インターネットのけもの

全て妄想です。

歯磨き粉の代わりはいない

最近ヒゲを剃ろうと思ったらシェービングジェルが切れていることに気が付きました。まあ僕は焦らないことで有名な男ですので、淀みない手付きで替えのジェルを取り出そうとしたのですが、なんというか割と普通に替えのジェルがなかったので唖然とするしかありませんでした。そんな馬鹿な…、常に準備を怠らない僕が替えのジェルを用意していないだなんて…。

ですがよく考えてみると僕は実家ぐらしの特権をフル活用して、未だに親に身の回りの品を買ってきてもらっていたので、自分でジェルなんぞ用意しているはずはないのでした。自分で書いていて割と情けなくなってくるのですが、それが便利なんですからどうしようもありません。

まあないものはないので、嘆いたところでジェルが出てくるわけでもなく、まさか今から親に買いに行かせるなどという強気のニートみないな真似をするわけにもいきませんから、あるものでなんとかするしかないのですが、あるものと言っても石鹸とシャンプーくらいなものです。石鹸で試してみようかと思ったのですが、泡立ちがいまいちで向いていないことは容易に想像がつきました。

そこで目についたのが洗顔剤。これならジェルと感触が似ていますし、そもそも顔に塗って使うものですからなんだか向いていそうです。さっそく洗顔剤を手に出し、いつもより泡立ちをよくさせてからヒゲの周りを重点的に塗り込んでみました。

実際に剃ってみて驚いたのですが、思ってた以上にスムーズに剃れます。普段使っているジェルよりも剃りやすいような気すらしてきます。というか、僕のヒゲは恐ろしいくらいに強いようで、専用のジェルを使って慎重に剃っても顎周りがしょっちゅう血まみれになってしまうのですが、洗顔剤で剃っているときは明らかに血が出にくくなっています。さすがに深く剃ってみると皮膚がガンガンに傷ついてしまうのですが、それでも普段よりは遥かにマシってなもんです。書いてて思ったんですが、そもそも剃り方が悪いんじゃなかろうか…。

剃っていくうちにシェービングジェルというものの存在意義がだんだんわからなくなってきたのですが、ヒゲが綺麗になっていくのが気持ちよすぎてどうでも良くなりました。あの電動シェーバーを使っても血まみれになってしまい、あまつさえ剃り残しがあったあのヒゲがどんどん綺麗に剃れていくのです。

 

そんな調子でアゴ周りが久しぶりにツルツルになるまで剃れたのですが、そのまま歯を磨こうとしたところ、次は歯磨き粉が切れていることに気が付きました。無いものだらけで、そういうのは普段からちゃんと管理しとけよ…って感じなわけですが、こちらもストックすら無いというのですから驚くほかありません。

流石に歯磨き粉の代用になりそうなものは無さそうだなと思ったのですが、正直泡が立ちさえすれば歯くらい綺麗になりそうなのでなんでもいいか、とか考えたのですが、そういえば以前同じ状況に置かれたことを思い出しました。

旅行先で銭湯に行った僕はついでに歯も磨いておこうと考えたのですが、シャワーを浴び始めてから歯磨き粉を忘れてしまったことに気が付きました。そのときも、泡が立ちさえすれば全部一緒だろ、とか考えてシャンプーを歯磨き粉代わりに歯を磨いたわけですが、シャンプーのあまりの不味さに吐きそうになってしまったのでした。僕たちの髪を綺麗にしてくれるシャンプーがあんなに不味いものだとは想像もしていなかったのですが、速攻で口をゆすいだにもかかわらず、一時間近く苦々しい味が続いたというのですから大変な不味さでした。誤って飲み込んだりした日には嘔吐が止まらなくなることでしょう。

心が痛ましくなるこのエピソードを思い出したため、僕は今日は歯磨き粉なしで済ませておこうとしたのですが、歯を磨き始めてからある考えが頭をよぎりました。前に歯磨きにつかったシャンプーは銭湯に備え付けてあるような業務用のものだったから変な味がしただけで、市販のシャンプーだとそこまで不味いものではないのでは?というか、家で使っているシャンプーのほうが圧倒的にいい匂いがするわけだから、やはり味も良くなっているのではないか?というものでした。

