インターネットのけもの

全て妄想です。

インターネットに求めたもの

先日、久々に記憶が吹き飛んでいってしまうほど飲んでしまい、結構な数の人達に迷惑をかけてしまいました。都合がいいのか悪いのか、記憶の方は綺麗サッパリ海馬から出ていってしまったので、結構な数の人、というのも推測でしかないのですが、酔いつぶれた翌日に、そのとき居合わせた人の何人かに聞いてみたところ、それはまあ酷い有様だったとのことでした。

マーライオンのごとく口から吐瀉物という名の噴水を吹き出す、「僕には全て見えてるんですよ!」とのたまいながら女子トイレに突っ込む、痴呆症ヅラを浮かべながら「僕が競馬の何たるかを教えてあげますよ!」と得意げに耳打ちをかましまくる、などと今の僕が聞いたら「なんとしてでもこいつを殺さなくては」と使命感が燃え上がってくるようなエピソードがバンバン出てきて思わず舌を噛み切りそうになったほどです。

ですが、これらのエピソードはまだ可愛いものでした。続いて聞かされたエピソードに、僕は「もしかして結構まずいことをしたのでは?」と、その日から上手く眠れなくなってしまうほどの衝撃を受けてしまったのです。

僕が酔いつぶれたその集まりにはインターネットで記事を書いているような、いわゆるライターと呼ばれる方々がチラホラと参加していたのですが、事もあろうに、僕はその集まりの中で、それも結構な大声で、彼らが書いている媒体を「あんなものはインターネットじゃない」だの「あれのどこが面白いんだ」だの、好き放題に言い回っていたようなのです。更に悪いことには、初対面のライターの方には、「〇〇の文章の方が圧倒的に面白い」とか言って、完全に虎の威を借る狐スタイルで絡んでいってたらしいというのですから手のつけようがありません。

僕は今まで、うつ病だの精神的な病だのというのは、結局の所甘えなのでは?という老害サイドの考えを持っていたのですが、一連の話を聞かされてから、初めて精神的に弱るとはこういうことかと理解することが出来ました。この場合は、まあどう考えても完全に僕が悪いのは明白なのですが、それによって周囲に迷惑をかけたかも、嫌われたかもと考えてしまうと、なんだか他の関係の無いことまで自分が悪いのじゃなかろうかと考えてしまうのです。

今では随分と立ち直る、もとい開き直ることができるようになりましたが、それでも、なんでこんなことを言ってしまったのか、思っていることが口に出たのだとしても他になにか言いようはなかったのか、とついつい考えてしまいます。25歳にもなって酒の量の調整もできないような僕が悪いことは分かっているのですが、考え抜いた末に自分の中である程度納得がいくところまで纏まりがついたので、一通り書き出してみようと思います。今日のは日記というよりはメモですね。

 

 

完全に主観の話になってしまうのですが、最近のインターネットにおける「面白い」という評価は、「興味を唆られる、見ていて楽しい」という面が強くなっているように感じます。いろんな媒体に蔓延る記事の多くが「こんなことしてみました」や「あそこへ行ってきました」という体験記であり、笑いを取るというよりは、単純に良さを広く伝えたいという目的のもと、書かれているような気がします(もしくは、こんな凄いことしたから反応して!的なの)。こういう題材は、あとで触れる広告記事とも親和性が高いので、最近特によく見かけるようになったのかなとも思います。ですが、これはあくまでも「興味を唆られる、見ていて楽しい」であって、「面白い」とは違うんじゃないかなと。

純粋に笑いを取りにいくという意味での「面白い」はどんどん数を減らし、残った少ない「面白い」もメインコンテンツは文章ではなく、画像になっていることが非常に多いように感じられます。文章の流れで笑いを取るのではなく、画像のインパクトで笑いを取りにいっていたり(それは顔芸であったり面白い構図であったりする)、人間関係を利用した笑いの取り方(特定の媒体のライターは今どき顔出しが当然なので、そこの人間関係、あるいは外部の偉い人なんかを利用したようなもの)が大勢を占めています。

このあたりはインターネットを使う人が増えた以上、より大勢に受けるためには仕方のないことだとは思うのですが(長い文章をしっかり読むことで分かる面白さよりも、画像でパッと見て分かる面白さの方が気軽に見てもらいやすい)、テキストサイト文化からインターネットの面白さに目覚めていった僕としては結構悲しいものがあります。

