インターネットのけもの

全て妄想です。

2019年の幕開け

ちょっと自分でもびっくりするくらいに年末年始は遊び呆けていたので、日記を書く時間は1ミリたりとも存在していなかったのでした。具体的には10連休中9日間は全く家にいなかったため、僕は自分のアクティブさに驚きすぎたあまり、腰をやってしまったのでした。それにしてもびっくりした。テーブルを運んでいたら急にパキって鳴りましたからね。なにか踏んだかな?と思って体勢を変えようとした途端に腰に走る激痛。ああ、これが腰をやってしまうということなのね…。連休最終日である今日は連休中の出来事をシコシコと認めようと思っていたはずなのですが、あまりの腰の痛みにそれは叶いませんでした。腰をやってしまう、というのは話にしか聞いたことがなかったのですが、まさかココまで辛いものだったとは…。ハッキリ言って明日まともに仕事ができるか不安で仕方がないのですが、よく考えてみると、別に腰が痛くなくてもまともに仕事ができているか怪しいところだったので、いらぬ心配でした。日記は腰がマトモになったらいっぱい書くぞ!と今のところは思っているのですが、自分と25年以上も付き合ってきた僕が考えるに、まあたいして書かないんだろうなと思います。2019年も波乱の一年になりそうです。

「ロリータ」感想

普段は漫画ばかり、時には小説と言い張りながらライトノベルばかり読んでいる僕ではありますが、たまには一般文芸なんかも読んだりするわけです。一般文芸とライトノベルの違いって何だよって思われるようなめんどくさいタイプの方もおられるかもしれませんが、まあそこは皆さん大人ですから分かってもらえると信じています。ポルノと一緒ですよ、見ればわかるってやつですね。

世の中には本というものがそれこそ一生かかっても読みきれないほど溢れているわけで、こんなにも溢れている本の中から「気になったもの」という条件をつけて抜き出してみた一部であっても途方もない量になってしまいます。軽い気持ちで集めるには時間もお金もかかってしまうので、僕はよく図書館を利用しています。

図書館はいいですよ。なんてったってタダで本が読み放題なうえ、雑誌のバックナンバーから絶版本まで、大抵のものが揃っているわけですからね。特に国会図書館の蔵書量は圧巻の一言で、納本制度のおかげもあって日本で出版された書籍の大部分を読むことが出来ます。絶版でプレミアが付いている本なんかを読むには最適な場所と言えるでしょう。

 

このままでは図書館を賛美しただけで日記が終わってしまいそうなことに気がついたので本来書こうとした話題に無理やり戻しますが、つまり僕が伝えたかったのは、借りてきた本の感想を書いて見るから暇な時にでもその本を読んでくれ、お互いに感想を語り合おう、ということです。

普段は図書館で目当ての本を読み切り、借りていくということはしないのですが、今回は時間がなかったこともあり、初めて本を借りて帰りました。結果的には、借りていったのは大正解で、というのも今回借りた2冊のうち、1冊は1時間程度で読めたのですが、もう1冊のほうは読み終わるのに10時間弱かかったからです。

 

1時間程度で読めた本は皆川正三の「馬券師」という見紛う事なき糞本で、読み終わった瞬間に「は?」と素で出てしまうほどに意味不明なオチでした。馬券がテーマの小説だから競馬場で読もう!と単純すぎる思考のもと、実際に競馬場に持っていき、おっさんたちの咆哮をBGMに臨場感あふれる中で読んでいたので、その点では楽しめたのですが、いかんせん内容が悪すぎてなんとも微妙な気持ちになったものです。

もしかして自分の読解力が低すぎて、隠された真実のようなものがあるのでは?と思い、読み終わった直後にインターネット検索という禁忌に手を出したのですが、そもそも読者が絶望的に少ないらしく、一件たりとも感想・レビューを見つけることが出来ませんでした。

 

そしてココからが本題なのですが、10時間弱かかったもう1冊というのが、ウラジーミル・ナボコフの「ロリータ」です。ロリータ・コンプレックスの語源になっていることで有名な小説ですね。知名度が結構高い小説にもかかわらず、ストーリーすらよく分かっていなかったのでずっと気にはなっていました。