一度疑問を抱いてしまったからには試さずにはいられません。きっと今回は違うはず…、そう信じて僕はシャンプーを歯ブラシにべったりと出したのでした。

 

まあ大体お察しの通りといいますか、歯ブラシを口に入れた途端、強烈な嘔吐感に苛まれたものですから、僕は自分の学習能力の無さを呪うことしか出来ませんでした。

しかも家のシャンプーはなんかスースーする成分が入っていたためか、口をゆすいでも一時間くらいは息をするたびに奇妙な清涼感を味わうハメになってしまったのでした。いい匂いとかそんなものは全くもって関係なく、シャンプーはただただ不味いものでした。

歯磨き粉だのシャンプーだのはやっぱり適切な使いみちをしないといけないんですね。真似しないほうがいいですよ。

アクセス100倍

ぼんやりとアクセス解析なぞを眺めていると、昨日のアクセス数が普段の100倍にも上っていたため、僕は驚きのあまり全身の毛穴という毛穴から勢いよく出血してしまいました。

100倍というと「おいおい、一体どんだけアクセスがあったんだよ…」と思われるかもしれませんが、普段のアクセスは1とか2,割と普通に0の日もあるので100倍とはいえ、実際にはアクセス数は100ちょっとだったのですが、それでもやはりこれは異常と言わざるを得ません。

こんな泡沫ブログになぜこんなにも人が訪れてくれたのか、気になったので調べてみると、あっけなく答えが判明しました。

どうやら前回の日記を読んだ人の中にライトノベルが好きなバーチャルYouTuberとかいう人?がいたらしく、あろうことかそのバーチャルYouTuberが「数字で救う! 弱小国家」の作者に向けて前回の日記を紹介するツイートをしていたのです。しかも何故か作者もそのツイートをリツイートする始末。

そもそもこのバーチャルYouTuberがどこから僕の日記にたどり着いたのか、あの日記が作者に読まれてしまったのか、そのとき作者は何を思ったのか、など疑問は尽きませんが、兎にも角にもそういう背景がありアクセス数が100倍になったようでした。

 

なんというかインターネットって本当に凄いもんですね。こんな僻地に刻まれた文章が作者のもとにまで届いてしまうっていうんですから、これはもうとんでもないことです。作者が読んだかもしれないと思うと唐突に恥ずかしさが湧き出てきて日記を消去したい欲に駆られましたが、まあ書いてしまったものは仕方ないしもうどうしようもありません。まさか作者本人に届くなんて予想できませんからね。

作者本人に届くとわかっていればもっと書きようがあったのに…!とも思いましたが、よく考えてみると僕の文章力ではそこまで違った日記になっていたとも思えないので、あれで良かったのかもしれません。それよりも、作品について述べた文章に一部間違いが合ったことをどうにかするべきだったのでしょう。

"王女だとか元王女だとかいった"と書いていましたが、ただしくは"王女だとか元皇女だとかいった"です。こっそり直してやろうかとも思いましたが、清廉潔白な僕にはそんな事はできやしませんでした。こういうところをアピールしていきたいです。

アピールと言えば、せっかく作者の方に感想文を読んでいただけたならサイン下さい!とかそういうアピールをガンガンしていけばよかった。いまからでも遅くないのかな?サイン下さい!サイン!

 

風邪で頭がボーッとするのでいつも以上にふわふわした日記になってしまったなあと思っていたのですが、読み返してみると普段の日記もこんな感じでしたね。おわり。

異世界との向き合い方

使い終わったエロ本は近くの中学校に寄付しに行くほど温厚篤実で知られる僕ではありますが、そんな僕にも許せないものがあるのでした。

 

僕は未だに中学生の頃の気持ちを忘れられないので、ライトノベルなんかをガンガン読んでいるのですが、そんな僕の大好きなライトノベルの世界では「異世界転生」なるものが流行っているらしいのです。流行っているらしいと言うか、最近では書店に行けば、「異世界」だの「転生」だのといった文字が踊り狂った漫画やラノベが平積みされてますし、深夜アニメをいくつかチェックするとそこにもこれらのワードを確認することが出来ます。これはもう流行っていると言って過言ではないでしょう。

一説によると、こういった作品を楽しんでいるのは中高生だけでなく、現代社会に疲れ果てた大人達が主な読者層になっているというのですから驚くばかりです。ままならない自分を主人公たちに重ね合わせ、つかの間の安らぎを得ているのでしょうか。ハッキリと言わせてもらいますけどね、こんなのは異常ですよ、異常。