僕は画像を使わずにテキストのみで、ときに綿密に練り上げられた長文で、ときにスピードとテンポを兼ね備えた短文で、文章という限られた表現をギリギリまで広げて狙われた笑いの取り方が好きだったのですが、残念ながらそういう表現をする人はどんどん減ってしまいました。テキストサイト全盛期にそういう表現をしていた人も、多くは書くことを止めてしまったか、画像を使うようになり文章量が減ってしまった方がほとんどだと思います。お前がそう思いこんでるだけでまだまだ普通にいるよ、という指摘もあるかもしれませんが、見かけにくくなったことは事実だと思います。というか、どこかに隠れているなら教えてもらいたいくらいです。すぐに読みに行く。

画像が使われていることが悪いとは思いませんが、なぜだか僕は文章のみで生み出された笑いのほうがより面白く感じられてしまうのです(フォント弄りもあまり好きじゃない)。なんだか今の多くのサイトはフォントを弄ったり、画像を強調することで、「ほら!ココが笑いどころですよ!」と押し付けてきているようで、心から楽しむことができにくくなってしまいました。ただお前が懐古主義なだけだろ、と言われたら全くもってそのとおりなのですが、多分これは思春期という人格形成の重大な部分を担う時期に、一人引きこもって気に入ったテキストサイトの過去ログやら有名テキストサイトをひたすら読み込むという破滅的な行為に身をやつしていたからというのが重大な因子となっているような気がするのですが(一時は好きなサイトの日記の書き出しを読むだけで内容を全部想起できた)、今回は僕は文章だけで構成された笑いに重きをおいてしまうようになったということだけが伝わればそれでいいです。一般論ではなく、僕個人の話ですね。

インターネットの笑いの変遷について、もう一つ重要な柱となるテーマがあります。それは記事広告の存在です。面白い文章や記事を書けるライターは、一定数のファンが付いており、インフルエンサーと呼ばれたりすることがあります。そういった人たちに記事を書いてもらうことで大きな宣伝効果を狙うというものですね。これ自体は悪いものだとは思いませんが(実際、「興味を唆られる、見ていて楽しい」記事とは親和性が高く、僕もこれはいいなと思ったことがある)、笑いという要素と掛け合わせると途端に難しいものになってしまいます。というのも、笑うということは何かしら琴線に触れるところがあるから笑うわけですが、その最中にいきなり広告が現れてしまうと、困惑するばかりで興が削がれるからです。

商品名などを自然に登場させるのは非常に難しく、どうしても不自然で全体のテンポが悪いものになってしまいがちです。始めのうちはそういう記事を読んでも、「宣伝要素がなければもっとテンポが良くて笑えるいい記事なのになあ」と思うくらいだったのですが、あまりに頻繁に広告記事を見かけるようになると(しかもサイトに貼られている広告の割合も増えていたりする)、「この人達は笑わせるためというよりはお金のためにこういうことをしているんだろうか」と穿った見方をするようになってしまい、なんだか心の底から楽しめることが無くなってしまいました。

お金が稼ぐことは悪いことではないですし、面白いものはそれでも面白い。どう楽しむかは僕がとやかく言うことではないのですが、一度そう思ってしまうともうどうしようもないのです。それに加え、ある文章を書いた人にスポンサーが付くとなったとき、書いていた文章に色々と直しが入ったという話を聞いてからは、そういう曲げられた意図のようなものを感じてしまい、なおさら楽しめなくなってしまいました。僕は書きたくて書かれた文章が読みたいのであって、決してスポンサーの意図を汲んだ文章が読みたいわけではないのです。それによって、元の文章の魅力が失われているとなったら尚更です。ちなみにその人の文章は未だに公表されていません。あまり直しはしたくないと言っていたので、未だに折り合いがつかないのかポシャってしまったのか判断は出来ませんが、スポンサー云々の話がなければ普通にブログかどこかに乗せるつもりだったと聞くと、一読者としてはただただ残念というほかありません。

 こうしたスポンサーに配慮した文章が増えてきた背景としては、ライターとして食っていくことが昔に比べて容易になったからという理由があるのではないかと思うのですが、このあたりはどうなんでしょうね。ただの僕の決めつけだといいのですが、もしそうである場合、文章で食べていくために記事広告を書かねばならないのだとすれば、スポンサーが付きやすい文章を普段から書く必要があるでしょう。即ち、広く大衆に受けるような文章となります。となると、普段の好きに書いている文章でも下手なことは書きにくくなります。であれば、本当に書きたかったものは曇り、八方美人な文章になりがちになってしまうのではないでしょうか。

先ほどスポンサーが付いたことで文章に直しが入ったが入った人の話をしましたが、例えばこの人は、かなり下品で過激な文章を書かれているような方でした。文章がどこかに載ると聞いたときは、「あの文章が果たして今のインターネットに受け入れられるのだろうか…」と不安に思ったのですが、それが見事に的中した形となってしまいました。僕はそういう下品で過激な、どこにも誰にも配慮していない尖った文章が大好きだったので、今の優しい文章に溢れたインターネットは物足りなく感じてしまいます。