内容としては、主人公である中年の文学者ハンバートの手記という形をとっています。少年の頃の初恋の相手であるアナベルの面影を、12歳のドロレス・ヘイズ(ロリータ)に感じ取ったハンバートは、彼女に近づくためにその母親シャーロットと結婚するが、シャーロットは事故で死んでしまう。シャーロットの死後、ロリータを連れて数年に渡りアメリカ中を巡りながら、ロリータを理想の恋人としようとするも、その試みはうまくいかない。身寄りのないロリータは、ハンバートと一緒にいるしかなかったはずだったが、ある日ハンバートの前から姿を消した。3年後、ロリータから手紙が届き、失踪の真実を知ったハンバートは罪を犯す。

読む人によって何を主題と判断するかで捉え方も変わってきそうではありましたが、大筋ではこんな感じです。端折ってしまいましたが、細々としたエピソードが多く、それらが伏線となって、また別のエピソードと関係することもあります。ロリータの失踪の真実を考えてみるとミステリとしても読めますし、全米を旅行している最中はロードノベルのように楽しむことも出来るでしょう。

作者のナボコフってのがまたとんでもない人で、ロシア人でありながら英語で「ロリータ」を書いており、その文体がまた強烈に光っている。読んだのは日本語訳されたものなので、翻訳者によって色は多少変わっているかもしれませんが、文章に隠された遊び心や仕掛け、繊細な描写に濃厚な比喩と、文章を満足に楽しむことが出来ました。ただ、他の文学作品のパロディがやや多く、教養のない僕にはそのあたりは楽しむことが出来ませんでした。もっと色んな本に目を通してから再読すると、より一層楽しめることかと思います。

 

この作品は二部構成になっているのですが、第一部を途中まで読んだ段階では、結構面白い、笑えるところのある作品なんだなという印象を持っていました。この段階ではハンバートの葛藤や苦しみはまだほとんど無く、あったとしてもそこまで執着していないか、ロリータに対する気持ちのほうが強く感じられたからです。このロリータに対する気持ちはどんどん歯止めが効かなくなっていき、シャーロットの死後に一線を超えてしまいます。このときまではロリータの方もまだまんざらではなかったように思えます。

第二部でアメリカ中を自動車で回りだしてからは、ハンバートとリータの気持ちがどんどんと乖離していき、ハンバートの苦しみのほうがより伝わってくるようになります。母親という邪魔者が消えてロリータとの理想の生活が始まったハンバートでしたが、旅が進むに連れ、ロリータの気持ちは離れていき、ついには姿を消してしまいます。ハンバートは夢中になってロリータを探しますが、全く見つかりません。半ば諦めながら新しい生活を始めていたハンバートでしたが、ロリータから手紙がくるとその生活もあっさりと捨て、ロリータのために動き出します。

ハンバートは疑いようがなく少女性愛者であり、自分のような異性を引きつける少女をニンフェットと呼び、ロリータ以外にも結構目移りしていましたが、築いていた生活をあっさりと捨てられることからも、最も焦がれた少女はやはりロリータであり、それはもうニンフェットではなくなってしまったロリータに対しても変わらぬ気持ちを持っていたことからも明らかだと思います。

 

ハンバートからロリータに対する気持ちは本物だったわけですが、その一方でロリータからハンバートに対する気持ちはどんどんと離れていきます。旅を始めた頃まではまだ気持ちは近いところにあったように思えますが(それでも仕方なくってところが大きいと思う)、徐々にハンバートは邪魔な保護者になってしまい、その嫌いなハンバートに頼るしか無いという状況が、よりハンバートへの気持ちをマイナスにしていったのでしょう。

ですが、これはハンバート側の落ち度でしょう。旅の序盤こそはロリータの機嫌を取るような行動も見受けられましたが、徐々にロリータに対し自分の理想を押し付けていき、ついには行動を制限するようになってしまいます。さらにはその制限を解いてほしければ自分のお願いを聞くようにと、ロリータからスレば理不尽極まりない交渉を持ち出す始末。これでは、ロリータの気持ちが離れていくのも無理はありません。

