インターネットのけもの

全て妄想です。

飼っていた鳥が死んだ

昨日、長年飼っていた鳥が死んでしまった。

いつから飼い始めたのか、細かい時期はもう覚えていないけど、たしか小学6年生のときには元気に家の中を飛び回っていた記憶があるので、15年近くは生きていたのだと思う。病気をすることもなく、なんとなくこのままずっと家にいるような気がしていたのだが、当然そういうことはなく、呆気なく逝ってしまった。

まだヒナだった時に、妹が欲しがって近所の家から貰ってきたものだったが、大体の家庭の例に漏れず、世話の殆どは母がしていた。飼っていた、とは言うものの、僕はほとんど世話というものをせず、時々籠から出して遊んだり、話しかけたりしていただけなので、感覚としては「家に居た鳥」というのが強いかもしれない。その鳥は、母の好きなゲームのキャラクターから名前をとって、「まある」と名付けられていた。

 

「鳥」と書いているが、これは僕が「まある」の品種をよく知らないからである。もちろん、まあるがインコだということくらいは理解していたが、それが具体的になにインコなのかは全く認識しておらず、ぼんやりと「鳥」として認識していた。今調べてみるとどうやら「ボタンインコ」という品種らしい。なんだか聞いたことがある言葉なので、どこかで一度くらいは聞いていたのかもしれない。「ルリコシボタンインコ」で調べるとそっくりな鳥が出てきたので多分これだろう。

性別だって当然知らない。僕以外の家族も多分知らないのだと思う。中学生くらいの時に、母に「まあるはオスなのか?メスなのか?」と尋ねたことがあったが、その返答は「多分オスだと思うが分からない」というものだった。どうやらボタンインコは性別の判断がつきにくい品種らしい。ただ少なくとも僕は性別がどっちだろうと気にしていなかったし、僕以外の家族も分からないならそれでいいや、くらいのスタンスだったのだと思う。

僕と家族にとって大事だったことは、ボタンインコがどういう品種でオスとメスでどんな違いがあるのか、ではなく、家のまあるは何をされると喜んで何をされると怒るのか、だった。目の前で新聞をひらひらさせると狂ったように噛み付いてくるとか、暗がりに行くことを怖がるので遊ぶときは電気をつけてあげないと駄目だとか、元気に飛び回っていたのに急にじっとしてお尻をもぞもぞしだすとウンチのサインだとか、そういうことが分かっていれば十分だった。

新聞以外にも輪ゴムが好きで、輪ゴムを結んで差し出すと、クチバシを器用に使って解きほぐしていたものだった。解きほぐしている最中はよっぽど夢中になっているらしく、横から輪ゴムを取ろうとすると指に穴が空くんじゃないかってくらい噛みつかれたこともあった。一度怒るとしばらく怒りが持続するらしく、その後は触ろうとしただけで噛み付いてくるので、籠に戻ってもらうのにも一苦労した。

人の頭に乗ることが好きで、特に父の頭がお気に入りのようだった。ジャンプを読んでいる父の頭にまあるが止まる。父も慣れたもので、ページを捲る手は止めない。そこに僕がすっと指を差し出す。まあるは基本的には素直な性格だったのでサッと指に飛び乗ってくる。そういうシーンが何度もあった。分別がつく鳥だったらしく、あちこちにウンチを飛び散らせていたわりに人の頭の上でウンチをすることはなかった。そのへんはまあまあ賢かったように思う。

僕の頭にもよく止まっていた。肩や腕に乗っているときはやけに動き回るのに、頭に乗っているときはじっとしていることが多かった気がする。まあるを乗せて本を読んでいるときの何とも言えない感じが僕は結構好きだった。

 

正直に言うと15年間、まあるのことがずっと好きだったわけではない。中学生のときには疎ましく思っていた時期がたしかにあった。

まあるが住処としていた籠は僕が寝起きしていた部屋に置かれていたのだが、これがやけにうるさい時期があった。籠がうるさいというと、ぴいぴいと鳴くのがうるさいのかと思われるかもしれないがそうではない。まある自身の鳴き声がうるさい時もあったがそれは仕方ないと思うし、実際特になんとも思わなかった。我慢できなかったのは籠自体を震えさせてビョーンと鳴らす行為だった。

まあるを飼っていた籠は、よくある70cm角くらいのほぼ立方体のケージで、一日の大半をまあるはそこで過ごしていた。あるとき、まあるはケージの一部にクチバシを引っ掛けると(人間が弦を引くように)ビョーンを震えることに気がついたらしく、その行為に夢中になった。

一度や二度なら気にならなかっただろうが、これを昼夜時間を問わずに繰り返し行うので、こちらとしてはたまったものではなかった。特にテスト前なんかが最悪で、夜に勉強している最中に鳴らされ集中を乱される、ようやく静かになったかと思い夜更かしして勉強、翌朝までぐっすり眠ろうとすると、早朝から鳴らされて叩き起こされる。夜更かしした人間が叩き起こされるというのだから、そのやかましさは分かってもらえると思う。

どちらかが部屋を変われたら良かったのだが、当時空いていた部屋にはエアコンがなく、僕が移動するにしても、まあるが移動するにしても不都合があった。受験勉強中なんかに鳴らされたときには、「まある!」と叱りつけていたのだが、びっくりして少し止めることはあっても、またすぐに再開していたのであまり意味はなかった。