どういう文章が好きか、なんて話題は完全に好き嫌いの話にしかならないのは分かりきっているのですが、僕の場合はインターネットでこそ触れられる、TVでも小説でも扱われないような、個人が思っていることを思っているままに吐き出したような、遠慮のない刺激的な文章が好きでした。そこに多少の配慮はあったにせよ、あくまで自分が面白いと思うことを突き詰め、書きたいことを書く文章に憧れを抱いたのです。最近よく見る記事(正直、この「記事」という表現もあまり好きではない、なんかどこかの媒体に載ることを前提に書かれている気がして)は、良くも悪くもTV的というか、嫌われずに広く浅く受けることを目標に書かれている気がしてなりません。

そこまでウダウダいうなら自分で書けよ…。と思われるかもしれませんが、そんなことが出来ればとっくに書いてますし、そもそも一読者として文章を楽しみたい思いからこんなことを考えているわけです。それに、仮に僕が面白い、納得の行く文章を書けているとしても、それは元々自分の中にあったものであって、目新しさを感じることはないと思います。我ながらワガママなものですが、僕が人が書いた面白い文章が読みたいのです。

文章を書く人と読む人の関係性について述べさせてもらうならば、まあこれも完全の僕の考えでしかないのですが、従来、サイト管理人と閲覧者の関係は泥棒に近いものだと考えていました。セコセコと文章を認めた管理人に対し、閲覧者はどこからともなく現れ、好き勝手に文章を盗み見た上に、あれこれ評価を下すわけです。そこに金銭の介在はなく(投げ銭的なものはあったにせよ)、管理人は純粋に多くの人に見てもらうことで楽しんでもらいたい、評価してもらいたい、あるいは本にして出版したいなど、様々な思惑を掲げ、閲覧者は単純にインターネットを楽しみたいと思い読むという関係性が構築されていたように思います。

それが今や、スポンサーの介在によって、スポンサー→管理人→閲覧者という構図になってしまっているような気がします。これは先程も述べたように記事広告に限った話ではなく、それによって影響を受けざるを得ない、普段しがらみのないはずの文章もそうなってしまっているのだと思います。なんというか、皆が自分の好きなものだけ書いていれば、もっと多様性が育まれると思うのですが、なんだか似たようなフォーマットの元(こんにちは、〇〇です。といいながらライターの顔写真を出す→なんかやったり行った場所を紹介する→いかがだったでしょうか…、などなど)、題材だけを少しずつ変化させた記事が量産されている気がしてなりません。これではいくらテーマがよくても、どこかありきたり感を感じてしまっってなんだかもったいない気がします。

ここまで書いてきて気付いたのですが、僕は今のインターネットに不満を持っているというよりは、皆もっと面白いはずなのに勿体無いなあと、嘆いているだけなのかもしれません。僕が散々に好き放題言いまわったという媒体も、僕は好きだった時期が確かにあったのです。それがいつの間にか、拝金主義に走ったように見えるようになってきてしまい、心から楽しむことが出来なくなった末に、腐すような言い方をしてしまったのでしょうか。どちらにせよ、僕の捉え方が捻くれてしまっているのは間違いないと思います。

ファンがアンチになるまでの流れを綺麗になぞっている気がしてなりませんが、書き手の意思が曲げられている(気配がする)というのが気に入らないのでしょうね。それは気のせいなのかもしれませんが、一度そう思ってしまった以上、どうしようもないのもまた事実です。

絵描きにはentyやFANBOXなどの閲覧者が直接パトロンになれる仕組みがあるのに対し、ライターにはそのような仕組みが非常に乏しいのが現状です。このへんが強化されれば、好きなことを書いている人たちが、そのままに収入を得ることも出来たのかなと思いますが、実際問題スポンサーが付くことに比べると、やはり金額の差がでてしまうでしょうから、結局は今の形に落ち着いていたのかもしれません。

思っていた以上に長々と綴ってしまいましたが、ここで述べたことは完全に僕の主観でしか無いので、実情は全く違うものなのかもしれません。そもそも、別に僕はライター事情に明るいわけではないので、思い込みで書いているところも随分ありますしね。ただ自分が何を楽しめて(楽しんできて)、何を楽しめないのか(楽しめなくなってしまったのか)、考えを巡らせているうちにそれっぽい結論が出たから一度書き出してみた次第です。