多分、ハンバートはロリータが自分のものになったと錯覚してしまったがゆえに、調子に乗ったような振る舞いをしてしまったのだと思います。ハンバートはロリータが理想の恋人になる生活がずっと続くと一方的に思い込んでいて、ロリータの気持ちを考えられなかった。だからロリータは姿を消し、ハンバートは自分と向き合う機会を得て、ロリータからの手紙が届いてから、ロリータこそが自分の人生に必要だったと改めて気がついたのでしょう。残念ながらもう遅かったわけですが。

 

もうロリータが自分のものにならないと分かってしまったハンバートは最後に罪を犯すわけですが(ハンバート自身は罪だと思っていないようですが)、なぜあのようなことをしたのか、嫉妬心からくるものなのか、贖罪のためなのか、はたまた別の理由か、色んな理由が考えられますが、なんだかどれも違うような気がします。ですが、僕がハンバートと同じ立場になったと考えてみると、やはり同じ判断を下すだろうなという思いはあります。うまく説明できないのですが、そうしなければならない、ような。

というか、全体を通してハンバートの気持ちが分かるところが多く、めちゃくちゃハンバートに感情移入して読んでしまいました。ハンバートの気持ちが分かると言うと、なんだかすげーヤバいやつみたいな印象になってしまうのですが、そんなことはないでしょう。ですが落ち着いてパラパラと読み直してみると、ハンバートはやっぱりおかしなやつでした。ニンフェットを愛撫するのに比肩しうる幸福はこの地球上に存在しないとか言い切ってますしね、あとロリータのクラスの女子の名前全員覚えてるし。こんなやつの気持ちがちょっとでも分かる人ってよくないですよね。

いや違うんですよ。決して僕がロリータ・コンプレックスだとかそういう話ではなく、そもそもロリコン和製英語で、幼女・少女への性的嗜好を指しているわけですが、「ロリータ」で語られているロリータはニンフェットであり、ニンフェットとはすなわち、20も30も年の離れた異性を惹きつける性的魅力を発揮する乙女を指す言葉なので、一見すると男性から女性への気持ちを表すロリコンと同義と思われるかもしれませんが、実際には女性から男性に魅力を発揮しているニンフェットは意義なのであって、それはロリコンは主に男性を示す言葉であるのに対し、ニンフェットはそのものズバリ女性を指す言葉であるので、やはりハンバートに理解を示すイコール、ロリコンとはならないわけで、そもそも僕はハンバートからあふれるロリータ、ニンフェットへの愛情を理解したからこそ、感情移入し共感したので!!長く語ってしまった。これでは勘違いされてしまいますね。

 

この作品は文章に仕掛けが多く、一度読んだだけでは楽しみ切ることは難しいと思います。何度か読むうちにきっと新たな魅力に気が付き、また違った感想を持つようになるような気がします。今回はハンバート目線で読んでしまったので、辛くて悲しい物語として心にキツくくるものがあったのですが、次回はここで既にこのキャラクターが出てたのか!と伏線を探しながら純粋に文章を楽しむような読み方になるかもしれません。

 

ハンバートの手記の最後は「そしてこれこそ、おまえと私がともにしうる、唯一の永遠の命なのだ、我がロリータ」で締めくくられています。これ、とはハンバートとロリータの一連の行動を手記という形で出版し、後世に残し続ける選択のことでしょう。メタ的な視点に立ってみると、ナボコフの書いた「ロリータ」は当初は刊行を断られ、出版後もポルノまがいとの評価を受けたものの、現在ではベストセラーとなって全世界で読まれています。熱心なファンも多く、きっとこれからも読まれ続けることでしょう。ハンバートの願いは見事に叶ったのです。

 

 

なんか題材があれだからきれいな文章にして気持ち悪くならないようにしようと思ってたのに、ロリータって言葉を書きすぎて変な文章になってしまった。あと内容云々よりも僕の文章がそもそも気持ち悪かったので気をつけても仕方なかった。悲しいね。