今にして思うと叱るほどのことではないと思うし、あの行為は構ってほしくてしていたような気がするので、もっと遊んでやればよかったと思う。行き場のない籠の中で飼われて、部屋に誰も居ないときはひとりぼっちだったのだから、そりゃ部屋に人が来たら遊んでもらいたいと思うのが道理だろう。僕が勉強したいとか、寝たいとか思ってたのは一方的な都合でしかなかった。

 

高校に入ってから今に至るまでは、僕は近所に越してきた祖母の家で過ごすことが多くなり、まあると遊ぶ機会どころか、まあると会う機会まで激減してしまった。仕事を始めてからはそれが顕著で、平日は一切会うことがなく、休日は学生時代と打って変わって、やけに外出するようになってしまったので、一月以上まあるを見ないこともざらになった。

それでも、僕はまあるがどういう鳥なのかはしっかり覚えていたし、たまに遊ぶときは楽しかった。まあるの方も昔と変わらないまま、頭に乗ってくれたし、怒ったときには指に噛み付いてきていた。籠に入っているときでも、ケージの隙間から指を入れてまあると遊んだりもした。ただ、僕の生活の中でまあるが占める割合は確実に減っていた。

 

だからなのかもしれない。一昨日、まあるの調子が悪いと聞かされたとき、「あー、とうとうまあるも死ぬのか」としか思えなかった。死んだ今になっても「死んじゃったなあ」としか思えていない。15年近くも一緒に居たのだから、なんだかもっと、自然に涙が出てきたり、他のことに手がつかなくなったりするかとも思ったが、今も普通に日記を書いている。

一昨日、調子が悪いと聞かされたまあるを見に行くと、籠の中でじっとして動こうとしなかった。昔は人の気配を察知したら喜んでケージの端まで飛びかかってきていたものだが、もうそんな元気も残っていないようだった。呼びかけても返事はなく、既に死んでしまっているのかとも思ったが、呼吸に合わせて身体が動いており、どうやらそうではないらしいと気がつけた。ただ、その呼吸は明らかにいつもよりも弱くて浅く、回数が多いものとなっており、先は長くないのだろうなと予感できた。そこまで苦しそうではなかったので、このまま眠るように逝ってくれたらいいと思った。

 

昨日は以前から友人とUSJに行く約束をしていた。朝起きるとまあるがとても苦しそうにしていた。前日のまま逝くことは出来なかったらしい。普段はしまっている羽を伸ばしきっており、静かにしていた昨夜とは違ってピイピイと苦しそうな鳴き声を上げていた。素人目に見ても今日中に死んでしまうだろうことは明らかだった。

母がまあるを抱えようとしたが、僕は「もうええ」とだけ言った。

どうやら母は、父と一緒にこれから動物病院にまあるを連れて行くらしい。母も分かっているらしく、「一応な」と言っていた。「ついてくるか」とは聞かれなかった。僕はUSJに行った。

ハリーポッターのエリアでアトラクションに並んでいると、母から「まあるが死んじゃった」と連絡があった。添付されていた写真にはまあるが見たこともない姿勢で横たわっていて「ああ、死んじゃったんだな」と思った。朝とは違って羽がキレイにたたまれていた。動物病院には間に合ったのかだとか、最後はどんなだったか、とかは聞かなかったし聞けなかった。ちょうど近くでスズメが鳴いていて、まあるのことも色々考えたけど涙は出なかった。

結局、USJには閉園時間近くまでいた。家に帰ってからまあるの亡骸を抱えて気がついたのだが、僕は生前のまあるを抱えたことがなかった。一緒に遊んだりはしていても、それなりに警戒心は残っていたのか、絶対に包み込むように抱えさせてくれることはなかった。いつかは、と思っていた時期もあったが結局実現できていなかった。

 

そして今日。

まあるを家の前に埋めた。最近では珍しく兄妹全員が揃っていたので、みんなで花とよく遊んでいたおもちゃと好きだった麻の実を一緒に埋めた。猫が掘り返したりしないように缶を棺に見立てるなど工夫もした。うまく土に還れないかもしれないけど、厳密に封をしたわけじゃないから大丈夫だとは思う。あと、もし猫が掘り返したらと考えると、ものすごくムカムカしてきたので、やっぱりまあるのことが好きだったなと実感した。歪んだ実感の仕方だけど。

 

まあるが死ぬとわかっている時に遊びに行く僕には悼む資格もないかと思ってモヤモヤしていたけど、こうやって認めてみるとスッキリしたので日記にしてみてよかった。今日くらいは生活の中でまあるが占める割合を昔みたいにしたかった。文章にして残しておけば今日のことも詳細に思い出せるだろうし。

まあるのことを忘れる心配はしていない。なぜか母のLINEアカウント名が「まある」だからだ。これは果たして好きなゲームのキャラクターか、家に居た鳥か、どちらから取ったものなのかは分からないけど、この名前を見るたびに思い出すことは間違いないだろう。こういう繋ぎ方があってもいいと思う。

