インターネットのけもの

全て妄想です。

「猫の地球儀」感想

あれから、七百年と半分が過ぎた。

 

朧はもちろん猫で、牡で、おいぼれで、最後のスカイウォーカーだった。

 

 

 

書き出しから問答無用で世界観を叩き込まれるこの快感、ここにこそ、秋山瑞人作品の魅力が凝縮されているのではないかと思うのです。

冒頭の一文は「猫の地球儀」という作品のものなのですが、僕はこの作品がどうしようもなく大好きで、高校生の時に初めて目を通してからというものの、そろそろ通算10回は読んでいるのではないかというくらい読み返しています。パラパラと軽く読むだけも含めると倍では利かないでしょう。

正直に言ってしまうと最初に読んだときにはここまで好きになるとは思えなかった、というかプロローグを読んだ時点で一回投げてしまっていました。なぜなら、初っ端から出てくる単語の意味が全く理解できなかったからです。

「あれから」っていきなり言われても何のことだか分からないし、何が「もちろん」なのか、「スカイウォーカー」に至っては聞いたことがないってレベルを超えています。これらに対する説明が全くないどころか、この調子で知らない単語がどんどん量産されていきながら物語が進行していくもんですから、読者としてはたまったものではありません。

ですが、読み進めていくとこれがまた良く出来たもので、単語の正しい意味は分からずとも、ざっくり何を意図しているかは分かってくるようになっています。そして、単語の意味を理解できるようになった頃には、きっとこの作品のファンになっていることでしょう。

 

ここで、「猫の地球儀」のあらすじをざっと説明しておくと、舞台は地球の衛星軌道上に存在するトルクと呼ばれるコロニーであり、ここでは高度な知性を持ち、電波を操る猫たちが暮らしています。トルクを築いた人間はとうに滅びており、猫たちは人間が残したロボットを電波で操作し、生活に役立てたり、スパイラルダイブと呼ばれる決闘にのめり込んだりしていました。この世界は大集会という宗教組織によって治められており、死んだ猫たちは地球(作中では「地球儀」と呼ばれている)にいくとされています。そんな世界において、異端とされる「生きたまま地球儀に行く」ことを目的とするスカイウォーカーの幽(かすか)と、最強のスパイラルダイバーである焔(ほむら)が出会うことから物語が始まります。社会の価値観と真っ向から相対する夢を追い求めることで、周囲との軋轢も生じますし、不幸になる猫も出てきます。そのとき幽はどのような判断をするのか。

作者自身はこの物語のことを「ピーター・アーツ VS ガリレオ・ガリレイ」と評しています。まあ、当たらずといえども遠からず、と言ったところでしょうか。

 

こういった物語であるにも関わらず、読んでいる最中には圧倒的なリアリティをもって物語が進行していきます。それを担っているのが、冒頭でも触れた問答無用で叩き込まれる世界観であり、緻密な筆力から紡ぎ出される、読むだけで映像が浮かんでくる描写力にあるのは間違いないでしょう。

ハッキリ言ってしまうと本作はライトノベルなので、読めるレベルの最低限の文章力があればそれでいいと思っていたのですが、実際にはとんでもないレベルの文章が飛び出てくるので大変驚きます。

秋山瑞人の文体は独特であり、三人称で進んでいたかと思えば、突如一人称の視点が挟まり、かと思えば謎の視点からの文章が現れる。文章が途中で途切れ、別の事象を挟んでサラリと元の文章に戻る。滅茶苦茶なことをやっているようで、読んでみると全く読みにくさを感じさせないどころか、文章が疾走するような感覚が味わえます。

 

また、文化・背景の描写にも目を瞠るものがあります。例えばスパイラルダイブ一つをとってみても、ダイブの見物客を見込んで物売りを始めたところから市場が形成されていっただとか、ダイブの賭屋が商売のうまくいかない日は魔除けの呪いを掲げておく、主要人物でもない賭屋がダイブの勝敗予想を始める、といった一見物語の進行には影響がなさそうな文章が随所に見られます。

しかし、これこそが物語に説得力をもたせるのに非常に重要な役割を果たしているわけです。ダイブ周りの文化が明確になるほど、ダイブが猫を夢中にさせる一大娯楽であることが分かりますし、魔除けの呪いは大集会という組織の存在も相まって、トルクでは信仰の力が根強いのだと分かります。こうした細かい根拠の積み重ねによってトルクという世界がどう成り立っているのか、読者は徐々に理解していくことができ、また、未知の部分についても想像を巡らせやすくなります。

 

これは何も「猫の地球儀」に限った話ではなく、秋山瑞人の作品全てに共通していることだと思います。

僕は秋山作品全てが好きなのですが、どれくらい好きかというと、ここ最近は図書館に行けば「E.G.コンバット」を借り、移動のお供には電子書籍で購入した「猫の地球儀」に目を通し(もちろん家の本棚には書籍版も収められています!)、家では「龍盤七朝 DRAGON BUSTER」をゆっくり読むという、自分で今書いていてもちょっと理解出来ないレベルのハマりっぷりを見せていました。もう少しで迎える6月24日は全世界的にUFOの日ですので、「イリヤの空、UFOの夏」も読まなくてはなりませんね。

ただ秋山瑞人唯一にして最大の欠点に、とんでもないレベルで遅筆、そもそも未完の作品が多すぎる、というものがあります。

商業的に出版されている6作品の内、半分の3作品が未完だというのですから、ファンにとってこれほど悲しいことはありません。デビュー作である「E.G.コンバット」は、全4巻の予定で、3巻まで発売された後、最終巻の発売日(2001.06.10)まで公表されていたにも関わらず、未だに発売されていないという曰く付きの作品です。