なにも酔って喚きまくっていたことを正当化しようと思っているわけではなく、なぜあんなことを口走ってしまったのか原因を求めているうちにつらつらと書いてしまいました。まあ完全に後付けの理由だろって感じもしなくないのですが、酔いつぶれていたときの自分が、意識してたにせよ無意識だったにせよ(まあ無意識だったのでしょうが)、思っていたことからそう離れてはいない結論が導き出せたような気がします。

思っていたからと言ってそれを口に出していいかというと、決してそんなことは無く、秘めたる思いは秘めたままでいたほうが幸せであることが多いのですが、酔ってポンコツになった僕はゲロと一緒に思いも全てまとまらないうちに吐き出してしまったようですね。迷惑かけた、不快にさせてしまった方々にはまた改めて謝罪するとして、僕の考えはここらでまとめさせてもらいます。

 

ほんと、ただのメモ書きだな。でも、これがどれくらい間違えていて、どれくらい合ってるのかは知りたいなと思う。このメモには関係ないですが、どうやら今日は「テキストサイト100人オフ」が開催されていたようですね。参加者リストを拝見したところ、知らない名前がいっぱいあったので、しばらくはこれらのサイトを巡ってみることにしようかな。

 

クロムクロ舞台探訪記

前回の日記を書いた直後は、「一眠りしてから続きをサクッと書いてしまおう」とか考えていたはずなのですが、まあなんというか当然のごとくそうはならず、3日経ってようやく書くに至りました。どうやら僕は自分で決めたことすら守れないようです。

あと舞台探訪と銘打ちましたが、実際に行ってきた場所といえば黒部ダムだけなので、ただの観光と何ら変わりありません…。舞台探訪と言ってしまうことで、まるで自分が何かを成し遂げてきたような気持ちになれるためについこんな書き方をしてしまいました…。

他の舞台となった場所も見て回るためには富山・立山側から黒部ダムを目指すべきなのですが、今回は日帰りという事情もあり、長野・扇沢側からダムを目指します。富山側には学校のモデルや、イエロークラブ(最初に富山湾に落ちてきたやつ)との戦闘地なんかもあったりするようなので、いずれは見にいかなければなりませんね。

 

 

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6:30始発のトローリーバスに乗るつもりだったのですが、扇沢に到着したのが6:35と、微妙に間に合わなかったため、7:00発のトローリーバスに乗車する事になりました。小雨予報だったこともあり、早朝はまだ人が少ないかと思っていましたが、この時点で無料駐車場は満車、有料も7~8割方埋まっているという有様。連休パワーの為せる技なのか、普段からこの調子なのかは判断出来ませんでしたが、この時間くらいからツアーのバスなんかも到着し始めるらしいので、早朝に行くならば始発か次くらいまでに乗れるように手配しておいたほうが良いかと思われます。

 

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トローリーバスは1台だけではなく、3台ほどが連なって進むため一回あたりに乗れる人の数は思っているより多いです。ちなみにトローリーバスとは道路上空に張られた架線から取った電気を動力として走るバスのことで、バスと名付けられてはいますが仕組みとしては路面電車に近いものです。排気ガスを出さない、軌道を敷設する必要がない、などの長所がありますが、稀にトロリーポール(集電装置)が架線から外れるトラブルがあるなどの架線に関わる短所が多い、とWikipediaに書かれていました。実際に乗ってきたにも関わらず、ネットで情報を集めてしまうあたりに現代社会の歪みのようなものを感じますが、便利なものは便利なのでどうしようもありません。

 

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扇沢駅を出た直後は周囲の山々の景色を楽しむことが出来ますが、バスはすぐにトンネルに入ってしまうため、道中の景色を楽しむってことは殆どできません。この時点では分かっていませんでしたが、このトンネルの掘削には多大なる労力が掛けられていたと知ると、ただのトンネルが素晴らしいものに見えてくることでしょう。きっと、往路よりも復路の方がこのトンネルを楽しめることだと思います。

 

 

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15分ちょっとで黒部ダム駅へと到着します。ちなみに、富山・立山側から上ってきた場合は、この黒部ダム駅ではなく、ダムを挟んで向かい側にある黒部湖駅に着くことになります。そもそもルートが全く違うので当然のことではありますが。

乗ってきたトローリーバスですが、来年からは新しい電気バスに変わってしまうらしく、バスの車体にもステッカーが貼られ、アピールされてました。日本にはこの扇沢-黒部ダムと、立山からダムへの道中にある室堂-大観峰の2ルートしかトローリーバスが運行されていないようなので、なかなかにレアな乗り物だったということですね。

 