眠気の犬

何度も日記に書いているのですが、僕は仕事中であってもこの旺盛な睡眠欲を発揮してしまうタイプの人間ですので、職場でよく寝ているダメなやつ認定されていることは容易に想像がつくのでした。容易に想像がつく、という表現にしましたが、ここしばらくの仕事内容を鑑みるに、あまりに楽な仕事(それはゆるゆるの納期であったり、ミスしても一切怒られないどころか勝手に修正してくれてたり)ばかり振ってもらっていたので、無能認定されていることはほぼ間違いありません。

まあ職場でどう思われようがぶっちゃけどうでもいいこと山の如しなのですが、このままでは一生給料が上がらないどころか最悪の場合クビになる未来も脳裏をよぎってしまったため、少しは起きて仕事をしてやるかなと、年明けくらいからは真面目に仕事をする姿勢を見せていました。

ただなんといいますか、よし!ちゃんと仕事するか!と頭では思っていても、悲しいことに身体の方がついていけず、デスクに向かって30分以内には船を漕ぎ始めていたのですから、どうしようもありません。

このままではまずいと利発な僕はもちろん気がついていましたので、最近は具体的な対応策を実施していたのでした。

 

まずはじめに手を付けたのが前日にたっぷりと睡眠を取っていくというものでした。単純にして明快、いつだってベストな答えは一番シンプルな方法の中にあるものです。普段は6時間前後であった睡眠時間を7~8時間ほどに伸ばしてみたのですが、これはあまり変わらず。もっと寝ないと変わらないのか?と思い、思い切って10時間ほど寝てみたところ、起床後の脳の覚醒具合が格段に良くなったような気はしたのですが、実際に仕事を始めるとあっさり眠くなってしまったので唖然とする他ありませんでした。どうやら、睡眠時間云々以前に仕事が壊滅的につまらなさ過ぎて眠くなってしまっているようです。あと、寝る癖がついてるような気がする。

というわけで、まずは職場は寝る場所ではないということを脳と身体に刻み込まねばなりません。思い切って仕事を変えてみるという案も浮かぶことには浮かんだのですが、遊びは大胆、でも生活は堅実に、が信条の僕はその道を取ることは出来ませんでした。というか、いくら仕事がつまらないとは言え、こんな楽な職場を手放すのは惜しい。流石に寝るのはまずいからどうにかしないといけないってだけで、普段は業務時間中にネットサーフィンとかしてますからね。とはいえ染み付いた癖はなかなか消せるものではありません。そこで僕は解決策を科学の道に求めることにしました。

 

パブロフの犬」という話をご存知の方は多いかと思います。犬にベルの音を聞かせてから餌を与えていたところ、いつしか犬はベルの音を聞くだけで唾液をだすようになったというあれです。このように経験などによって後天的に獲得された反応を、条件反射と呼びます。僕は自身にこれを適用することで、職場で眠気に襲われた際の対処法に出来ないかと考えました。具体的な方法は以下のようなものでした。

1. 職場で眠気に襲われる

2. 額を押さえる

3. 伸びや顔を洗いに行くなど、眠気を払う行為をする

4. これを繰り返す

5. いつしか額を押さえるだけで眠気が払えるようになる

6. 職場で眠たくなる頻度が下がり、いつしか眠気とは無縁のワークスタイルが獲得できる

こ、これだ…!ハッキリ言ってこの方法を考えついたとき、己のあまりにも悪魔じみた知能の高さに恐れおののきましたからね。額を押さえるという行為が少々馬鹿っぽく見えなくもないですが、あまりに小さすぎる動作では反射として刷り込まれるか不安ですし、これ以上大げさな動作にするとただの職場で狂ったやつにしか思われないでしょうからこれぐらいが丁度いいでしょう。1月中旬ごろから早速実践してみることにしました。

実際やってみると、額を押さえるという行為は考え事をしているように見えるということもあり、眠気がきているときに軽く目を閉じても不自然さが無く、わりといいポーズになります。落ち着いてから伸びをしたり軽く身体を動かして意識を覚醒させ、また仕事に集中するというルーティンもうまく回せているような気がします。これは結構いけるのでは…?

 

そして約2ヶ月がたった今。そこには額に手を当て、悩んでいるポーズをしながら思いっきり眠りこけている僕の姿がありました。我ながら呆れ果ててものも言えないのですが、なんというか普通に眠気には勝てませんでした、うん…。マジ条件反射とかって嘘じゃねーの…。

 

でも、その眠りこけている姿はどこか神秘的で、穏やかな寝顔は見るものを安心させ、寝息を聞いた周囲の者は口々にこう言ったといいます。

「ああ、今日も我が社は平和だ」と。

 

そういう解釈があってもいいと思う。

(前までは寝てたら注意ぐらいはされていたのですが、最近とうとうそれすら無くなったので、「怒られているうちが華」というのはあながち間違いじゃないのでは?という思いに駆られています。どうしよ)

コミティア127

今更ながらではありますが、2019/02/17に東京ビックサイトにて開催されたコミティア127で買ってきたもののレビューと言うか備忘録。一回こういうのやってみたかった。ちなみに全て全年齢向けです。同人誌だからといってR-18とかそういうのを期待してた人は速攻でブラウザを閉じて今までの人生を悔い改めてください。コピー本から無配ペーパー、果てはグッズまで手に入れてきたものは全て載せています。

