インターネットのけもの

全て妄想です。

急に名前で呼ばないで

この世でいちばん面白い漫画ってもしかしたらエロ漫画なのかもしれない。

 

げんしけんについて思いを馳せた僕は、「じゃあ一体どんな漫画だったら心地よい気分を提供してくれるのか」という至上命題に挑むことになりました。

ぶっちゃけ僕は割とオツムがおめでたい人間なのでどんな漫画であろうと楽しめるのですが、それでもやはり、「これはなんかおもっていたのと違うな・・・」とか「これはさすがにフィクションと言えども無理がありすぎるのでは???」と、心から楽しむことが出来ない漫画もあります。ですが、それらの漫画とそう変わらないように見える漫画のなかにも個人的には十分に楽しめる漫画もあったりするわけで、僕は自分のことながら、楽しめる漫画と楽しめない漫画のどこに違いがあるのか、自分の中での楽しめる基準というものが全くわからなかったのです。

「人間、自分のことが一番わからないもんだよね」とどこかで聞き齧ったような言葉を並べて満足していても良かったのですが、それでは僕の中にある何かが到底納得しないだろうと思われたため、僕はこの至上命題に挑むことにしたのです。ごちゃごちゃ書きましたが、まあ暇ということです。

 

まずは好きな漫画について考えてみましょう。順にタイトルを挙げていこうかと思いましたが、それだとタイトルを書いていっただけで今日の日記が終わってしまいそうだったので、ぱっと思いついた範囲でタイトルを挙げていきますと、

スクールランブル

女子大生家庭教師濱中アイ

封神演義

魔人探偵脳噛ネウロ

・平成生まれ

変ゼミ

無限の住人

  ︙

 

思いついた範囲だけにするつもりだったのですが、これ以上挙げても気持ち悪さが増していくだけのような気がしたのでここで止めておきます。初っ端に「スクールランブル」と「濱中アイ」が出てくる辺り、自分のどうしようもなさに目を覆ってしまいたくなりますが、好きなものは好きなので仕方ありません。その後に挙がるタイトルもメジャーとマイナーの間に存在しているタイトルばかりというところから、マイナー作品を愛しつつも、本当に誰も知らないような作品だと誰とも語り合うことが出来ないという、斜に構えつつも寂しがりやみたいな気持ち悪さが漂ってきて我ながら呆れてしまうばかりです。

ですが、いくつかタイトルを挙げたことで見えてきたものもありました。

まず一つ目は、「メジャーよりもマイナーを好む」というものです。書いてて情けなくなってきますが、僕は未だにそういうのがかっこいいと思っているフシがあるのでこれは当然のことだったでしょう。

二つ目は、「そのジャンルをあまり知らないうちに読んだ作品である」です。これは説明が少し難しいのですが、「スクールランブル」は僕が初めて読んだ学園ラブコメでしたし、「封神演義」はあまり読んだことがないタイプのいい意味で少年漫画らしくない少年漫画で、「平成生まれ」は初めて買った4コマ雑誌に載っていたギャグ4コマです。僕はバカなので初めに感じた衝撃と面白さを混同して基準にしてしまっているのかもしれません。初めて触れたジャンルのため、余計に面白く感じたものを、そのまま作品の評価としてしまっているのかもしれません。ただし、しばらく経ってから読み返してもやはり面白く感じるので、このあたりは本当に作品の質が高いのだと思います。

三つ目は、「一度気に入った作者の作品を再度気にいる傾向がある」です。これはもう、卵が先か鶏が先かという話になってくるのですが、僕はここに挙げた作品の作者がかいた他の作品も好きなことが多いのです。これはある種の条件付けのようなものが行われている可能性もありますが(知らず知らずのうちに、この絵の作品は面白いと思い込んでいる。実際、似たような絵柄の漫画を手にとってしまう経験は多い。)、作者ごとのテーマのようなものに惹かれているのかもしれません。何だかきっかけがつかめたような気がします。自分の気持ち悪さをWWW(World Wide Web)に提供した甲斐があったというものです。

 

 こうやって書きだしてみると、もう一つの気づきがありました。それは、「特定のジャンルだから好き、嫌いは無い」というところです。僕は少年漫画や少女漫画といった大きなくくりは勿論、ギャグ漫画やラブコメといった小さなくくりにおいても、あるジャンル(要素)をもっているからと言って好きになったり、嫌いになったりしないのです。そのために、自分が楽しめる漫画という基準が分かりにくくなってしまっているのですが、これはデメリットではなく、むしろメリットだと言えるでしょう。おかげで常に新鮮な気持ちで新しい作品を読むことが出来るわけです。それが知らないジャンルなら尚更楽しめるというものでしょう。