いい目にあってるのは主人公たちであって、あなた達じゃないんですよ。不思議な能力に目覚めるのも、女の子たちから言い寄られるのも、周囲からチヤホヤされるのも皆、主人公たちなんですよ。しかもこれはお話ですから、限りなく主人公たちに都合のいいように話が展開されていくわけです。そんなものに自分を重ねて悲しくなったりはしないんですか。物語をそんなふうに使っていいんですか。

よくあるのがあれですよ、なぜか現代社会の知識をもったまま、文化レベルが中世並の異世界に転生した主人公が、その知識をもってして(全然たいしたことないやつ)、周りを驚かせながら成り上がっていく。これはもう、努力はしたくないけどチヤホヤはされたいという欲望が溢れすぎていて本当に酷い。あとは、転生時になぜか特殊能力に目覚めているやつね、これもまあ同様の理由で酷い。なんでこんなものが流行っているのか理解しがたい。ほんとあなた達オタク連中は一体どうなってるんですか。マイナーを愛し、メジャーを貶し、自分の好きなものだけを信じていたあなた達は何処へ行ったんですか。こんな単純な流れに流されていいんですか。挟持はなくしてしまったんですか。

 

とか調子よく書いていたんですが、今PCの横に積んである本を眺めていたら「数字で救う! 弱小国家」とかいう、紛れもなく異世界にいってしまう系のラノベがあったので驚くことしかできませんでした。でもまあなんていうか!?これは数学の力で国難を解決していくっていう物語だし、その数学の力も主人公が努力の末に手に入れたものだから、まあセーフっていうか!異世界だからといって手放しにチヤホヤされるわけでもなく、成果を示して初めて異世界では認知されていない数学というツールを周囲に認めさせていくプロセスなんかは現代社会にも通じるところがありますしね!てか数学とかってまじで万物の根源だし、妙な超能力よりも遥かに説得力があると思うので!

ですが、話を読み進めていくと美しいというパラメータに加え、王女だとか元王女だとかいった最強としかおもえないパラメータを兼ね備えた女性たちと楽しげにやり取りをしている主人公の姿がこれでもかと描かれていたため、僕は唖然とすることしか出来ませんでした。あいつら絶対セックスしまくってると思う。あと、こういう文章は「めちゃくちゃ早口で言ってそう」とかいう低俗な評価を下されそうだな、そもそも自分で読んでいてなかなか気持ち悪いのではないかと気がついてしまったので二重に唖然としてしまいました。

まあでも、話は結構まとまっていて読み進めやすいし、肝である数学パートも理解しやすいように図や簡単な数式を交えながら説明されているので、難しいところがあって挫折するということはありません。さすがは電撃文庫といったところでしょうか、ライトノベルの枠はそのままに、新たな要素を探りながらも面白さを保っているというのはなかなか凄いことじゃないかなあと。

 

異世界ものってのも中々悪くないのかもしれない。

変わらないもの

これは先週の金曜日に書いた日記なんですが、更新したつもりだったのが、実は「下書きを更新する」ボタンを押していただけだったことに気がついたので、唖然としながら今日公開しました。それにしても、こんな日記を毎週書いていて一体何になるのでしょうか。いずれ分かる日は来るのでしょうか。

 

僕はエリートサラリーマンなので、日記を書くとなれば当然、「炎上しまくっていた案件をいかに処理したか」だとか、「混迷する現代社会において必要とされるスキルについて」だとかばかりになってしまうのは想像に難くありません。そんな日記を書いたところで、ただでさえ誰にも必要とされていないこの日記がより必要にされなくなる未来しか見えないのですが、やはり日記とは日々の出来事や思いを綴るもの、嘘を付くわけにはいきませんので、正直に今週の出来事を書き出していこうと思います。

 

しかしこれは一体どうしたことか、今週の僕は「何かの案件を進めた」とか「新しいスキルを身につけた」といった出来事がなかったどころか、まともに仕事を進めた記憶が一切ありません。記憶がないなんてまるで酒でも飲んでいたのかと、思わず勤務中に酒を飲んでいる自分を告発しそうになったのですが、よくよく考えてみると仕事をしていなかっただけで、勤務時間中はしっかりと自分のデスクに腰掛けていました。