「本のタイトル」(サークル名)で記載。

 

 

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 「消せるペン」(Happa)

 

今回一番ぐっと来た一冊。文字として書いたものを消せるペンを手に入れた女の子二人のラブコメチックな話なんですが描き方が非常にうまいなと。このサークルは毎回仕掛けの作り方がうまいと思っていたのですが、今回は特にうまいこと作られているなと感じました。この演出は商業誌じゃ厳しいだろうなってのもあったりして同人誌ならではの強みも遺憾なく発揮しています。マンガ的なメタネタも気にならない程度に散りばめられており、最後のあとがきには思わずニヤリとさせられました。演出面だけでなくキャラクターも素直に可愛いらしく、恋の相手である、はちくんまでアホっぽくてつい笑ってしまいました。

作家が商業で出している「つるぎのない」も一巻完結で読みやすいので、そちらを先に読んでみて、合いそうなら同人誌の方もきっと楽しめると思う。

 

 

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「ファイアーメイジvsクリスタルウィザード」(模造クリスタル)

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 クリアファイル(模造クリスタル)

 

「ゲーム部」シリーズが完結し、次に始まった「スペクトラルウィザード」シリーズの最新作。作家である「模造クリスタル」は「金魚王国の崩壊」で有名なので知っている人もいるかも知れない。「スペクトラルウィザード」は同人誌版に描き下ろしを加えて単行本化されているので、ぜひ読んでみて欲しい。魔術師ギルドが崩壊し、騎士団に追われる存在となった生き残った魔術師たちの話なのですが、キャラクターがどいつもこいつも個性的な上に、吐き出されるセリフのひとつひとつが魅力的で、きっとこの世界観に魅了されることでしょう。最新作はタイトルこそ「ファイアーメイジvsクリスタルウィザード」となっていますが、実際に戦っているのはファイアーメイジとカオスウィザードばかり。肝心のクリスタルウィザードは何か企んでいる様子で、これから大きな動きを起こすための繋ぎのエピソードといった印象でした。相変わらずスペクトラは可愛い。

12時過ぎに行ったのでもうクリアファイルはないかと思っていましたが、普通に入手できたので良かった。後日、秋葉原COMIC ZINでも委託販売されていたので、多く用意していたのかもしれない。「模造クリスタル」は他にも、「ビーンク&ロサ」、「黒き淀みのヘドロさん」とかも単行本で出ているので興味があればぜひ。

 

 

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無料配布本(すこやかペンギン)

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「鬼桐さんの洗濯(サイン本)」(すこやかペンギン)

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 アクリルキーホルダー(すこやかペンギン)

 

この作家を知ったのはもう10年以上前。当時週刊少年ジャンプの公式サイト内にジャンプデジタルマンガなるコンテンツがあり、小学生だった僕はそのうちのひとつ「マルラボライフ」という作品にドハマリしました。残念ながら「マルラボライフ」はサイトのリニューアルに伴い終了してしまったのですが、終了後も僕が好きな作品の一つとしてずっと心には残っていました。

そして時が経ち大学生になった頃、はじめてコミティアに一般参加してみようと、カタログをパラパラとめくっていた僕の目に飛び込んできたのが「すこやかペンギン」のサークルカットでした。変わらない絵柄から、「これは絶対にマルラボの作者だ!」と見抜いた僕は即座に検索、やはり「マルラボライフ」の作者でした。それ以降、コミティアでは毎回絶対に巡るサークルの一つとなっています。参加頻度が高いのに、ほぼ毎回新刊を用意してくるものすごいサークルです。しかも、その新刊というのが非常に高いレベルでまとまっています。

今回は新刊こそありませんでしたが、それでも無料配布本を用意してくれているなど、頭が下がる思いです。また、作家が去年出した「鬼桐さんの洗濯」単行本にサインをつけて販売していたため、既に持っていた単行本ではありましたが、迷わず購入。ついでに、このサークルでははじめて見た気がするグッズ、アクリルキーホルダーも購入しました。このサークルは多分死ぬまで書い続けると思う。

 

 

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「飛びこめ!!新しい沼!01」(むてけいロマンス)

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 布ポスター(むてけいロマンス)

 

lain」とか「灰羽連盟」のキャラクターデザインなんかを手がけた「安倍吉俊」のサークル。「飛びこめ!!沼」シリーズは主にSIGMA製のカメラを扱った同人誌であり、この「飛びこめ!!新しい沼!」も新シリーズとして引き続きカメラの同人誌となっています。ぶっちゃけ僕はカメラには全く興味が無いのですが、作者が好きというだけで買いはじめたところ、カメラの世界が思ってた以上に深いことを知れたので、なんでも触れてみるもんだなと思いました。あとは飾るところもないのに布ポスターを購入。過去にも布じゃない普通のポスターを買った記憶があるので、いずれまとめて飾りたいと思います。

 

 

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 「labradorite」(空遊魚)

 

少し前に完結した「ヨツコト」作画担当のサークル。YOTSUKOTO ART BOOKと銘打たれているように、「ヨツコト」キャラクターのデザイン集といった感じ。キャラクター制作の小話なんかもあったので、原作読んでると楽しめるかと。

 

 

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 「好きな人の事は無限に考えられると思うんですよ」(下り坂道)