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黒部ダム駅ホームにはオコジョの写真が飾られていました。どうやら周辺にオコジョが生息しているようで、黒部ダムのマスコットキャラクター「ダムダムくん」もオコジョがモチーフになっている、というよりはオコジョそのものでした。それにしてもダムダムくんってちょっと安直すぎるのでは…。まあ、黒部ダムと関係が深い生き物であることは間違いないようなので、おそらくクロムクロでオコジョを出してたのもそのへんから来ているのでしょう。

 

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駅はトンネル内というか地中にあるので、ダムに出るまでは更にトンネル内を徒歩で進んでいく必要があります。朝早く湿度が高いためか、よりひんやりと感じられる道中でした。それにしても古びたトンネルに謎のパイプやら、おそらく整備用と思われる一般人立入禁止の横道やらがあり、妙に退廃的に感じられました。デカダンというやつですね、カルロスが撮りたがってたやつ。使い方合ってるかは知りませんが。

 

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トンネルを出たところで「黒部ダム」の記念碑がお出迎えです。午前中は小雨予報でしたが、この時点では曇りでまだ雨は降っていませんでした。周囲の山々も色付く季節であり、景色を見ているだけでも楽しめそうです。ダムの標高は1454mとなっていますが、これは扇沢駅とあまり変わらない高さであり、ダムに来たらかといって更に厚着をしなければならないと言うほどではありませんでした。

 

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大自然の中に突如として現れる巨大建造物と、それによってもたらされる湖。トローリーバスで登って来た僕でも相当な衝撃を受けたのですから、登山道で登ってきたような人が受ける衝撃は計り知れないものになるでしょう。これくらいの時間だとまだ人が少なく、落ち着いた雰囲気が漂っていました。

 

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黒部ダム駅からダムへのトンネルを抜けて右に目を向けると、斜面に沿って階段が設置され、それぞれ上下段に展望台が設けられていました。放水箇所をよく見るには下の展望台に行くのが良さそうですが、まずは全体を見渡してみたかったため、上を目指しました。

 

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階段途中からダムを望むと勢いよく放水が行われていました。現地にいた係員みたいな人が言うには、放水はダム上部からと下部からの2パターンあり、今日は上部からの日で、迫力ある放水を見られる日だとのことでした。ですが、ダムにいる間はもちろん、家に帰ってから全知たるインターネットで調べてみても、放水箇所が2つあるなんて情報が出てこなかったため、僕は一体何が真実なのか分かりませんでした。

あと、ここはミラーサとムエッタが争っていた場所でもありますね。実際に放水箇所を見た感想としては、こんな場所から落ちたら普通に死ぬな…です。普通すぎるとは思いますが、それ以外何も浮かばないのですからどうしようもありません。

 

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上の展望台から眺めるこのカットは作中でも登場していましたね。作中では右側に国連の研究所が建っており、湖にはアーチがかかっていたわけですが、当然ながらそんなものは影も形もありませんでした。ですが、山の形なんかは同じなので、やはりどこか面影は感じられるなあ、と思わずにいられませんでした。

 

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湖奥部は晴れていましたが、湖側は未だに曇りといったところ。太陽があたっていると、やはり映えるものがありますのでこちら側も晴れてくれるといいのですが、雨予報だったことを考えると降ってないだけマシかも知れませんね。それにしてもいい景色です。

 

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ここらで少し遅い朝食兼昼食をとりました。作中で剣之介も食べていたダムカレーをチョイス。まあ味は観光地の例に漏れず、可もなく不可もなくといったところでしたが、ダムを眺めながら食べると作品の空気がより感じれてグッド。

まだ9時すぎだったのですが、食堂の席が埋まり始めており、食後はとっとと退散し、ダムを渡って黒部湖駅側を目指すことにします。食事時には食券を買うために1時間近く並ぶこともあるようです。

 

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ダムを渡っている途中で放水口側から下を覗き込んでみると、また違った迫力があります。立地上風が吹き込むためか、霧雨状になった水がダムを渡っている僕たちに容赦なく濡らしてきます。写真を撮っているとデジカメも容赦なく濡らされてしまうため、戦々恐々としながら撮っていたのですが、普通に容赦なくレンズがびしょびしょになっていたので、僕は自分の注意力の無さを嘆くことしか出来ませんでした。

 

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ダムを渡っている途中、黒部ダム駅側を振り返ってみると、作中でも何度か見かけた景色が現れました。研究所側から外をみると同じ方向を見ることになるのでこのカットが何度か出てきたんでしょうね。

 