生ハムの楽しみ方

僕はもちろん高貴な人間であるので、最近はもっぱら生ハムを食べあさる毎日になってしまっているのでした。高貴であることと生ハムとに一体何の関係性があるのかは僕も分かりませんが、とにかく生ハムにハマっているのです。その生ハムの美味さといったら、到底僕が表現できるようなものではないので(文字で表そうとしましたが「美味しい!最高!」としか書けませんでした!)、僕が普段どのように生ハムを楽しんでいるか伝えることでその美味しさの一端でも伝わればと思います。

 

行きつけの店でいつもの生ハム(ハモン・セラーノ、主に改良種の白豚の後脚を塩漬けにし、長期間気温の低い乾いた場所に吊るして乾燥させて作られたスペイン産の生ハム)とワインを買い込み、帰宅後はほどよく重厚なクラシックの流れる部屋で外国文学を嗜みながら生ハムを楽しむ。余暇の過ごし方というのはこうあるべきですね。

食器は自然の温かみを感じさせるアカシア材の深皿で、暖炉の明かりに照らされながら、時折ページを捲る手を止めてワインの香りに意識を向ける。今日は気分を変えていつもと違うワインにしてみたけど、どうやらこちらの方が生ハムには合うらしい。今度は同じ銘柄の違うワインも試してみようかな、なんて考えていると呼びかける声に気がつく。

「パパ!今日は何の本を読んでいるの?あ、こっそりハム食べてる!」

どうやら娘に見つかってしまったらしい。我が家では基本的に間食を認めていないので、これでは父親の威厳が保てそうにない。まあ、元々そんなものはないに等しいのだが。

ナボコフって人の本だよ。一緒に食べるかい?ママには内緒だよ」

「食べる!」

ついつい甘やかしてしまう。この甘い共犯関係が心地よくもあるが、このままではいつになっても厳しい父親になるのは難しそうだ。

「ほら、もう寝る時間だから一切れだけにしとくんだよ」

普段であれば自分の分の生ハムが減ってしまうことは到底許せるものではないが、相手が娘とあればどうしようもない。むしろ娘にはこの美味しさを知ってもらいたいくらいだ。そういえば、昔はよく友人と生ハムを取り合って喧嘩になったっけ。生ハムにはきっとどうしようもなく抗いがたい、魂を粉砕してしまうほどの邪悪な魅力があるのだ。

「なんかいつも食べてるハムよりペラペラしてるね」

「生ハムってやつだよ。すこし塩分が多いけど美味しいよ」

そういって口に運んでやると、嬉しそうに大口を開けて迎え入れてくれた。見る度に下品だなとは思いつつも、どこかこの世のものとは思えない優雅さもあり、未だに諌めることが出来ないでいる。

「なにこれ!いつも食べてるのとぜんぜん違う!」

「美味しかったかい?」

「美味しい!パパはいつも食べてるの?ズルい!」

そう言って、もう一枚よこせと目で訴えかけてくる。だが、生ハムの中でもなかなかに塩分が多いハモン・セラーノを与え続けるのは良くないだろう。

「今日はもうおしまい。いい子にしてたらまたあげるよ」

「えー。パパはいっぱい食べてるのに…」

まだ不満そうではあったが一応は聞き入れてくれたようだ。再婚した妻の連れ子だったため、はじめはうまく関係を築いていけるか不安ではあったが、思ってた以上に向こうの方から懐いてくれた。どうやら俺が娘が首ったけの甘い声で歌う歌手のなんたらに似ているらしい。複雑なところもあるが、円満な家庭が築けているので良しとしている。

「食べ終わったらなら早く寝なさい。ちゃんと歯も磨くんだよ」

「うん!おやすみ、パパ!」

足音が離れていったのを確認してから、意識をページに戻す。いずれ読もうと思っていた本だが、これがなかなか面白い。作中では、妻を失った男と母を失った娘があてのない旅に出ていた。

 