 

上で紹介した「ヨツコト」原作担当のサークル。こっちは「ヨツコト」関係なく高校生男女の恋愛模様を描いた甘い一冊。男の子も女の子も互いに相手のことが好きなのに、お互い自分の片思いだと思っていてドギマギするって感じのお話です。裏で友人が糸引いてたりと青春っぽさ満点。作家の双見酔は短編でこういった正統派な青春ものというか恋愛ものをよく描いているんですが、それがどれも僕の心に妙に刺さるんですよね。多分こういった話から縁遠い青春を送っていたから嫉妬と羨望からそうなってしまうのだと思いますが、それはそれとして双見酔が描くゆったりとした世界観が好きだというのもある気がします。

ニートを描いた「空の下屋根の中」、全く自覚のない勇者と人間と共存の道を探ろうとする魔王を描いた「セカイ魔王」、今回みたいな同人誌のお話をまとめた短編集「好きもよい」「恋ときどき」、あとはアニメ化もされた「魔法少女なんてもういいですから。」と、どれもゆったりとした世界を感じさせてくれます。特に「好きもよい」「恋ときどき」に収録されている作品はどれもドキドキさせてくれるよ。こんな青春無かったから…。個人的には「セカイ魔王」が一番のおすすめです。

 

 

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 「顔」(キセガワ上流)

 

ラップを扱った漫画「キャッチャー・イン・ザ・ライム」の作家のサークル。なんかさっきから商業作家のサークルばかり紹介しているような気がしますが、元からチェックしていたサークルが商業でも描きはじめたパターンと、商業で知って同人誌もチェックしはじめたサークルの両方があるので、決して商業作家しかチェックしてないわけではないとは言っておきたいです。ちなみにここは後者です。あと全体をざっと見たら今回は商業作家のサークルが大半だったのであまり説得力が無かったですね。

それはさておき、好きな男の子を他の女に取られたと思った女の子が、VR空間上でその女を作り出し、痛めつけることでスッキリしようとするストーリーです。暗さを孕みつつも、読後感はさっぱりしたもので、漫画として仕上がった状態でも読んでみたいと思いました。復讐対象の女が実にうまく描かれていて、主人公の心情を追うように、可愛くも憎たらしく感じられたのが、最後には可愛くて憎めない、に変わっているのが良かったです。

 

 

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 「偶像は愛する人のために」(おでんランチ。)

 

アイドルの恋愛が解禁された世界で、最近のアイドル観を受け入れることが出来ず、引退した昔のアイドルのファンになった青年の話。ティアマガで紹介されていて気になったので思わず購入しました。なんか見たことある絵だなーと思ってたら、過去にも買ったことあるサークルでした。

なんというか、好きなものを追い続けるってやっぱいいよなと感じさせてくれる一冊でした。この世界におけるアイドルとファンの一般的な関係は、好きな彼氏のために歌うアイドルとその恋愛している様が可愛いのだと応援するファンであり、主人公やヒロインみたいに、今の僕たちのようなアイドルの捉え方をする人(恋愛禁止だの清楚だの)は少数派なのですが、そのどちらもが好きなアイドルについて語るときはキラキラしています。特に主人公は普段は仏頂面なのに、アイドルについて語るときはいい笑顔で、まあオタクっぽいだけだと言われたらその通りなのですが、それでもやはり、好きなものがあって、それを追いかけるってことは綺麗だなと感じさせてもらえました。

 

 

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 「遅刻者ふたり」(テクノストレス)

 

もう地球が駄目になってしまうという世界で、遅刻常連者のふたりが、地球脱出の最終便にも遅刻するところから始まる物語。少し前に流行ったポストアポカリプスとは少し違うとは思いますが、衰退した世界が大好物の僕にとってはこういう設定(取り残された世界で男女二人とかそういうの)を見ただけで思わず飛びついてしまいました。まあ前からちょくちょく買ってたサークルでもあるんですが。

人が消えた街が強調されたりとかはなく、「遅刻者ふたり」にフォーカスしてストーリーが進んでいくのですが、このふたりの生活が淡々としていて実に好み。多分こんな世界じゃなくてもこのふたりは同じような生活をしてる気がする。どうにも衰退と日常って取り合わせが好きなんですよね。「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」とか。取り残されたふたりが冷静な理由はちゃんとあって、ただのメンタル激強になってないのも良かったです。

 

 

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 「あのねせんぱいおねがいです。」(おおきめログハウス)

 

新刊が出ると買っているサークルなのであらすじも知らないままに読み始めたのですが、いきなり自分の身体に乳首ピアスを空けて欲しいと先輩に頼む後輩が出てきて笑った。こうやってグダグダやらずにいきなりぶち込んでくるのは嫌いじゃない。驚きながらも冷静に諭す先輩と、どうしてもピアスを空けて欲しい後輩の掛け合いが楽しかった。

 

 

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 「三夜怪談」(クリステルボーイ滝川)

 

キルミーベイベー」のカヅホが参加しているということで手にとったのですが、思ってたより真っ当にホラー漫画になっていて良い意味で裏切られました。ギャグ漫画家のイメージが強いカヅホでしたがこういうのも描くんだなと。でもよく考えてみると、コミティアで出している本はそこまでギャグが多いわけではなかったので、単に引き出しが多いのかもしれない。過去に出してた「宇宙人対ストリッパー」なんて、タイトルからして絶対ギャグだと思ってたら、普通にいい話でめちゃくちゃ驚かされたし。