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右手に見えるトンネルを通った先に富山・立山側からの到着駅、黒部湖駅があるわけですが、それ以外にも遊覧船「ガルベ」乗船口や外に通じる湖畔遊歩道に通じています。今回ガルベには乗りませんでしたが、次回来たときにはぜひ乗ってみたいところです。

 

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遊歩道はハッキリ言ってめちゃくちゃ雰囲気があるので、一度は通っておいたほうがいいと思いますが、人が多くなってしまうとこの静かな雰囲気が失われてしまうので、やはり早朝の静かな時間に水音を聞きながらゆっくり散歩することをおすすめします。

 

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遊歩道の途中にガルベ乗船口があるのですが、その近辺の売店に貼られていました。放送から2年以上経っているにも関わらず、こういうのが残っているとなんだか嬉しくなりますね。売店でこのポスターが販売されていたのでつい購入してしまいました。家には飾るところがないので、買っただけで終わってしまったのが悲しいところでしょうか。いずれ気兼ねなくポスターを貼れる家に住んでみたいものです、とか思いましたが、多分その頃にはなんだか勿体なくて貼れないような気もします。2枚買うべきだったのかもしれません。

 

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売店内にはこのような謎のコーナーが作られていましたが、本当にただこれが置かれているだけで、特にコミュニケーションノートや、舞台マップなんかもなく、存在意義がよく分かりませんでしたが、バーナーが手書きだったので妙な熱を感じることができ、嬉しくなりました。

 

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そのまま遊歩道を進んでいくと、これまたいい感じの吊り橋があり、このまま先へ進んでいくと完全な山道に繋がります。ロッジなんかもあるようで、黒部ダムで宿泊もできるわけですね。一回くらいは泊まってみたいものです。

 

 

本当にただの旅行記って感じで終わってしまったので、いずれは富山を含めてしっかりと舞台をまわり、舞台探訪記の形にしてまとめたいところですね。前日にクロムクロ26話イッキ見してから行ったというのに殆ど活かすことが出来ないままに終わってしまったのが無念。遠い場所でしたが来てよかったと思える場所でした。またいずれ。

 

「私追いかけるから!絶対追いつくから!」

そうだ 黒部、行こう。

先週の3連休を利用して黒部ダムに行ってきました。行く前は「まあよく聞く場所だし一回くらいは見に行こうかな…?」くらいのテンションだったのですが、実際に訪れてみると、あまりの迫力に圧倒され、「こんなものを50年以上も前に…?人間ってとんでもなさすぎるだろ…」と驚嘆することしきり、また改めて訪れようと決心させられたため、その良さを喧伝するべく、インターネットの片隅に愚文を残しておこうと思った次第です。まあこんな日記で喧伝もクソもないですが。

そもそも、書こうと思ってから一週間も経ってからようやく筆をとったあたり、自分の本気度を疑ってしまうのですが、それは全て「仕事を終えて帰ってきたというのに、どうせ誰も見ていない文章を急いで書く必要があるのだろうか?」という当然すぎる疑問に苛まれてしまったからという他ありません。真理に触れてしまった僕は普通にラノベとか読んでいたわけですが、それも一段落してしまったので書いていこうと思います。(電撃文庫から出ている「86 -エイティシックス-」が今のオススメです!)

 

黒部ダムに行こうと思い立ったのは、先週の金曜日、めでたい3連休前日の終業後のことでした。終業の鐘をトイレの中で聞いた僕は、まだ皆がデスクに残っているのを尻目に「お疲れ様です!」と、就業中からは想像もつかないスピードで職場を後にしました。

帰り道、さて3連休は何をして過ごそうかと考えてみたのですが、ろくに遊び相手がいない僕には競馬くらいしか思いつきません。3連休全てを競馬に捧げるというのも中々悪くないような気もしましたが、どう考えても恐ろしいスピードで財布を空にされる未来しか見えなかったので、そんなことに貴重なお金が奪われるなら、せめてどこかに出かけよう、どうせ出かけるなら行ったことのない場所にしよう、それなら黒部ダムなんかがいいんじゃないだろうか、ずっと気になってたし。ということで黒部ダムに行くことに決めました。アニメ「クロムクロ」の舞台であることも影響したような気がしますが、僕はオタクではないのでよくわかりませんでした。

黒部ダムは富山と長野の境にあり、そのどちら側から行くかによって2つのルートが存在しています。観光目的で行くのであれば様々な乗り物を乗り継ぎ、道中の景色を楽しめる富山側から行くのがいいのですが、このルートは運賃がべらぼうに高く、麓の駅とダムの往復に一人あたり1万以上かかってしまいます。近所のコンビニでジュースを買うのをためらい、少し離れたスーパーで購入するような僕がこんな金額を捻出できるわけがありません。また、時間の面でも片道2時間近くかかってしまいます。一方、長野側から行く場合は、駅からダムまで往復で2500円程度、時間も片道15分ほどと富山側からのルートに比べると随分お手軽です。今回は日帰りで行くことを想定していましたので、長野側からのルートを選択することにしました。