ここまでで、「じゃあ一体どんな漫画だったら心地よい気分を提供してくれるのか」を明確に答えることができる材料は揃いませんでしたが、そのかわりにどういった漫画の選び方をすれば楽しめるのか、一定の指標を得ることが出来ました。つまり、出来るだけ触れたことのないマイナーなジャンルの漫画に手を出し、気にいったらその作者の作品へと手を伸ばしていけばいいのです。

しかし、この方法には一つ問題があります。それは手を広げすぎるととても金が持たないということです。新たなジャンルを開拓するためには普段は到底手を出さないような作品まで買う必要がありますが、買った作品全てに満足できることはまず無いでしょう。流石にこれでは効率が悪すぎますので、ある程度区切った範囲においてこの手法を実践するべきだと思われます。ただし、あまり区切りすぎては「知らないジャンル」という多様性を満たすことができなくなってしまう恐れがあるため、慎重に範囲を選択しなければなりません。一定の範囲に留まりつつも多様性を保っており、それでいてマイナー作品が多い中で同一作者の作品にも期待が持てる、こんな漫画たちが存在しているのでしょうか。

 

果たしてそれらは存在していました。

三日三晩考え抜いた僕に降りてきた啓示。それは一冊の快楽天でした。言わずもがなエロ漫画雑誌です。これを見つけた瞬間、僕は確信せざるを得ませんでした。これこそが、エロ漫画こそが、僕が求めていたものなんだと。

ここまで書いてきておいて今日のテーマはエロ漫画です。ぶっちゃけてしまうと、さっさとエロ漫画の話をしたかったのですが適当に前振りを書こうとしたら訳の分からない文章をつらつらと書くハメになってしまいました。恐るべきことに、ここからが更に意味がわからない本題です。

 

 エロ漫画。これが嫌いだと言う人に僕はまだ出会ったことがありません。もしこれが嫌いだと公言する人がいるならば、その人は重度の虚言癖持ちか、痴呆症が進行しすぎて善悪の判断がつかなくなっているかのどちらかでしょう。モテも非モテも楽しませようとする衆生救済の姿勢、一度捨てられてもまた新たな読者へつながる輪廻の輪、手を変え品を変え常に時代を映す鏡となりえる多様性、まさにエロ漫画にはこの世の全てが揃っているのです。これを嫌うということは即ち現世を嫌うということであり、そんな人たちはとっととこの世からオサラバしているはずですので、ここはやはり、エロ漫画が嫌いな人は存在していないという論が採用されるのも無理なきことでしょう。なにか間違っていますか?間違ってないね?

 

この世を表しているはずのエロ漫画ですが、残念ながら昨今の社会情勢においては日陰者であると認めざるを得ません。本屋の片隅に申し訳程度にコーナーが設けられているのはまだいいほうで、多くの街の本屋さんからは姿を消してしまっています。コンビニには置いてあることが多いですが、R18コーナーとしてまとめられているために、ギャンブル雑誌やアダルト雑誌(ビニ本)の追いやられ数を減らしています。インターネット上では一部こういった話題が盛んな場所もありますが、それでも多くの人が集うSNS上なんかでは忌避されがちな話題です。

神聖な生命の営みをテーマにしているはずが、何故こんなにも扱いが酷いのでしょうか。エロ漫画とフィットネス、両者にいったいどれほどの違いがあるというのでしょう。どちらも人間の行動を描いただけのハズです(一部人間以外の動物が出てくる作品もありますがここでは省きます)。それなのに、「仕事帰りにジムに行ってきました~。いい汗かいた!」みたいな意見にはいいね!がついておきながら、「みちきんぐ先生の新作最高でした~。三回出た!」のような意見はブロックされる。そんなことが許されていいのでしょうか。

 

 

 そこで今日は、いかにエロ漫画というものが素晴らしく、そして面白いのかといったところに焦点を当てて書いていきたいと思います。さっきここから本題だとか書いてた気がするけど嘘でした。ここからが本題です。

 

エロ漫画。僕はこれ以上に平等で寛容なジャンルを見たことがありません。絵が上手いやつがいる、絵が下手なやつがいる、ストーリーづくりが滅茶苦茶に上手いやつがいる、ひたすらヤッてるシーンしか描かないやつがいる、描くのをやめるやつがいる、また描き始めるやつがいる、万人受けする性癖を描くやつがいる、それはちょっと高度すぎるのでは?と首をかしげたくなるような性癖を描くやつがいる、そしてその全てを受け入れる土壌がある。それがエロ漫画です。

でも根底にある思いは同じです。読者を楽しませたい、興奮させたい。ただこの思い一つを胸に抱いて、バラバラな奴らがこのジャンルには集うのです。中には商業用雑誌では載せられないからと、同人誌として頒布し始める人だっているのです。一概に彼らの情熱を日陰者として追いやってしまってもいいのでしょうか。