個人的に合同誌って形態は大好きで、なぜなら知らなかった作家を知る良いきっかけになるからです。カヅホ目当てで買ったわけですが、他の二人の作品も面白かったのでまたチェックしようと思います。こうして好きなものが増えていくってなんだかいいと思うんですよね。

 

 

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 「出張タオまるマンガ3」(アッパーカット)

 

良質なギャグ漫画。ナンバリングが3になっているけど、勿論1も2も持っています。よくある女子高生ものの日常ギャグだろと言われたら、まあそうなんですが、ギャグのキレもテンポも良いのでサクサクとしっかり笑いながら読める。ギャグ漫画のギャグを書いたり解説したりすることほど面白くないことはないと思うので、書くことがあまりないのですが、読めば分かる面白さだと思います。

 

 

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 「事故さん」(つゆくさ)

 

いつぞやの再録とか言ってた気がする。コミティアに参加しているような人は独特の雰囲気を作るのが上手い人が多いような気がしているのですが、この「つゆくさ」もそうですね。作家の三島芳治が今連載している「児玉まりあ文学集成」を読むと、その作り出された雰囲気をうまく感じ取ることが出来るような気がする。悪い意味じゃなくてふわふわする。そして少しの寂しさと言うか恐怖のような。三島芳治がtwitterでちょくちょく上げる画像もそういう雰囲気をうまく作り出せていると思う。なんだか感想まで浮ついてしまった。

 

 

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サイン色紙(ハトポポコ)

 

ここはサークル参加しているとは言え、新刊も既刊も置いておらず、ただ作家がスケブや色紙を可能な限り受け付けるという、どちらかと言えば展示に近いスペースになっていました。ハトポポコは以前にもこの形態で参加していて、たしかその時は朝イチでスペースに向かったところ、「今からコピー本でも作ろうと思うんで後で来てください」という滅多に聞くことがないセリフを頂戴し、1時間後くらいに再び訪れたところ、「スケブ頼まれちゃってコピー本作れそうにないです、よかったら何か描きましょうか?」と言って頂いたので、色紙にイラストを描いてもらった記憶があります。なんだかこういうのもコミティアの懐の広さを感じられて良いなと思いました。今回も色紙を受け付けてもらえたので、ハトポポコの作品から「平成生まれ」の四村さんをリクエスト。平成最後のコミティアで「平成生まれ」のキャラクターを描いてもらえるというのは中々洒落がきいてるなと思ったので、本人に感謝の気持ちと共に伝えたところ、本人は気がついてなかったらしく心なしか喜んでもらえたような気がしました。

特にリクエストしたわけではなかったのですが、「楽しい」と吹き出しを付けてもらえていたのが結構嬉しかった。これこそまさに僕が毎回のコミティアに感じていたことであり、また次回も来ようと思う源だったから。

 

 

次回、コミティア128は2019/05/12。例年開かれている05/05の一週間後、会場もビックサイトから少し離れた青海展示場での開催、更には元号も変わっていると、普段とはまた違った環境でのコミティアにはなりますが、そこに流れる雰囲気は変わらないものだと思います。これからも参加し続けたいし、いずれはサークル参加だってしてみたいと思う。いつまでも創作文化の最前線を突っ走っていって欲しい。

日記のひみつ

僕がよく読んでいたテキストサイトには「日常生活が充実しているやつほど日記を書かない」という格言がありました。よくよく考えるとこれは全く道理が通らない話で、日常生活が充実していたほうが話題に事欠かず、日記に認めようと思えるような出来事も多いはずです。

ですが実際に、日常の出来事を楽しげに語る、今ならリア充とか呼ばれそうな日記を書きはじめたサイトはいつの間にか更新もまばらになり、ついには更新がストップ。一方で、世の中を恨んでいるとしか思えない、果たしてこれを日記と呼んでいいものかと迷ってしまうような、日々の妄想をこれでもかと綴った日記を書いているサイトは更新のペースが全く落ちない、というかこの人は一体どのような暮らしを送っているのだろうかと心配になるレベルの文章量で更新を続ける始末。

長年このあたりが謎だったのですが、自分でも日記を書くようになり、このあたりのからくりがようやく分かってきました。まあ僕の場合は前回の日記にも書いたように、日常生活(主に仕事)をサボりまくる悪癖が一向に抜けず、ただ単に日記を書く気が起きなかっただけなのですが、それでもコミティアに行ったりだとか、友人のライブに行ったりだとか、日記に書けそうな出来事はありました。そしてこれらを日記としてまとめようと考えたとき、長年の謎が解けたのです。

 

謎が解けた!なんて粋がっていますが、結局のところ、そんなこと書いたってつまらねーんだよボケ!という一言に全ては集約されてしまいます。別に僕がコミティアで朝から並ぼうと思ってたのに普通に寝坊しただとか、友人のライブとはいえ、久々に顔を見たから終了後に声掛けに行ったのに、時間がないからと普通に追い払われたりだとか、そんな話は誰も興味がないし、自分で書いていても何も楽しくないんですよね。