 

僕は大阪在住ですので、長野までの足を確保せねばならないのですが、ここで一つ問題が。やはり黒部ダムと言えば、それなりに知られた観光地ですので、連休中であれば人が多くなることは想像に難くありません。しかし、大抵の場所は朝イチで向かえば大混雑しているということもありません。日帰りということも踏まえると朝イチは理想的ですらあります。長野側の発着駅である扇沢からダムへのバスは6:30始発ですので、これに合わせていけばそれなりにゆったりと回れることでしょう。ただし、大阪から長野までは約6時間かかりますので、日が変わる頃に出発しなければならず、移動手段も車しかありません。そうと決まれば、早速実家住まいの権限をフル活用して親に車を借りることにします。座右の銘は「使えるものは何でも使え」です。

とか書いているうちにもしや?と思うことがありましたので、少し調べてみたところ、普通に大阪を夜に出て扇沢に朝に出るバスが毎日運行していました。まあ、後述する理由からどうせ自家用車で行くしか無かったのですが…。

 

早速、黒部に行くから車を貸してほしい旨を両親に伝えますと、かえってきた答えは「どうせなら家族皆で行こう」というものでした。どうやら両親も興味があったらしく、息子が行くなら家族旅行的なものにしてやろうと考えたようです。僕としては、道中クロムクロのOPやサントラ、他アニソンなんかを聴きながらテンションを上げつつ、黒部に向かいたかったので勘弁願いたいところではあったのですが、よくよく考えると家族旅行という大義名分を得れば、ガソリン代や高速代を全て出してもらえるのではないか?という圧倒的に情けない打算のもと、「久しぶりにそういうのもええかもな」と答えていました。

案の定、家族旅行だからということでガソリン代、高速代どころか飲食費や扇沢からのバス代も全て親にタカることになるわけですが(そもそも財布を持って行きませんでした!)、その分ほぼすべての工程において運転手を命じられるハメになってしまうのでした。夜中の出発から往路は6時間、ダムで4時間、復路は渋滞に巻き込まれながらの8時間、というのは中々にスリリングで、特に渋滞中なんかは不眠状態での運転ということもあって普通に事故るんじゃないかと思わざるを得ませんでした。これだけの運転時間になると眠さを散らすためにと、いっそ開き直ってアニソンどころかドラマCDとか普通に聴いてました。考えてみれば、クロムクロのOPはGLAYが歌ってるわけで聴いてても何とも思われないでしょうしね。ただ、聴いてたドラマCDで入浴シーンが唐突に始まったときは焦った。今更止めるのも意識しすぎてるみたいでなんだかな、とか思っているとなんかお互いのおっぱいを触りだすシーンが始まったりしてもうどうしようもありませんでした。その時はちょうど母親が助手席に座っていたのですが、彼女が何を思っていたのか、今となってはもうわかりません。

あと、渋滞時のトンネルで爆音を撒き散らしている車と出会ったときには、今デスノートを持ってたら勢いで死神の目の契約をしてるだろうなと確信できるくらいキレそうになりました。寝ないとキレやすくなっていけませんね。

 

そろそろ黒部ダムのことを書いていこうと思っていたのですが、ダムのことはまた別に認めたいと思います。というのは、そもそも今日の日記は舞台探訪記という形にしようと思っていたにもかかわらず、なんだか前置きだけつらつらと述べてしまったからです。こんな文章では探訪記とは呼べませんしね。こういう計画性のないところは自分では割と好きです。

今日の嬉しかったこと

昨日どうしようかと思っていた書類ですが、今朝出社して適当に過去の資料をぼんやりと眺めていたところ、なんか僕が作らなければならない書類の参考になる資料、というかほとんど僕が作る予定だった書類まんまの資料を見つけてしまい、僕は「人生とかってまじちょろいな…」と思いながら丸々コピーしてやったのでした。

1時間ほどでパッと仕上げてしまった書類でしたが、提出してみると特にツッコミもないままに受け取ってもらえたため、僕は本当に天に愛されているのだなあと実感してしまいました。

今までの人生もこんな感じでなんとなく乗り切れてしまったから今の僕はこんなふうになってしまったのでしょうか。天に愛されるというのも考えものですね。

理想の大人像

僕が今なによりも驚いているのは、幼い頃、「いずれは自分も真っ当な大人になって仕事に励み、世のため人のために尽くし、社会発展の礎を気付いていくのだろう」と思っていたはずが、実際に社会に出てみると明日提出しなければならないはずの書類が全く仕上がっていないにもかかわらず、颯爽と定時で帰ってしまえる人間になってしまっていたことでした。