もし未完の秋山作品をラストまで読めるようになるのであれば、100万円だって惜しくはないというファンも割といるんじゃないでしょうか。もちろん、僕もその一人です。

 

話が逸れたのでもとに戻しますと、秋山作品は全くのSF的世界観であったり、僕たちの世界とはちょっと違った現代が舞台だったりするのですが、その部分を殊更強調してくることはあまりありません。しかし、そのどの世界観においても、文化・背景が綿密に描写されているため、自然とその世界を受け入れることが出来ます。

最新作である「龍盤七朝 DRAGON BUSTER」においてその技術は究極とも言えるレベルに達しており、舞台が古代中国を基にした架空の王朝であるにも関わらず、そこに根付いている文化や風俗、登場人物の思想に至るまで、まるで本当に存在していたかのような、圧倒的とも言える説得力を発揮しています。

はじめに読んだときは、ちょっと過剰ではなかろうか、と思ったものでしたが、サクサクと読み進められ、説明過多に感じずにスルッと文化を理解できるのは、さすがの筆力だと言えるでしょう。

 

描写についてもう一つ特筆するならば、秋山瑞人はロボットの描写がべらぼうに上手い、ということが挙げられます。

なんかもう「猫の地球儀」の感想というよりは、僕がどれほど秋山瑞人を信奉しているか、みたいな日記になってきたのでそろそろ「猫の地球儀」に絞った文章を書いていこうと思いますが、最後に少しだけ書くならば、「E.G.コンバット」のGARP、「鉄コミュニケイション」のイーヴァとルークを筆頭に、とても人間くさくありつつも、ちゃんと人間とは違うロボットとして彼らを描く、その力が異常なのです。

猫の地球儀」においては幽のパートナーであるクリスマスに、焔のパートナーの日光、月光と魅力的なロボットが揃っているのですが、僕はそれらを差し置いて一番魅力的なのは、焔のファンである楽(かぐら)のパートナー、震電であると感じました。

震電は他のロボットたちに比べて旧式であり、普通は猫とロボットがコマンドでやり取りできるのに対し、コマンドを受け取ることは出来ても目をピカピカ光らせることでしか返事が出来ません。しかも、持ち主の楽にも「震電は馬鹿だから」と言われてしまうほどの間抜けです。ですが、長いトルク生活で生活力だけはずば抜けており、ネズミを取ってくるのは上手いという変な特技は持っています。

そんな震電ですが、楽を思いやって行動していることは描写の端々から感じられます。ネズミを取ってくるのはもちろん楽のためですし、楽がパニックに陥ったときにはさっと魔法の粉を取り出して落ち着かせ、楽がいなくなればダウジングで探し出す。命令されてやるのではなく、自律行動から導き出される行動がこのようなものであることは、嫌でも人間臭さを感じさせてくれます。震電が幽に魔法の粉を託すシーンは、作中屈指の名シーンだと言えるでしょう。

 

本作のキーワードの一つとして、「夢」が挙げられます。

幽の夢はもちろん「生きたまま地球儀に行くこと」です。そのために必要なものとして、「地上6000キロ、軌道速度は秒速5600メートル。このふたつの悪魔の数字に打ち勝つためには、強力な噴射のできるエンジンと、堅牢無比な耐熱機構があればいい。」と作中では述べられています。そして、「それ以外には、何もいらないのだ。」とも。

幽が夢を追い求めることは一見、悪い事のようには思えません。誰しもが自分だけの夢を描き、それに向かって進むことは自然なことだからです。しかし、幽の夢はトルクという、その日暮らしていくだけで精一杯な猫たちが大多数の、余裕のない世界においては大きすぎました。誰にも迷惑をかけず、自分だけの夢に浸っていたつもりの幽は、自分が夢を追い求めることで不幸になってしまった猫がいることに気が付きます。誰かにとっての夢とは、他の誰かにとっては鼻くそみたいなものであり、理解してもらうのは難しいことです。それがその時代の常識から外れたものであるほど、それは顕著に現れることでしょう。

 

猫の地球儀」は天才と天才の物語です。

しかし、その天才たちは何だって出来るわけではありません。悩みもするし、失敗だってします。しかし、彼らは諦めず、夢のために邁進していきます。 そしてある時、天才たちは自分が夢を追い求めることで周囲にどういった影響が生じていたかを知ります。それでも天才たちは前に進もうとするのか。

 

 

猫の地球儀」について思うところを書こうと思っていたはずが、秋山瑞人への信仰を綴った日記みたいになってしまった。

小説の発行は2012年で止まっていた秋山瑞人ですが、去年ある企画の中で「秋山瑞人からのメッセージ」というものがあり、そこで約6年ぶりに新作の文章を読むことが出来ました。まあ700字ちょっとの、ほんとにただのメッセージだったわけですが、思わぬサプライズにファンは沸き立つことになりました。700字ちょっとで興奮しているあたり、どれだけファンが新しい文章を待ち望んでいたのかがわかるかと思います。

果たして生きているうちに未完の作品の続きは読めるのか、はたまた未完の作品は放置されたままで新作が飛び出てきちゃったりするのか。できれば今ある作品を完結していただきたいものですが、新しい文章が読めるのなら新作でもいいのでは、と思う今日このごろです。

最後はファンらしく。

EGFマダー?