必死になって思い出そうとしてみたのですが、どうやっても9月上旬の記憶が出てきませんでした。一度どこか大きな病院に行ったほうがいいのかもしれません。そういえば、上司からも一度病院にかかったほうが良いんじゃないかとアドバイスを受けていたことを思い出しました(業務時間中でもかまわずに寝まくるから)。
9/14(土)
一ヶ月ほど前から、「誰が一番麻雀強いのか、それをハッキリさせたい」と強者を求めて放浪している格闘家のようなことを友人が言い出してしまったため、この日は朝から晩まで麻雀を打っていました。
一月前からお互いの友人に声を掛けていたにも関わらず、当日集まったのは7人という中途半端な人数で、しかもそのうち4人が一時間以上遅刻してくるという、どうしようもないまでの人望の無さを露呈してしまう催しになってしまったことについては、ただただ悲しむばかりです。
麻雀自体はつつがなく進行し、約12時間にわたる激闘を無事に終えることができました。なぜか遅刻してきた人が先に帰ってしまうというハプニングもあり、結局僕はずっと打ちっぱなしという状況にさせていただけたため、お陰様で1諭吉程度負けさせていただくことができました。ありがとうございました。
どうやら僕は距離の概念が随分とズレてしまっているらしく、会場となった雀荘には自転車で赴いていたのですが、どうやら他の人たちは皆当然のように電車で来ており、一人で帰るハメになってしまったのですが、そこで事件が起きました。
「えぐっちゃん!?えぐっちゃんやろ!?」
交差点を横断していると、突如後ろから大きな声が聞こえてきました。何事かと振り向いてみると、そこにはすれ違ったばかりの男性が一人、驚いた顔でこちらを見つめていました。
「えぐっちゃん!」
どうやら彼は僕をえぐっちゃんと勘違いしているようです。そろそろ日付も変わろうかという時刻、街灯も少ない交差点だったため、見間違えてしまったのでしょう。
嬉しそうにこちらに近づいてくる彼には悪いのですが、もちろん僕は江口ではありませんし、彼のことだってビタイチ知りません。。まあ近くに来たら流石に勘違いしていることに気がつくでしょう。せめて彼が恥ずかしくならないように、陽気に対応しよう。そんなことを考えているうちに、彼が目の前までやってきました。
「えぐっちゃんやん!!」
いやいや。
いくら暗がりだからって1メートルくらいしか離れてないのに間違えるか?しかも、この喜びよう。恐らく彼と江口くんは相当に仲が良かったものと思われます。それでも間違えるのか?
ちなみにここまで僕は一言も発していません。彼が勝手に「えぐっちゃん」で盛り上がっているだけです。ですが、このまま放っておけば、彼の中で僕が「えぐっちゃん」として確定してしまうのは明らかでしょう。そこで僕は冷静に言い放ちました。
「えぐっちゃんじゃ、ないです」
今思えばもっと言いようがあったのではないかと思いますが、当時は近づいてきてなお、僕を「えぐっちゃん」と言い張る彼に驚くあまり、そう返すのがやっとでした。
「えぐっちゃんじゃ、ないん?」
本人が否定しているにも関わらず、何故かあくまでもお前は江口だろう?と疑ってくるスタイル。学問の出発点として疑問を持つということは大切ですので、もし彼が江口の研究者ではあったならば、さぞかし良い研究者になったことでしょう。しかし、恐らく彼は江口の研究者ではないし、僕もそうではありません。ここはただ僕が江口ではないことを信じてもらいたいところです。
「ちゃうよ」
まだ納得がいかないのか、マジマジと僕の顔を見つめてきます。とりあえず、僕のドッペルゲンガーの名前が江口であることはもはや確定したと考えていいと思います。それにしても、ここまで疑われるとなんだか自分の存在に自信がなくなってきます。もしかして僕はどこかでこの男にあったことがあるんじゃないだろうか、その時に江口と名乗っていたのではなかろうか。いや、もしかして自分は本当は江口そのものだったのではないか、今までの記憶だと思っていたものは偽りで、実際には江口として活動していた時期があったのではないか。
世界五分前仮説というものがあります。詳しい説明は省きますが、これは世界は五分前に始まったもので、今ある五分以上前の記憶は五分前に植え付けられたものなのではないかというものです。
同様の理屈で、僕が僕として始まったのが五分前なのかもしれない。今まで家族と思っていた、友人と思っていた人たちは皆記憶の中でのみ過去から存在しているだけで、実際には今まで何の関わりもない生活を送っていたのかもしれない。そこでは僕は江口で、目の前にいる男となんらかの深い関わりがあったのでしょう。
そしてある時、元江口はまた別の人間として生まれ変わるために、突如として彼の前から姿を消したのです。街中を疾走し、今はまた別の存在になった江口を探す彼。詳しい説明は省きますが、時空超越者として生きる元江口は、定期的に自らを別の存在に書き換えねば、この時代に存在できないことを彼は知っていたのです。もう逢えないかもしれない、この時空に存在するのかも分からない。それでも探さずにはいられない、えぐっちゃん…、君は一体どこにいるんだ。
いつしか時は過ぎ、彼は長い学生生活を終え、立派な社会人になっていました。今ではえぐっちゃんのことを思い出す頻度は減ってしまっていましたが、完全に忘れてしまうということはありませんでした。街中で似たような人を見つければ目で追ってしまうし、毎年出会った日には、未だに取り壊しになっていない、鮮烈な出会いの場であった廃墟にも行っています。そこが取り壊されない限りは、またえぐっちゃんに会えるような気がして…。
えぐっちゃん、俺はなんとかやっていけてるよ。結局、あの頃話していたような旅打ちにはなれなかったけど、世間では良いって言われている会社に入ってひいひい言いながらも頑張ってついていけている。君は俺の未来を知っていたりするのかな?今思うと変な意地はって「俺は実力で当てるんだ!既に確定した出来事を知ってギャンブルで稼ごうだなんてヌルい考えは持ち合わせていないぞ!」だなんて言わずに、もっと君から未来の情報を集めておけばよかったかもな(笑)。そうすれば、こんな毎日仕事に追われることもなかっただろうから。でも、どこかでこれで良かったんだと思う俺もいるんだ。出会ったばかりの頃の俺はもうどこかに行っちまったよ。今じゃ君と馬鹿やってた頃と同じくらいか、それ以上に毎日を楽しめているような気がする。別に君のことを忘れるだとかそういうことじゃないんだ。ただ、君が君の時空に生きるように、俺は俺の時代に生きなきゃならない。
君が今どこにいるのかは知らない。でもそれでも良いんじゃないかって思えるんだ。だってそうだろ?もともとは会うはずのない二人だったんだ。いつまでもお互いのことを知ってなきゃいけないなんてそんなことはないはずさ。確かに寂しく思うときもあるよ。でも、君と楽しくやってきた記憶があるから、辛いときだって楽しく生きていける。君が今どんな状態なのかは知らないけど、俺との思い出は残ってないかもしれないけど、どこかで力になれているのなら嬉しく思う。それに最近、予感がするんだ。どこかでまた君に会えるんじゃないかって。えぐっちゃんじゃなくなっているかもしれない、それでも君に会えるんじゃないかって。
そして二人はまた出会うのです。
夜の交差点で。
すれ違いは一瞬、それでも彼には十分だった。
「えぐっちゃん!?えぐっちゃんやろ!?」
物語が動き出す。