とまあ、身バレを防ぐためにもところどころフィクションを入れてはいますが、だいたいこんな感じで僕は生ハムを楽しんでいるわけですね。ただ一つ反省点としてあげさせていただくならば、ちょっとフィクションを入れすぎたためにリアリティが完全に失われてしまい(99%くらいがフィクションです!)、皆さんのライフスタイルに適応できそうにない、というかそもそも生ハムのことが文中の10%くらいしか書かれていないという点は反省しなければなりませんね…。

 

でもよく考えたら、ここはあくまで僕の日記なので、僕が「これは自分の日記!あくまで自分の出来事を記述しただけ!」って言い張った場合、読む側はそれを信じることしか出来ないんですよね。

だからきっと、早起きして競馬場まで行って全然当たらないまま帰ってきたってのは脳が作り出した幻惑であって、本当の僕は暖炉のある家で妖精のように無邪気な子供と触れ合いながら、大好きな生ハムを食べて、大好きな本を読んで、そういう幸せを日記に認めているに決まっているんだ。だって、そうじゃないと悲しすぎるじゃないですか。

まさか昨日は起きたらもう17時で、あまりに汚れた部屋の片付けをしていたらもう21時を過ぎた頃で、夜中に友人とエロ漫画について2時間半みっちりと語り合って、今日は早起きして競馬場へ行って、一レースも当たらないまま帰宅して、あとはネットサーフィンしてたらもう今日も終わりだなんて。こんな週末を過ごす成人男性が世に存在していい道理はないのです。家族以外と会話したのがエロ漫画についてだけって一体前世でどんな業を背負えばこんなことになるんですか。

 

ねえ、もし神様って存在がいるなら。ねえ、神様。あまり贅沢なことはいいませんから。どうか、悔いのない週末を送らせてもらえないでしょうか。笑って終われる日曜日の夜をどうか僕に…。

 

でも、この声はきっと届かなくて。

だから僕は今日も生ハムを食べます。生ハムうめーわほんと。大概の嫌なことはこれで吹っ飛ぶよ、まじで。

芸術の秋がやってきた

秋に入ってからというものの、どうせ毎日家でやることもないのだから、最低でも週一回は更新しよう、下手くそな文章しか書けないからいっぱい書いて練習しようと思っていたはずなのですが、蓋を開けてみると最低週一回というよりはなんとかギリギリ週一回という有様で、改めて自分のやる気の無さに呆れることしか出来ませんでした。

ですが、仕方なかったのです。そもそも毎日定時で会社と自宅の往復をしているだけの人間がそんなに書くことがあるはず無いですからね。自慢じゃありませんが、僕は朝起きてすぐに会社へ向かうと、何となく業務をこなしつつ、息を潜めて定時が来るのを待ち、定時を迎えるやいなや光の速さで帰宅するという大変規則正しい生活を送っていますので、ぶっちゃけ書き残すようなことなんてそうそうありません。

じゃあ帰宅後のことを書けばいいじゃないかというナイスなアイデアが浮かんだこともあったのですが、帰宅後にやってることはと言えば、アニメ見る、漫画読む、インターネットサーフィンという引きこもり三種の神器でしたので、我ながら良く社会でやっていけてるもんだと感心してしまいました。このあたりの感想をひたすらに綴っていくというのも考えたのですが、そんなことしても気持ち悪いだけだと気がついたので止めました。まあでも最近ではアニメ見たり漫画読んだりするのは全然気持ち悪くないっていうか、割と普通になっているようなので、趣味がこんなんだから退屈な生活を送っているわけではなく、そもそもの僕の性格に起因しているのかもしれません。いくら市民権を得たところで、アニメ・漫画にいつまでもハマっているのは気持ち悪いと思ってますからね、僕は!