そしてその思いに読者もまた、応えるのです。雑誌を購読し、気に入った作者がいれば単行本を購入する、店頭で買うのが恥ずかしい人には電子書籍だって充実しています。時には即売会に赴き、作者本人に感想なんかを述べつつ同人誌を買って帰る。性欲だけではない、もっと熱い何かで結ばれた絆がここにはあるのです。

 

「でも何かカッコイイ感じに言ったって結局目的は一つでしょ?」

確かにそうかもしれない。でもちょっと待ってほしい!僕たちは性欲のみで生きているわけではないのです。

確認するまでもなく、エロ漫画の究極の目的はたった一つ、抜くというところにあります。たしかに僕たちはいいエロ漫画=抜けるエロ漫画だと考えがちではありますが、決してそれだけが判断基準となるわけではありません。世の中には抜ける抜けないを超越したところに存在するエロ漫画だってちゃんとあるのです。

エロ漫画雑誌から一般雑誌(全年齢)に移った漫画家は大勢います。言うまでもなく一般雑誌では程度の差こそあれエロ描写は制限されてしまうわけですが、そんな環境において彼らは一体何を評価されたのでしょうか。単純に絵が上手いというのはあると思います。しかし、ストーリー作りを評価されて一般雑誌に移った漫画家もいるはずなのです。

そんな彼らが紡ぎ出すエロ漫画は大変雅なものであり、他のエロ漫画に比べてはるかに記憶に残ります。それは笑える話だったり、悲しい話だったり、一般漫画と比べても全く遜色ありません。

考えてみればこれはある意味で当然のことで、優れたストーリーメイカーはかく題材が変わったからと言ってそうそう実力が変化するものではありません。むしろ、エロ描写が制限される一般漫画に比べ、人間の欲求を余すところなく描写できるエロ漫画ではその実力がふんだんに発揮されるというものでしょう。

例えば今では知らない人はいないと思われるワンピースに性描写をふんだんに盛り込んだら・・・?きっとその魅力は激減してしまうことでしょう。例える作品が間違っていましたね。

 

 

まだまだ話題はつきませんが、エロ漫画の魅力が少しはわかっていただけたかと思います。もっと魅力を語っていきたいぐらいなのですが、そんな僕がエロ漫画においてどうしても許せないことが一つだけあります。

一度はこんなシーンを見たことがあるのではないでしょうか。

 

「うわぁ・・・べんぞうさんの中・・すごくあったかいナリ・・・」

 

「コロちゃん!急に名前で呼ぶのはやめるっす!」

 

「べんぞうさんの中・・締め付けが強くなったナリ・・・!!」

 

みたいなね。

コロ助は普段から勉三さんって呼んでるだろってツッコミはこの際どうでもいいんですが、この「それまで名字で呼んでたところを急に名前で呼ぶと感度が上がる」現象はエロ漫画では頻出するわけです。これはどうにもよろしくない。

いや、これがですね、ブタゴリラとかコロ助みたいな「そんな名前のやついねーだろ」って名前ならまだ許せます。でも実際のエロ漫画では、澄香とか甘恵みたいなありそうな名前が入ってくるわけです(手元にあったいかがわしい雑誌に載ってた漫画から名前を取りました)。ありそうな名前とは言え、周辺に同じ名前の人がいなければ全く問題はないのですが、問題は同じ名前の人が頭に浮かぶ時です。こうなってしまうともう虚無確定ですよ。出してもいないのに賢者タイムです。一度叔母の名前が出てきたことがあったのですが、愚息は急速に萎え、向こう一週間は別のエロ漫画を読んでいても頭をよぎるという地獄のような時間を過ごすハメになってしまいました。

色んな意味で心地よくなるためにエロ漫画を呼んでいたはずが一転、修行の時間に早変わりです。名字ならば大抵エロシーンの前に提示されているため、回避のしようがありますが、急に名前を呼ばれてはもうどうしようもありません。しかも女性の名前が知らない名前だったとしてもまだ安心はできません。よくあるパターンとして、気持ちが高ぶった女性サイドが男を下の名前で呼び始めるということがあるからです。当時ほぼ毎日遊んでいた友人の名前が急に出てきたときは、その友人に会うとエロ漫画を思い出すわ、エロ漫画を読むとその友人を思い出すわと地獄の輪廻にとらわれてしまい、抜け出すためには半月程を要してしまいました。この輪廻はなかなかに厄介で、思い出すたびに記憶が強化されるもんですから引きずりやすくなってしまいがちです。

 

リアリティを追求する必要があるのは理解できますが、この問題なんとか解決出来ないもんですかね。名前を呼ばなくても表現できる愛情ってあると思うよ。

まあ問題が解決しなくても僕がエロ漫画を読むことをやめることはないでしょうが。ギャーギャー言っても結局好きなんだもんな。面白いよ、エロ漫画。