほ、ほかのひとたち・・・?嫌な言葉を察知し、思わず身構えます。

「かたやまさんは知らなかったかもしれないですけど、他にもこっそり付き合ってる人いましたよ。」

その瞬間、一瞬で酔いから解放された僕はジョッキを握り締め、彼の顎に渾身の一撃を与えます。

なにそれ・・・?僕が真面目にバイトしてる間にあんたらはこっそり乳繰り合ってたっていうの・・・?

というか皆とは結構仲良くできてるなとか思っていたのですが、僕にはその辺りの話を隠されていたあたり普通にショックでした。

「例えば△△さんと□□さんとかもそうでしたよ。」

脳震盪を起こし泡を吹いている彼の口から、知っている名前が続々とあげていきます。そのあまりの多さに、僕は友情とは一体なんなのか、宇宙はどこまで続いているのだろうか、世界の不思議を考えずにはいられませんでした。

嬉しいことに、あがった名前にはバイト先の女性の名前がほぼ全員含まれておりましたので、どうやら僕が働いていたところは尻軽ばかりの素晴らしいお店だったようです。そんな環境に身を置きながら、一切浮いた話のなかった僕は何者になれるのでしょう。こんな訳のわからない話で自分の未来を憂うことになるとは想像すらしていませんでした。

 

朽木くんですら卒業前に真実を教えてもらえたというのに、僕は半年も経ってからようやく教えられるという始末。こんな悲しい思いをするのなら、いっそ全てを知らないままで生きていたかった・・・。どうやら僕は朽木くんにもなれないようです。

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト舞台探訪記 「空の音・夢ノ彼方」

それは私がこの国に来てそろそろ8日になろうかというある日の午後のことでした。

 

こんな書き出しから始めてしまいましたが、別に夢がどうとか目標がどうとか書いたりはしません。単なる日記です。そして、これが本当に最後の旅行記です。よくもまあ誰も見てないのにダラダラと書いてきたものだ。

 

2016年9月21日(水)

 

クエンカでの粗相が響き、ほうほうの体でその後の観光を続けていた僕ですが、この頃にはすっかり体調も戻り、順調にやり残した予定を消化しておりました。やり残したことはもう殆ど無く、後は日本に帰るだけだと思っていたのですが、一つ重要な場所に行っていないことに気がついてしまいました。

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」という作品は、事前にスタッフによるロケハンが行われており、そのあらましが公式サイトにて公開されています。僕はこのロケハンがあったからこそ、作品中で直接は描かれていない背景でも、なんとなく感じさせてくれる、説得力のある世界観が出来上がったのではないかと思います。ロケハンは、クエンカ・アラルコンを中心に行われており、建物は勿論、そこにある家具や、内装まで参考にしたとあります。そしてもう一箇所、アルカラ・デ・エナーレスにも行ったことが触れられています。ここには「ドン・キホーテ」の作者、「ミゲル・デ・セルバンテス」の家があり、どうやら置いてある家具や調度品を参考にしたようです。舞台探訪とは少し違うかもしれませんが、ここもまた「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」を構成する舞台の一つだと思いましたので、当初の予定にはありませんでしたが、行ってみることにしました。

 

アルカラ・デ・エナーレスはマドリード近くにあり、クエンカ、アラルコンからその日のうちに向かえなくもないですが、一度マドリードに寄ってから向かうのもいいと思います。僕もマドリード滞在中に足を伸ばしました。マドリードからは電車で1時間ほどで着くので日本に帰る前にふらりと寄ってみるのも楽しいかと思います。アルカラ・デ・エナーレスもクエンカと同じく街全体が世界遺産に登録されているような街らしいので、普通に観光にいくだけでも楽しめそうですね。

 

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駅から出ると背の高い建物がない、落ち着いた印象の街が広がっていました。どうやらこの街は大学都市として世界遺産に登録されているため、誰もが知っている名所のようなものは無いらしく、前提知識がある人が楽しめるタイプの街のようですね。まあ知識など無くても、落ち着いた街並みが好きな人にはいいんじゃないでしょうか。