となってくると書いていて楽しい内容を書こうと思うのは必然ですが、日々の出来事で書き記しておきたいことなんて滅多に発生するものではありません。まあ中にはもはや災難では?というレベルでイベントに事欠かない人もいるのでしょうが、それは天上人の世界の話であって、つまらぬ人の身である僕らには縁遠い話です。となると、書いていて楽しい内容を自分で作ってしまえばいい、となってしまい、現実と妄想の境界が混ざりあったような文章が誕生するわけです。特に日常生活でなにも書くことがないような人は有り余る時間を妄想を爆発させるためにふんだんに使えるわけで、そうなってくるともう更新はとどまることを知りません。

今まではなんとなく、「日常の出来事をそのまま書いたところでそうそう面白くならないから、そのあたりが苦しくなって更新が止まってしまったのかな?」程度にしか考えていませんでしたが、自分で書くようになると、「自分がその文章を書いていて楽しいと思えるか」というまた違った指標が見えてきたものですから驚きです。

 

でも何が一番驚きかって、本当は今日の日記では先週のコミティアで手に入れた本のレビュー的なことをしたかったはずなのに、冒頭の意味不明な挨拶が思った以上に膨らんでしまって、もう今日は文章書くのがだるくなったところです。しかも、書き上がった文章の大半が、我ながら「何いってんだこいつ?」ってな出来だったことが驚きに拍車をかけました。きっとこれが文章は生き物ということなのでしょう。コミティアの話は次の日記で書こう。

十分に発達したサボりは仕事と見分けがつかない

学生というモラトリアム期間を終え、就職してからそろそろ丸二年。春には社会人三年目を迎える僕ですが、流石にこれだけの時間が流れると自分も社会を構成する一員だという自覚が芽生え、日々業務に邁進することに余念がありません。上昇志向の塊とも呼ばれている僕は、平日は与えられた仕事を淡々とこなし、休日は資格取得のための勉強に励む、そんな大人になってしまったのです。

 

即座にネタバラシをしてしまうと、まあそんなのは当然のように真っ赤な嘘であり、合ってることはと言えば春には社会人三年目を迎えるというところくらいで、実際には勤労意欲を欠片も感じさせないようなサボりっぷりだというのですからどうしようもありません。

ちなみに今日の日記のタイトルはサボり中に思いつき、「これは中々センスがあるなあ」とまだ業務時間中であるにも関わらずニヤニヤしながら、もしやと思い検索にかけてみたのですが、割と普通に引っかかったので呆然とするしかありませんでした。自分の凡庸っぷりを思い知った僕がその後のやる気を更に無くしてしまったのは言うまでもありません。悔しかったのでタイトルに使います。

 

最近の僕のサボりっぷりと言えばそれはそれはもうとんでもないもので、もはやサボりと言うよりはただの居眠りと言った方が相応しいレベルです。僕ほど豪胆になると、もう自席で普通に眠りこけてますからね。

しかもサボっているのは仕事だけではありません。この日記だって毎週末に書こうと思っていたはずですが書いてませんからね。じゃあ週末何してたかといえば、アニメをイッキ見していただけという救いのないものでした。でも見たアニメが面白かったのでまあいいかと無理やり自分を納得させることにします。

普段の生活態度が及ぼす影響というのは思っていた以上に大きいのでしょう。仕事・日記ともにサボりだしてからというものの、数少ない趣味だったはずの読書(漫画が主ですけど)・競馬に対する情熱もなんだか小さくなってしまったような気がします。まあ競馬に関しては1月に買った馬券が一つたりとも当たっていないという驚愕の事実も作用しているような気がしなくもないですが、漫画の方は明らかに積本が増えてしまっています。

漫画を読まなくなるなんて、それはもはや自分とは言えませんから、これはなんとかしなければなりません。いっちょここは、サボりのテクを羅列していくことで、自らの戒めとし、仕事に励むことで活力を取り戻し、余勢を駆って趣味にも熱心だった自分を取り戻す、という華麗すぎるフローをなぞりたいと思います。書いてて思いましたが訳わかんない理屈ですね。本当は単に最近暇すぎて日記に書くことがないので如何にしてサボってるか書こうと思っただけです。以下サボりのテクニック。真似していいよ。

 

 

サボる。フランス語のサボタージュを語源とするもので、大正時代には既に使われていた言葉です。意味は説明するまでもないでしょう。ちなみにフランス語のサボタージュは日本語のサボるとは意味が異なり、破壊活動・妨害活動と言った意味を持ちます。どうでもいいことでしたね。

多少なりともサボった経験というのは皆が持っているものかと思います。授業中居眠りこいてやり過ごした、掃除をせずに帰った、勤務時間中にトイレでゲームしてた、など程度の差こそあれ、人はサボることから逃れられません。

しかし誰しもがサボるとは言え、どうやら現代社会においてはサボるという行為はどちらかといえば悪側に分類されているらしく、堂々とサボっていてはすぐに爪弾きにされてしまいます。そこでサボりのプロを自称するこの僕が効率のいいサボり方をお教えしましょうと、そういう大変有意義なコーナーです。効率が良いってのはあれ、小さな手間でより長い時間サボれるっていう、なんかそういう意味で使ってるから。

 