じゃあ一体何をしていたのかといいますと、インターネットジャンキーらしく、ネットサーフィンに興じていたのですからどうしようもありません。それも業務に関係するようなサイトならまだしも、2ちゃんねるはてな匿名ダイアリーといったインターネットの中でも割と底辺層に位置するところばかり見てたとあっては、どうしようも無さに拍車がかかるばかりです。

しかも、職場でこんなものを見ていることがバレれば、周囲からの評価が悪くなってしまうのではないかと懸念を抱くという、小心者っぷりを遺憾なく発揮した僕は、如何にも資料作りをしているのですよといった雰囲気を漂わせ、時折ExcelPowerPointを開きながらうんうん唸るという、傍から見たらバレバレなのでは?と自分でも疑ってしまうほど白々しい態度でモニタに向かっていたのでした。

まあ途中からはそれも面倒になってきたので、工作することなくもう普通に見ていたのですが、こういった大胆なところは自分でも大物の予感を感じさせるなと思います。

 

そんな最近の僕のアフター5の過ごし方はプライム・ビデオで「キョロちゃん」を見ることです。なんかこの前Amazonで買い物した時に、横に出てたプライム会員加入のボタンを流れで押してしまうという間抜けっぷりを発揮してしまい、プライム会員になったのですが、結構な数のアニメを見られることに気がついた僕は、退会手続きを探す手を止め、ウォッチリストにアニメを登録しまくる作業に取り掛かったのでした。

中でも「キョロちゃん」は特別で、リアルタイムに見ていたことはもちろん、その後も高校生になるくらいまでは録画を繰り返し見ていた僕としてはついつい見てしまう存在です。具体的にいうと今週の月から金の5日間で26話消化したところです。なんというか、児童向けとは思えない良さってのがあるんですよね…、キョロちゃんには。とか語ってみたところで気持ち悪さしか伝わらないと思うので、多くを語ることはしませんが、ぜひ見てみるといいですよ。91話まであるのでよっぽどの暇人じゃないと見る気にならないと思いますけど。

まさか、この歳になっても小学生の時と見てるものが変わらないとは思わなかったよ。

インターネットに求めたもの

先日、久々に記憶が吹き飛んでいってしまうほど飲んでしまい、結構な数の人達に迷惑をかけてしまいました。都合がいいのか悪いのか、記憶の方は綺麗サッパリ海馬から出ていってしまったので、結構な数の人、というのも推測でしかないのですが、酔いつぶれた翌日に、そのとき居合わせた人の何人かに聞いてみたところ、それはまあ酷い有様だったとのことでした。

マーライオンのごとく口から吐瀉物という名の噴水を吹き出す、「僕には全て見えてるんですよ!」とのたまいながら女子トイレに突っ込む、痴呆症ヅラを浮かべながら「僕が競馬の何たるかを教えてあげますよ!」と得意げに耳打ちをかましまくる、などと今の僕が聞いたら「なんとしてでもこいつを殺さなくては」と使命感が燃え上がってくるようなエピソードがバンバン出てきて思わず舌を噛み切りそうになったほどです。

ですが、これらのエピソードはまだ可愛いものでした。続いて聞かされたエピソードに、僕は「もしかして結構まずいことをしたのでは?」と、その日から上手く眠れなくなってしまうほどの衝撃を受けてしまったのです。

僕が酔いつぶれたその集まりにはインターネットで記事を書いているような、いわゆるライターと呼ばれる方々がチラホラと参加していたのですが、事もあろうに、僕はその集まりの中で、それも結構な大声で、彼らが書いている媒体を「あんなものはインターネットじゃない」だの「あれのどこが面白いんだ」だの、好き放題に言い回っていたようなのです。更に悪いことには、初対面のライターの方には、「〇〇の文章の方が圧倒的に面白い」とか言って、完全に虎の威を借る狐スタイルで絡んでいってたらしいというのですから手のつけようがありません。

僕は今まで、うつ病だの精神的な病だのというのは、結局の所甘えなのでは?という老害サイドの考えを持っていたのですが、一連の話を聞かされてから、初めて精神的に弱るとはこういうことかと理解することが出来ました。この場合は、まあどう考えても完全に僕が悪いのは明白なのですが、それによって周囲に迷惑をかけたかも、嫌われたかもと考えてしまうと、なんだか他の関係の無いことまで自分が悪いのじゃなかろうかと考えてしまうのです。

