インターネットのけもの

全て妄想です。

日記のひみつ

僕がよく読んでいたテキストサイトには「日常生活が充実しているやつほど日記を書かない」という格言がありました。よくよく考えるとこれは全く道理が通らない話で、日常生活が充実していたほうが話題に事欠かず、日記に認めようと思えるような出来事も多いはずです。

ですが実際に、日常の出来事を楽しげに語る、今ならリア充とか呼ばれそうな日記を書きはじめたサイトはいつの間にか更新もまばらになり、ついには更新がストップ。一方で、世の中を恨んでいるとしか思えない、果たしてこれを日記と呼んでいいものかと迷ってしまうような、日々の妄想をこれでもかと綴った日記を書いているサイトは更新のペースが全く落ちない、というかこの人は一体どのような暮らしを送っているのだろうかと心配になるレベルの文章量で更新を続ける始末。

長年このあたりが謎だったのですが、自分でも日記を書くようになり、このあたりのからくりがようやく分かってきました。まあ僕の場合は前回の日記にも書いたように、日常生活(主に仕事)をサボりまくる悪癖が一向に抜けず、ただ単に日記を書く気が起きなかっただけなのですが、それでもコミティアに行ったりだとか、友人のライブに行ったりだとか、日記に書けそうな出来事はありました。そしてこれらを日記としてまとめようと考えたとき、長年の謎が解けたのです。

 

謎が解けた!なんて粋がっていますが、結局のところ、そんなこと書いたってつまらねーんだよボケ!という一言に全ては集約されてしまいます。別に僕がコミティアで朝から並ぼうと思ってたのに普通に寝坊しただとか、友人のライブとはいえ、久々に顔を見たから終了後に声掛けに行ったのに、時間がないからと普通に追い払われたりだとか、そんな話は誰も興味がないし、自分で書いていても何も楽しくないんですよね。

となってくると書いていて楽しい内容を書こうと思うのは必然ですが、日々の出来事で書き記しておきたいことなんて滅多に発生するものではありません。まあ中にはもはや災難では?というレベルでイベントに事欠かない人もいるのでしょうが、それは天上人の世界の話であって、つまらぬ人の身である僕らには縁遠い話です。となると、書いていて楽しい内容を自分で作ってしまえばいい、となってしまい、現実と妄想の境界が混ざりあったような文章が誕生するわけです。特に日常生活でなにも書くことがないような人は有り余る時間を妄想を爆発させるためにふんだんに使えるわけで、そうなってくるともう更新はとどまることを知りません。

今まではなんとなく、「日常の出来事をそのまま書いたところでそうそう面白くならないから、そのあたりが苦しくなって更新が止まってしまったのかな?」程度にしか考えていませんでしたが、自分で書くようになると、「自分がその文章を書いていて楽しいと思えるか」というまた違った指標が見えてきたものですから驚きです。

 

でも何が一番驚きかって、本当は今日の日記では先週のコミティアで手に入れた本のレビュー的なことをしたかったはずなのに、冒頭の意味不明な挨拶が思った以上に膨らんでしまって、もう今日は文章書くのがだるくなったところです。しかも、書き上がった文章の大半が、我ながら「何いってんだこいつ?」ってな出来だったことが驚きに拍車をかけました。きっとこれが文章は生き物ということなのでしょう。コミティアの話は次の日記で書こう。