インターネットのけもの

全て妄想です。

眠気の犬

何度も日記に書いているのですが、僕は仕事中であってもこの旺盛な睡眠欲を発揮してしまうタイプの人間ですので、職場でよく寝ているダメなやつ認定されていることは容易に想像がつくのでした。容易に想像がつく、という表現にしましたが、ここしばらくの仕事内容を鑑みるに、あまりに楽な仕事(それはゆるゆるの納期であったり、ミスしても一切怒られないどころか勝手に修正してくれてたり)ばかり振ってもらっていたので、無能認定されていることはほぼ間違いありません。

まあ職場でどう思われようがぶっちゃけどうでもいいこと山の如しなのですが、このままでは一生給料が上がらないどころか最悪の場合クビになる未来も脳裏をよぎってしまったため、少しは起きて仕事をしてやるかなと、年明けくらいからは真面目に仕事をする姿勢を見せていました。

ただなんといいますか、よし!ちゃんと仕事するか!と頭では思っていても、悲しいことに身体の方がついていけず、デスクに向かって30分以内には船を漕ぎ始めていたのですから、どうしようもありません。

このままではまずいと利発な僕はもちろん気がついていましたので、最近は具体的な対応策を実施していたのでした。

 

まずはじめに手を付けたのが前日にたっぷりと睡眠を取っていくというものでした。単純にして明快、いつだってベストな答えは一番シンプルな方法の中にあるものです。普段は6時間前後であった睡眠時間を7~8時間ほどに伸ばしてみたのですが、これはあまり変わらず。もっと寝ないと変わらないのか?と思い、思い切って10時間ほど寝てみたところ、起床後の脳の覚醒具合が格段に良くなったような気はしたのですが、実際に仕事を始めるとあっさり眠くなってしまったので唖然とする他ありませんでした。どうやら、睡眠時間云々以前に仕事が壊滅的につまらなさ過ぎて眠くなってしまっているようです。あと、寝る癖がついてるような気がする。

というわけで、まずは職場は寝る場所ではないということを脳と身体に刻み込まねばなりません。思い切って仕事を変えてみるという案も浮かぶことには浮かんだのですが、遊びは大胆、でも生活は堅実に、が信条の僕はその道を取ることは出来ませんでした。というか、いくら仕事がつまらないとは言え、こんな楽な職場を手放すのは惜しい。流石に寝るのはまずいからどうにかしないといけないってだけで、普段は業務時間中にネットサーフィンとかしてますからね。とはいえ染み付いた癖はなかなか消せるものではありません。そこで僕は解決策を科学の道に求めることにしました。

 

パブロフの犬」という話をご存知の方は多いかと思います。犬にベルの音を聞かせてから餌を与えていたところ、いつしか犬はベルの音を聞くだけで唾液をだすようになったというあれです。このように経験などによって後天的に獲得された反応を、条件反射と呼びます。僕は自身にこれを適用することで、職場で眠気に襲われた際の対処法に出来ないかと考えました。具体的な方法は以下のようなものでした。

1. 職場で眠気に襲われる

2. 額を押さえる

3. 伸びや顔を洗いに行くなど、眠気を払う行為をする

4. これを繰り返す

5. いつしか額を押さえるだけで眠気が払えるようになる

6. 職場で眠たくなる頻度が下がり、いつしか眠気とは無縁のワークスタイルが獲得できる

こ、これだ…!ハッキリ言ってこの方法を考えついたとき、己のあまりにも悪魔じみた知能の高さに恐れおののきましたからね。額を押さえるという行為が少々馬鹿っぽく見えなくもないですが、あまりに小さすぎる動作では反射として刷り込まれるか不安ですし、これ以上大げさな動作にするとただの職場で狂ったやつにしか思われないでしょうからこれぐらいが丁度いいでしょう。1月中旬ごろから早速実践してみることにしました。

実際やってみると、額を押さえるという行為は考え事をしているように見えるということもあり、眠気がきているときに軽く目を閉じても不自然さが無く、わりといいポーズになります。落ち着いてから伸びをしたり軽く身体を動かして意識を覚醒させ、また仕事に集中するというルーティンもうまく回せているような気がします。これは結構いけるのでは…?

 

そして約2ヶ月がたった今。そこには額に手を当て、悩んでいるポーズをしながら思いっきり眠りこけている僕の姿がありました。我ながら呆れ果ててものも言えないのですが、なんというか普通に眠気には勝てませんでした、うん…。マジ条件反射とかって嘘じゃねーの…。

 

でも、その眠りこけている姿はどこか神秘的で、穏やかな寝顔は見るものを安心させ、寝息を聞いた周囲の者は口々にこう言ったといいます。

「ああ、今日も我が社は平和だ」と。

 

そういう解釈があってもいいと思う。

(前までは寝てたら注意ぐらいはされていたのですが、最近とうとうそれすら無くなったので、「怒られているうちが華」というのはあながち間違いじゃないのでは?という思いに駆られています。どうしよ)