今では随分と立ち直る、もとい開き直ることができるようになりましたが、それでも、なんでこんなことを言ってしまったのか、思っていることが口に出たのだとしても他になにか言いようはなかったのか、とついつい考えてしまいます。25歳にもなって酒の量の調整もできないような僕が悪いことは分かっているのですが、考え抜いた末に自分の中である程度納得がいくところまで纏まりがついたので、一通り書き出してみようと思います。今日のは日記というよりはメモですね。

 

 

完全に主観の話になってしまうのですが、最近のインターネットにおける「面白い」という評価は、「興味を唆られる、見ていて楽しい」という面が強くなっているように感じます。いろんな媒体に蔓延る記事の多くが「こんなことしてみました」や「あそこへ行ってきました」という体験記であり、笑いを取るというよりは、単純に良さを広く伝えたいという目的のもと、書かれているような気がします(もしくは、こんな凄いことしたから反応して!的なの)。こういう題材は、あとで触れる広告記事とも親和性が高いので、最近特によく見かけるようになったのかなとも思います。ですが、これはあくまでも「興味を唆られる、見ていて楽しい」であって、「面白い」とは違うんじゃないかなと。

純粋に笑いを取りにいくという意味での「面白い」はどんどん数を減らし、残った少ない「面白い」もメインコンテンツは文章ではなく、画像になっていることが非常に多いように感じられます。文章の流れで笑いを取るのではなく、画像のインパクトで笑いを取りにいっていたり(それは顔芸であったり面白い構図であったりする)、人間関係を利用した笑いの取り方(特定の媒体のライターは今どき顔出しが当然なので、そこの人間関係、あるいは外部の偉い人なんかを利用したようなもの)が大勢を占めています。

このあたりはインターネットを使う人が増えた以上、より大勢に受けるためには仕方のないことだとは思うのですが(長い文章をしっかり読むことで分かる面白さよりも、画像でパッと見て分かる面白さの方が気軽に見てもらいやすい)、テキストサイト文化からインターネットの面白さに目覚めていった僕としては結構悲しいものがあります。

僕は画像を使わずにテキストのみで、ときに綿密に練り上げられた長文で、ときにスピードとテンポを兼ね備えた短文で、文章という限られた表現をギリギリまで広げて狙われた笑いの取り方が好きだったのですが、残念ながらそういう表現をする人はどんどん減ってしまいました。テキストサイト全盛期にそういう表現をしていた人も、多くは書くことを止めてしまったか、画像を使うようになり文章量が減ってしまった方がほとんどだと思います。お前がそう思いこんでるだけでまだまだ普通にいるよ、という指摘もあるかもしれませんが、見かけにくくなったことは事実だと思います。というか、どこかに隠れているなら教えてもらいたいくらいです。すぐに読みに行く。

画像が使われていることが悪いとは思いませんが、なぜだか僕は文章のみで生み出された笑いのほうがより面白く感じられてしまうのです(フォント弄りもあまり好きじゃない)。なんだか今の多くのサイトはフォントを弄ったり、画像を強調することで、「ほら!ココが笑いどころですよ!」と押し付けてきているようで、心から楽しむことができにくくなってしまいました。ただお前が懐古主義なだけだろ、と言われたら全くもってそのとおりなのですが、多分これは思春期という人格形成の重大な部分を担う時期に、一人引きこもって気に入ったテキストサイトの過去ログやら有名テキストサイトをひたすら読み込むという破滅的な行為に身をやつしていたからというのが重大な因子となっているような気がするのですが(一時は好きなサイトの日記の書き出しを読むだけで内容を全部想起できた)、今回は僕は文章だけで構成された笑いに重きをおいてしまうようになったということだけが伝わればそれでいいです。一般論ではなく、僕個人の話ですね。

インターネットの笑いの変遷について、もう一つ重要な柱となるテーマがあります。それは記事広告の存在です。面白い文章や記事を書けるライターは、一定数のファンが付いており、インフルエンサーと呼ばれたりすることがあります。そういった人たちに記事を書いてもらうことで大きな宣伝効果を狙うというものですね。これ自体は悪いものだとは思いませんが(実際、「興味を唆られる、見ていて楽しい」記事とは親和性が高く、僕もこれはいいなと思ったことがある)、笑いという要素と掛け合わせると途端に難しいものになってしまいます。というのも、笑うということは何かしら琴線に触れるところがあるから笑うわけですが、その最中にいきなり広告が現れてしまうと、困惑するばかりで興が削がれるからです。