 

僕の性格のことはどうでもいいので置いておくとして、そういや自慢したいことが一つあったんだった。少し前に受注生産のキャンバスプリントってやつを買ったんですよ。キャンバスプリントってのはその名の通りキャンバスに絵や写真をプリントしたもので、一点物のキャンバスに直接描かれた絵ほどではないにせよ、それなりの機材や技術を用いて製造されたものなので結構綺麗に仕上がってます。いずれパリとかウィーンに住んだほうがいいんじゃないかと思っているくらい芸術に並々ならぬ理解を示している僕としては、興味をもった絵は買わざるを得ませんでした。イラスト集とかもすぐ買いますしね(僕の本棚はアニメや漫画の画集・資料集でいっぱいです)。

絵を買ったのは夏頃だったのですが、受注生産であることと、作者本人の直筆サインつきということで、先日になってようやく発送されてきました。その絵があまりにも良すぎるということで自慢したかったんですよね。ただ現実には自慢できる相手がいないという、あまり気が付きたくないタイプの事実に気がついてしまったので、せめてここで自慢することにしました。まあここだって誰も見てないんですけどね。

 

f:id:kiddomaru3:20181207235348j:plain

 

な!?めちゃくちゃ良くね!?

アニメ・漫画を気持ち悪いと言ってた奴がなに言ってんだと思われるかもしれませんが、これは違う!これはそういうんじゃないから!!

何が違うんだよって言われたら何も言えない、っていうかこれはアニメやゲームで展開している「Serial experiments lain」という作品の主人公である岩倉玲音を描いたものであるため、何も違うことなんてありやしないのでした。

でもこの絵の良さはさ、やっぱり良いものとして伝わると思うんですよね。この絵はイラストレーターであり、漫画家であり、アニメの原作・脚本までも手掛ける安倍吉俊が、PS版「lain」のパッケージとして描き下ろしたものなのですが、作品のテーマというか雰囲気も相まって、こちらとあちらが繋がっていることを意識させられる素晴らしい一枚になっていると思います。「lain」では多くのいい絵がありますが、どれがベストかと問われたら、僕はこの絵を選びます。

 

そもそもアニメ版「lain」という作品は、通信端末が普及した世界において、現実(リアルワールド)とネット世界(ワイヤード)を舞台に、主人公である岩倉玲音が不思議な事件に巻き込まれながらも、その特異な能力を発揮していき、世界に遍在していくまでを扱った作品です。世界に偏在するってなんだよって人にはぜひ本編を見てもらいたい。今ならプライム・ビデオで見れます。1998年に制作されたとは思えないほどの世界観にきっと驚かされることでしょう。

癖の強い描写が多く、見る人を選ぶ作品ではありますが、一度ハマればきっと抜け出せなくなってしまうことでしょう。僕は放送当時にリアルタイムで見ていたわけではないですが、設定なんかを考えると、通信端末が十分に普及しきっていて、SNSなんかで現実とネットの境界が曖昧になっている最近の方がとっつきやすいのかもしれません。日記書きながら見てたんですが、やっぱりくまのパジャマ着てる玲音はめっちゃかわいいですね。

僕はこの作品はリアルワールド(こちら)とワイヤード(あちら)、そして繋がりがテーマだと思っていますので、これら全てを感じさせてくれるこの一枚にはめちゃくちゃ惹かれました。もっと言えば、ワイヤード側にいる僕がリアルワールド側にいる玲音を見ている構図と考えても面白いんじゃないでしょうか。今パッと思いついた割には結構面白い気がする。

PS版についてはプレイしたことがないのでいつかプレイしてみたい。なんかプレミア付きまくってて新品で10万弱、中古でも3万くらいしてるからまだまだ先になりそうだけど…。あと日記に書いたわけだし画集揃えるか、とおもって通販サイトを覗いてみたんですが、比較的最近出た画集の一冊が絶版になっていて思わず発狂しそうになりました。しかもシリーズ物の一冊だけ…。あとで買おうと思って放置してた僕が悪いんですけどね…、気になった画集はすぐ買うとか嘘だったわ。この絵は衝動買いして本当に良かった…。

 

アニメの感想とかは気持ち悪いから書かないつもりだったのに普通に書いていたので自分でも驚きました。絵の話だけで留めておくはずが、いきなりアニメのあらすじを語りたくなるという持病が発症してしまいました。まあ日常生活なんかよりも虚構世界の物語のほうが面白いから仕方ありませんね!現実サイドにはもうちょっと頑張ってもらいたいものです。ということで今日からこのサイトはアニメ・漫画感想サイトに生まれ変わります。

 