小学生の頃の僕は真面目と言えるほどではありませんでしたが、それでも成績優秀、責任感もたっぷりと持ち合わせており、将来の夢は科学者になって宇宙発展に携わる研究がしたいという、今の僕を見たら絶望して自殺とかを考えてしまうんではなかろうかというくらいに真っ直ぐな少年だったわけですが、今日の僕といったら仕事はサボるわ居眠りこくわ、果ては携帯いじるためにトイレに駆け込むわと全くいいところがありません。仕事が出来ないだけならまだしも、先日は酒の飲み過ぎで人様に迷惑をかけまくるという底辺層の必修科目を輝かしく優の成績で収めてきたばかりです。

一体いつからこんな人間になってしまったのかと考えてみたのですが、すでに中学生の頃には「忘れ物のしすぎ」とかいう理由で音楽の成績が学年中下から2番目だったという大変不名誉な経験がありましたので、もしかすると小学生の頃は優秀だったという記憶も「せめて小学生の時くらいは良かったはず…!」と思い込んだ僕が作り出した幻想なのかもしれません。ちなみに、後日成績表を片手に音楽室に乗り込んだところ、どうやら不登校児より成績が下だという衝撃的すぎる事実を伝えられました。ハッキリ言って授業に出ていないやつよりも成績が下だという事実は全く意味がわかりませんでしたが、それ以上に僕よりも更に下のやつがいることに妙な喜びを感じてしまったことをよく覚えています。

 

そんな僕でもなんとか高校、大学には行くことが出来ましたし、その都度、問題があってもなんとかなるだろう、時間が解決してくれるだろうと思い、様々な問題を先送りにしてきたのですが、まさか今日になってこのツケを払わされるハメになるとは思ってもみませんでした。よくよく考えるまでもなく、完全無欠に自業自得なわけですが、こうなってしまったのもなにかの縁、三つ子の魂百までといいますし、自分の性格をどうこうするよりは、この性格をどう上手く運用していくべきか考えるほうがいいのかもしれません。

とりあえず明日提出の書類が全くもって出来上がっていない件については、うまくやり過ごさなければならないわけですが、考えてみると、別に書類が一つ出来上がってないくらいで死ぬわけではないし、もっと現実的なところで言ってもクビになったりするはずがありません。怒られるくらいならあるかもしれませんが、昨今の情勢を鑑みるに、向こうもパワハラとかいうワードには敏感でしょうから、精々お小言を頂戴するくらいでしょう。それをなだめすかして、これから頑張る姿勢をみせれば却って評価が上がってしまうかもしれません。今までのサボりは伏線だったというわけです。もちろん、上司が残業に追われているのを尻目に定時で立ち去っていたのも伏線だったわけです。

 

多分、こういうことばかり考えているからいつまで経ってもこんなんなんだとおもいます。これまでがサボりまくりだったからと言って、これからもそうあらねばならない道理はありません。むしろ長い人生という視点で見るとこれからこそが本番、今こそが頑張りどころです。定時で帰ることは決して悪いことではありませんが、上司が苦しんでいるなら手を差し伸べる姿勢くらいはみせるべきだったのです。仕事をほっぽり出して帰宅するなどあってはならないことでしょう。

そうと決まれば、明日は書類が出来ていないことに詫びを入れ、その後は一心不乱に書類に向き合うべきです。居眠りなど言語道断ですので、万が一を考え、今日は早めに寝てしまうべきでしょう。いつものようにインターネットの海にダイブして気がつけば3時だった、なんてことは絶対に避けなければなりません。

 

ところで話は変わりますが、昨日アニメのBDを買いました。「イリヤの空、UFOの夏」という作品で、アニメ単体の出来はそこそこといったところなのですが、原作の出来が素晴らしく、僕は原作者である秋山瑞人の大ファンであることから購入に踏み切りました。特典として、過去に収録された短編の再録集もついており、大満足です。先程この短編集を読んだのですが、あまりの面白さにアニメ本編を見てしまおうという気持ちになったほどです。ちなみに、アニメ本編は30分×6話で約3時間あります。今日は早く寝たほうがいい日です。現在時刻は22:30。

ここにあるのはバラバラのピース。それらがどう組み合わさって、どういう結末を生むのか僕にはわかりませんが、一つだけわかることもあります。

面倒になったら携帯片手にトイレに駆け込もう。