 

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道中何度か遭遇したのですが、電線に結ばれた一対の靴が器用に引っ掛けられていました。最初にみたときは「一体何のおまじないだよ・・・」と思ったものですが、どうやらこれは「シューフィティ」と呼ばれているある種のアート的な要素を含む何かだそうです。何かっていうのは、本来何が目的で始まったものなのかはっきりしていないからで、ギャングや麻薬取引組織のサインとかいう物騒な説から、ただの子供のいたずらだろうという微笑ましい説まで色々あるそうです。こんな穏やかに見える街にも麻薬がはびこっているのか、はたまた微笑ましいいたずらなのか、真相はわかりませんが、知らない街で妄想を巡らせるというのも中々に楽しいものです。

 

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駅から15分も歩くと目的地に到着します。家の前ではドン・キホーテとサンチョが出迎えてくれます。二人の間に座って写真撮影をしている人たちがチラホラといました。こういう見てよし触れてよしのスポットはいいもんですね。僕も撮ろうかと思いましたが、考えるまでもなく僕は一人であり、そのへんの人に話しかけるようなコミュニケーション能力もなかったため、撮影は断念しました。

 

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近寄って見てみると結構怖い顔してました。騎士道物語を読みすぎるとこんな厳しい顔つきになってしまうのでしょうか。もっと笑っていてほしいものです。実は僕は「ドン・キホーテ」を読んだことがなく、あらすじくらいしか知らなかったのですが、彼のこの顔つきをみていると、どんな物語に出てくる人物なのだろうと興味が出てきました。日記を書くにあたり、再度あらすじを調べてみると、やはりいい感じに狂っている人物のようでしたので、いずれ読んでみようと思います。本来関係のなかった書物にまで興味をもたせてくれるなんて、ほんと「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は偉大な作品ですね。

 

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いくらかの入場料を払って中に入りますと、うっすらと見覚えがあるよう井戸が飛び込んできました。ユミナの教会にあった井戸ですね。セルバンテスの家は吹き抜けの中庭を囲む2階建てになっており、この中庭部分は、教会の中庭部分のモデルになっているようです。家具や調度品でモデルになっているものが見つかればラッキー程度の認識だったのですが、これは嬉しい誤算でした。ただ惜しむらくは、せっかくの中庭の写真を全然撮っていなかったということです。僕は一体何をしていたのでしょうか。

 

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中庭に面した各部屋は基本的に出入り自由となっており、好きなように見学できます。何に使うためのものなのか、想像もつかないものが置かれていて、古いもののはずなのに何だか新鮮でした。解説らしい解説も置かれていないので、何に使うものだったのか、全く予想が付きません。椅子がおいてあるのを見て、「もしや砦で使われていたものと同タイプの椅子では?」と勝手にテンションを上げてしまったのですが、ぜんぜん違う形でした。この後も何度か椅子を見つけてはテンションを上げてしまうという、どう考えても学習能力が乏しすぎる真似をしてしまいました。

 

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建物内は薄暗いところが多く、僕の撮影スキルも相まってどうにも暗い写真ばかりになってしまい、不気味な写真が何枚か生産されてしまいました。これなんかは真ん中に写っている椅子が拷問器具のように見えるような気がしますが僕だけでしょうか。窓や椅子の後ろにある家具は、似たようなものが作品内にも出ていたような気がしますね。

 

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食事に使われていたテーブルでしょうか。大きさ的に考えると小隊の皆が使っていたテーブルに近いような気がしますが、作中ではテーブルクロスが掛けられていたので確証が持てません。周りに配置されていた椅子は残念ながらまた異なるものでした。壁に使われているタイルはクエンカタイルなんでしょうか。砦の食堂にもタイルが張られている箇所が一部あったはずです。食堂に彩りを与えてくれるよいタイルですね。

 