プレゼント・デイ…プレゼント・タイム…
HAHAHAHA…

前向きな気持ちにはなれた

TVにはよく見知った場所が映し出されていた。

湾岸部に建設されていくそれは、埋め立てを進めながら前回見たときよりもかなり拡張されていた。数年後に控えたイベントで使用されるらしいが詳細はよく知らない。建設は急ピッチで進められており、今では人員と物資の輸送用に鉄道まで敷かれているほどだ。

朝のニュースはどうやら工事が順調に進んでいることをアピールするものらしい。エリア一帯を収めた映像には既に完成したと思われる建物も含まれており、朧気ながらも完成したらこうなるのだろうなと図を思い浮かべることができる。

「もうこんなに出来ていたのか」

毎日見ていたにもかかわらず、俺は工事がこんなにも進んでいたなんて知りやしなかった。そう、俺はこの現場で働いている。一作業員として働きだしてからそろそろ一年になる。だが、工事がここまで進んでいたとは知らなかった。それくらい今の仕事に興味がない。与えられた仕事はもちろん十分にこないしているが、どうしても意欲的に働こうという気にはなれない。元々無理やり始めさせられた仕事だから当然ではあるが。

焼き上がったトーストを手早く押し込み、出勤の準備を始める。仕事内容は変わり映えせず、準備と言ってもいつもと同じ作業服に着替え、同じ鞄を担いで家を出るだけだ。俺も含めた作業員たちは皆同じ寮に住むようになっており、最寄りの駅から専用列車に乗って各々の工事現場へと輸送される。効率化だかなんだかのためらしい。自由がないと文句を言うやつもいるが、俺自身は楽で結構気に入っている。

 

考え事をする暇もなく駅に着く。駅前のロータリーでは自由だの人権がどうだのと演説している連中がいたがすっかり見慣れてしまった。いつもの光景となったそれを横目にホームへを歩を進める。俺たちは乗り込む車両まで決められているので、いつもの場所からいつもの車両を待つ。5分も経たないうちに列車が来た。いつものことながら車内は満員で、働き始めた頃は仕事内容よりもこの満員列車のほうが嫌だったくらいだ。

俺が乗り込む車両は一番端の車両で、いわゆる「一番下のやつ」だ。俺たちが働く工事現場の割り振りは明確な階級社会が成立しており、下のものが上に逆らうなど許されていない。必然的に「一番下のやつ」である、俺達に回ってくる仕事はいつも他の連中が投げ出したようなキツく汚いものばかりになる。いつの間にか車両も分けられるようになり、悠々と出勤できる上の連中に比べ、俺たちは椅子もないような車両で昔の奴隷のようにすし詰めにされながら出勤しなければならないようになってしまった。

階級が下のものには肉体的、精神的に問題を抱えているものが大半であり、特に俺みたいな最下層は社会的に問題ありと判断され、矯正の一環としてこの現場で働くことを義務付けられたような奴らばかりだ。俺も元々は会社員として一般企業に勤めていたものの、自らの生き方が社会に受け入れられず、こんな生活に転落してしまった。社会を恨んでいないと言えば嘘になるが、少しは仕方ないという気持ちもある。この矯正が終わった後には、社会とどう折り合いをつけて生きていくか考えてみようと思う。

 

そんなことを考えているうちに列車が今日の現場へと到着したようだ。圧迫感から開放され、周囲の流れに沿ってゆっくりと列車から降りると、ズボンの裾からゴトリと何かが落ちてきた。

アナルバイブだ。

どうやら満員電車からの開放感にケツの方も緩んでしまったらしい。人混みの中でアナルバイブを拾いながら、「俺の生き方はこれでいいんだろうか」と悩んでいると、ふと前方に立ちふさがる影が見えた。母親だった。

「あなたはそのままでいいのよ」

そう言うと、母親はそのまま消えてしまった。幻だったのだろう。

 

 

と、こんな感じの夢を見ました。

文中で俺とか母親とかが出てきていますが、ビジュアルとしては全然知らないおっさんとババアだったため、起きてからは混乱するばかりでした。

全体的に何一つ意味が分かりませんでした。