1. PCでおサボり

PCを使う仕事をされている方の大半はこれを使っているのではないでしょうか。仕事で使う資料を見てるふりをしつつも、その実態は全く関係のないサイトを巡るインターネットサーフィンだったというやつですね。

ただし状況によっては自由にサイトを巡ることは難しい場合もあるのがネック。規制の掛かっているような社内PCなんかだと見られるサイトが制限されていることがありますし、デザインが派手なサイトではちらっと見られただけでサボっていることが明らかになってしまうので結局は見るサイトが絞られることになります。単独の席が用意されているような立場なら気にせずネットの世界にダイブできるというものですが、サボることしか考えていないようなものにそんな状況が用意されているかは怪しいものです。

僕ほどになると周りに上司がいようとお構いなしに全く業務に関係ないサイトを見ていますが、ぶっちゃけあんまりお勧めできません。結構普通にバレてます。ひとこと言っておくならば、画像が多いサイトは一発でサボっていることがバレるので、サボるときはテキストベースのサイトを中心にしたほうが良いでしょう。

 

2. トイレでおサボり

どんな職場でも使える非常に汎用性の高いサボり方です。基本的には職場が広ければ広いほど使いやすいですが(大勢に紛れ込むのはサボりの基本です)、常に上司が近くにいるような環境では使いにくいのがネックですね。そういう場合は上司の予定をこまめにチェックしておき、席を開けるタイミングでトイレにダッシュするなど工夫が必要となるでしょう。当然僕は上司の予定は一週間分くらいは把握するようにしています。

トイレでサボるときは何かしらお供があったほうが良いでしょう。まあ寝ていても良いのですが、寝るにしてもアラームなど目覚めの手段がなければ万が一ということがありますからね。おそらくスマートフォンを持ち込むというパターンが多くなるかと思いますが、本を持ち込んで読書なんかも良いかもしれませんね。

自席でサボる場合に比べ、完全に他人の目から隔絶された環境というのが他の方法に比べて圧倒的に優れており、ゲームでもネットサーフィンでも何をしていても問題ない自由度が大変魅力的です。欠点らしい欠点もありませんが、ただ自席に戻るタイミングだけは見定めておかねばなりません。調子に乗ってサボりすぎると、戻った時に普通に「どこ行ってたの?」って聞かれますからね。このあたりの質問に対するそれっぽい答えもあわせて用意しておくのが無難です。

 

3. 睡眠でおサボり

サボり効率は最大限となるものの、職場からの評価がガタ落ちするリスクを伴う諸刃のサボり方、それが居眠りです。これはもう究極のサボり方で、勤務時間を休息時間にすることで、帰宅後の活動時間を最大限に満喫しようというものです。言うまでもなくバレたら一番面倒くさいサボり方ですが、そのぶんバレなければ時間を潰しながら身体を休められる、その上お給料も貰えてしまうというハイリスク・ハイリターンな手法です。

前述したトイレでのサボりと組み合わせることでメリットばかりの方法に化けるわけですが、個人的にはトイレで眠るというのが好かないので堂々と自席で眠りこけています。こう書くと、まるで好きで寝ているように思われてしまいますが、実際のところはそんなはずはなく、僕もご多分に漏れず昼食後なんかは眠くなるのですが、どうも僕は我慢というものが欠片ほども出来ないらしく、気がつくと船を漕いでいるというのが実情です。ジャーキング(ビクッって起きるやつ)の後に気まずく周りを見渡すと皆が見て見ぬふりをしている、そんな空気が痛いものです。

過去にはあまりにも寝すぎるあまり、そういう病気なのかと疑われてしまったほどなのですが、心配されるほどに注意を受けても僕の生活は改善されておらず、今になっても眠りこけてしまっています。最近また居眠りがひどくなってしまったなあと自分でも思っていたところ、この一週間の間に3人の上司から「居眠りしすぎ」と指摘をいただくという大変不名誉な目にあってしまいました。そのうち一人からは「寝るならトイレでね」ともはや同情のようなアドバイスを頂いているあたり、僕はもうどうしようもないのかもしれません。誰かここから救われる道を教えてください。まあそもそも寝るなよって話ではあるんですが。

 

改めて客観的に書き出してみると自分のどうしようもなさが浮かび上がってきて不安になってくる、というかいつクビとか言い渡されても不思議じゃないな…と思うのですが、チョロチョロ注意を受けるだけで済んでるので、うちの会社って実はめちゃくちゃ甘いのかもしれません。そうときたら、寄らば大樹の陰の精神でこれからも好き勝手やってやろうと思います。

おまけ的に基本戦術として、外出先へは直出・直帰出来るよう時間調整をする、勤務中の移動時間は多すぎるじゃないかと不安になるくらい多めに見積もる、めんどくさそうな仕事は忙しいふりをして他にまわす、いっそ普通に会社から出てサボる、などが上げられますが、まあこのへんは皆さん分かっていることでしょう。また、会議などで使う資料は過去のものなんかを流用しつつも、さも自分が作ったかのように振る舞いましょう。手の掛かっていそうな成果物を周囲に示すことで、サボっていることを疑わせないことも重要ですよ。

 

皆さんの効率良いサボりライフを願っております。アデュー!(上司からの評価を地に失墜させながら)