商品名などを自然に登場させるのは非常に難しく、どうしても不自然で全体のテンポが悪いものになってしまいがちです。始めのうちはそういう記事を読んでも、「宣伝要素がなければもっとテンポが良くて笑えるいい記事なのになあ」と思うくらいだったのですが、あまりに頻繁に広告記事を見かけるようになると(しかもサイトに貼られている広告の割合も増えていたりする)、「この人達は笑わせるためというよりはお金のためにこういうことをしているんだろうか」と穿った見方をするようになってしまい、なんだか心の底から楽しめることが無くなってしまいました。

お金が稼ぐことは悪いことではないですし、面白いものはそれでも面白い。どう楽しむかは僕がとやかく言うことではないのですが、一度そう思ってしまうともうどうしようもないのです。それに加え、ある文章を書いた人にスポンサーが付くとなったとき、書いていた文章に色々と直しが入ったという話を聞いてからは、そういう曲げられた意図のようなものを感じてしまい、なおさら楽しめなくなってしまいました。僕は書きたくて書かれた文章が読みたいのであって、決してスポンサーの意図を汲んだ文章が読みたいわけではないのです。それによって、元の文章の魅力が失われているとなったら尚更です。ちなみにその人の文章は未だに公表されていません。あまり直しはしたくないと言っていたので、未だに折り合いがつかないのかポシャってしまったのか判断は出来ませんが、スポンサー云々の話がなければ普通にブログかどこかに乗せるつもりだったと聞くと、一読者としてはただただ残念というほかありません。

 こうしたスポンサーに配慮した文章が増えてきた背景としては、ライターとして食っていくことが昔に比べて容易になったからという理由があるのではないかと思うのですが、このあたりはどうなんでしょうね。ただの僕の決めつけだといいのですが、もしそうである場合、文章で食べていくために記事広告を書かねばならないのだとすれば、スポンサーが付きやすい文章を普段から書く必要があるでしょう。即ち、広く大衆に受けるような文章となります。となると、普段の好きに書いている文章でも下手なことは書きにくくなります。であれば、本当に書きたかったものは曇り、八方美人な文章になりがちになってしまうのではないでしょうか。

先ほどスポンサーが付いたことで文章に直しが入ったが入った人の話をしましたが、例えばこの人は、かなり下品で過激な文章を書かれているような方でした。文章がどこかに載ると聞いたときは、「あの文章が果たして今のインターネットに受け入れられるのだろうか…」と不安に思ったのですが、それが見事に的中した形となってしまいました。僕はそういう下品で過激な、どこにも誰にも配慮していない尖った文章が大好きだったので、今の優しい文章に溢れたインターネットは物足りなく感じてしまいます。

どういう文章が好きか、なんて話題は完全に好き嫌いの話にしかならないのは分かりきっているのですが、僕の場合はインターネットでこそ触れられる、TVでも小説でも扱われないような、個人が思っていることを思っているままに吐き出したような、遠慮のない刺激的な文章が好きでした。そこに多少の配慮はあったにせよ、あくまで自分が面白いと思うことを突き詰め、書きたいことを書く文章に憧れを抱いたのです。最近よく見る記事(正直、この「記事」という表現もあまり好きではない、なんかどこかの媒体に載ることを前提に書かれている気がして)は、良くも悪くもTV的というか、嫌われずに広く浅く受けることを目標に書かれている気がしてなりません。

そこまでウダウダいうなら自分で書けよ…。と思われるかもしれませんが、そんなことが出来ればとっくに書いてますし、そもそも一読者として文章を楽しみたい思いからこんなことを考えているわけです。それに、仮に僕が面白い、納得の行く文章を書けているとしても、それは元々自分の中にあったものであって、目新しさを感じることはないと思います。我ながらワガママなものですが、僕が人が書いた面白い文章が読みたいのです。