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流石にこんな皿や入れ物は作中に出てきていなかったかと思いますが、これらを収納する棚は似たような造りのものがあったかと思います。さっきから、思いますだの、はずですだの、何ともふわふわした表現ばかりになってしまっていますが、正直この辺は断定出来る素材を見つけられていないので勘弁してください・・・。でも、作品を見ていればなんとなく作中と共通する雰囲気があることは伝わっていると信じています。

 

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階段を上がって2階へと進みます。何故か全然撮っていなかった貴重な中庭の写真を、上から撮っていました。角度こそ違っていますが、教会の子供達がお祭りの準備をしていたシーンと一致していますね。柱の形状なんかも同じです。こんな場所から写真を撮っているのに、なぜ作中と同じ角度では撮っていないのか、自らの行動に疑問がつのるばかりです。

 

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2階の一部では「ドン・キホーテ」に関する展示が催されていました。文字が少なく、コメディチックに描かれているため、スペイン語がビタイチわからない僕でも雰囲気だけで楽しむことが出来ました。

 

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明らかにもうソ・ラ・ノ・ヲ・トは関係なくなってしまっているのですが、使用用途が他に思い浮かばない椅子がしれっと置かれていました。実は本来の用途が別に何かあるのでしょうか。めちゃくちゃ普通の居室らしいところにおかれていたので、まさか、こんな場所で用を足すとは思えないのですが、それは現代を生きる僕たちの常識。昔は、部屋で話しながらブリブリと排便するのがナウなヤングにバカウケだったのかもしれません。とんでもない時代です。

 

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中庭はそこまで広くないので、2階の廊下もすぐにぐるっと一周できてしまいます。中庭を見下ろせるようにベンチも置いてあったので、各部屋を回りながらゆっくり過ごしてもいいかもしれませんね。

 

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神戸守監督のインタビューにも出てきたドアノブが真ん中についた扉。こういった扉は何もここだけにあるのではなく、スペイン滞在中に何度も見かけました。たしかに、日本人からすれば奇異に映るかもしれませんが、現地の人達からすれば日常に溶け込むものであり、この当たり前に使っている人達がいるという事実が、ある種の説得力をもって、アニメというファンタジー世界において「地続き感」を感じさせてくれるのですね。

 

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最後に中庭を一枚。ほんとここまで撮っておいて何故作中と同じカットで撮っていないのか。自分の抜作っぷりには呆れるばかりです。いい忘れていましたが、中庭には管理人らしい兄ちゃんが一人おり、この人がまた中々に丁寧なナイスガイなのでした。僕がスペイン語を解さないと察するやいなや、英語での接客に切り替えてくれ、こうして中庭の写真を撮っている間も何か解説をしてくれるというサービス。残念ながら、僕は英語能力も著しく低かったために、せっかくの兄ちゃんの解説も、僕の笑顔にただただ飲み込まれていくだけという大変申し訳無い結末を迎えてしまいましたが、それすらも察したのか、「ありがとう」と日本語で締めくくってくれました。正直言ってめちゃくちゃカッコいいと思った。

 

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セルバンテスの家を後にした僕は、アルカラ・デ・エナーレスの街をぶらつき、最後に会ったドン・キホーテに挨拶をしてからこの街を去りました。思い立って来ただけではありましたが、なんとも居心地の良い街でした。セルバンテスの家以外にも見て回れそうなところがいっぱいありましたよ。

 

これで本当に舞台探訪も終わりです。「絶対に一度は行っておかねば」と思って始めた舞台探訪でしたが、実際に訪れてみると、その思いが成就されるどころか、「絶対にもう一度行っておかねば」に変わっていました。いや変わっていないとも言えるのでしょうか。幸いなことに、2020年にソ・ラ・ノ・ヲ・トファン有志によるクエンカオフが計画されているらしいので、何らかの形でそこに参加してみたいなと思います。本探訪記は2020年ソラヲフを応援しています。

 

 

行こう、夢のその先に。

たとえ、いつか世界が終わるのだとしても。

その瞬間までは、私達の未来だ。