文章を書く人と読む人の関係性について述べさせてもらうならば、まあこれも完全の僕の考えでしかないのですが、従来、サイト管理人と閲覧者の関係は泥棒に近いものだと考えていました。セコセコと文章を認めた管理人に対し、閲覧者はどこからともなく現れ、好き勝手に文章を盗み見た上に、あれこれ評価を下すわけです。そこに金銭の介在はなく(投げ銭的なものはあったにせよ)、管理人は純粋に多くの人に見てもらうことで楽しんでもらいたい、評価してもらいたい、あるいは本にして出版したいなど、様々な思惑を掲げ、閲覧者は単純にインターネットを楽しみたいと思い読むという関係性が構築されていたように思います。

それが今や、スポンサーの介在によって、スポンサー→管理人→閲覧者という構図になってしまっているような気がします。これは先程も述べたように記事広告に限った話ではなく、それによって影響を受けざるを得ない、普段しがらみのないはずの文章もそうなってしまっているのだと思います。なんというか、皆が自分の好きなものだけ書いていれば、もっと多様性が育まれると思うのですが、なんだか似たようなフォーマットの元(こんにちは、〇〇です。といいながらライターの顔写真を出す→なんかやったり行った場所を紹介する→いかがだったでしょうか…、などなど)、題材だけを少しずつ変化させた記事が量産されている気がしてなりません。これではいくらテーマがよくても、どこかありきたり感を感じてしまっってなんだかもったいない気がします。

ここまで書いてきて気付いたのですが、僕は今のインターネットに不満を持っているというよりは、皆もっと面白いはずなのに勿体無いなあと、嘆いているだけなのかもしれません。僕が散々に好き放題言いまわったという媒体も、僕は好きだった時期が確かにあったのです。それがいつの間にか、拝金主義に走ったように見えるようになってきてしまい、心から楽しむことが出来なくなった末に、腐すような言い方をしてしまったのでしょうか。どちらにせよ、僕の捉え方が捻くれてしまっているのは間違いないと思います。

ファンがアンチになるまでの流れを綺麗になぞっている気がしてなりませんが、書き手の意思が曲げられている(気配がする)というのが気に入らないのでしょうね。それは気のせいなのかもしれませんが、一度そう思ってしまった以上、どうしようもないのもまた事実です。

絵描きにはentyやFANBOXなどの閲覧者が直接パトロンになれる仕組みがあるのに対し、ライターにはそのような仕組みが非常に乏しいのが現状です。このへんが強化されれば、好きなことを書いている人たちが、そのままに収入を得ることも出来たのかなと思いますが、実際問題スポンサーが付くことに比べると、やはり金額の差がでてしまうでしょうから、結局は今の形に落ち着いていたのかもしれません。

思っていた以上に長々と綴ってしまいましたが、ここで述べたことは完全に僕の主観でしか無いので、実情は全く違うものなのかもしれません。そもそも、別に僕はライター事情に明るいわけではないので、思い込みで書いているところも随分ありますしね。ただ自分が何を楽しめて(楽しんできて)、何を楽しめないのか(楽しめなくなってしまったのか)、考えを巡らせているうちにそれっぽい結論が出たから一度書き出してみた次第です。

なにも酔って喚きまくっていたことを正当化しようと思っているわけではなく、なぜあんなことを口走ってしまったのか原因を求めているうちにつらつらと書いてしまいました。まあ完全に後付けの理由だろって感じもしなくないのですが、酔いつぶれていたときの自分が、意識してたにせよ無意識だったにせよ(まあ無意識だったのでしょうが)、思っていたことからそう離れてはいない結論が導き出せたような気がします。

思っていたからと言ってそれを口に出していいかというと、決してそんなことは無く、秘めたる思いは秘めたままでいたほうが幸せであることが多いのですが、酔ってポンコツになった僕はゲロと一緒に思いも全てまとまらないうちに吐き出してしまったようですね。迷惑かけた、不快にさせてしまった方々にはまた改めて謝罪するとして、僕の考えはここらでまとめさせてもらいます。

 

ほんと、ただのメモ書きだな。でも、これがどれくらい間違えていて、どれくらい合ってるのかは知りたいなと思う。このメモには関係ないですが、どうやら今日は「テキストサイト100人オフ」が開催されていたようですね。参加者リストを拝見したところ、知らない名前がいっぱいあったので、しばらくはこれらのサイトを巡ってみることにしようかな。